ピアスひとつの重さもない縁(21 飾り)

 ベッドに横になってスマホを眺めていると、耳元でがさがさとシーツを踏む音がした。


 寝返りを打つと思いの外近くに兄の顔があり、俺は黙って壁の方へと身を寄せる。腰の下でシーツが盛大によれたのが分かった。


「何。耳齧る系のおばけかと思ったよ」

「そんな怖いもんよくすぐ思いつくなお前」


 悪かったと兄は目を伏せてから、勢いよく机へと飛び移る。どうして生首にそんな瞬発力があるのだろうと思ってから、そもそも生首たちこいつらに物理法則が真っ当に対応しているかどうかというところから怪しいことを思い出した。道端から家まで追跡してくる生首に、きちんと戸締りをしていたはずの早朝の部屋を通り抜けていった生首まで例を挙げればきりがない。


「別に大したことじゃないんだ。そういやお前ピアスとか開けてんのかなって、気になっちゃって」

「何でそんなこと気にすんの」

「俺がこないだ会ったやつがこう……じゃらじゃらしてたから」


 そのまま左右にふらふらと傾く。質問の内容と動作からして、じゃらじゃらしていたのは恐らくはイヤリングの類だろう。やはり相手は生首なんだろうかと考えて、生首で耳元をじゃらじゃらさせている絵面は普通の人間よりも何かしらの圧がすごいのではないかと思った。


「こう、輪っかっていうか房っていうかな。綺麗だなとは思ったけど、それ以上に重そうで」

「その感想言った?」

「前半しか言ってない。それくらいは俺にも分かる」


 個人の趣味だからなと存外に常識的なことを言って、兄はぴょんと飛び跳ねた。胴体があったなら肩を竦めていたのかもしれない。首だけでも動作で感情を表現する術はあるのだなと兄を見るたびに思う。


「ピアス、趣味以外だとあれだよな、もしものときの手掛かり」

「そういう目的なら刺青の方がいいんじゃないの」


 答えておいて、刺青の場合は生首だと彫れる箇所がひどく限られていることに気づいた。顔面か首か頭部ぐらいしか候補がない。そんなところに柄を入れるのは、パンクロッカーどころか取り返しのつかないくらいの悪党だろう。顔面に彫り物を入れた生首に遭遇したら気の弱い人は気絶するのではないだろうか。

 兄は刺青どころか黒子一つない顔面をこちらに向けたまま続けた。


「あいつ、結構じゃらじゃらしてたから……若い子ってそうなのかと思ったけど、お前あともないもんな」

「開けたことないからね、ピアスホール。他もほぼ着けないな。気になっちゃって」


 耳に着けるのも指に嵌めるのも首に下げるのも、どれもこれもが苦手だ。それ以前に装飾品への興味がほとんどないというのもある。ピアスも指輪もこだわっている友人は何人か思い当たるが、俺自身はその手のものに意識が向いたことすらない。


 ふと高校時代のことを思い出す。校則が緩かったので、気合の入った連中は髪を染めるなり耳を穴だらけにするなりと色々やっていた。耳に洒落た安全ピンのようなデザインのピアスを着けていたのは整美委員会の副委員長だったか──ある日突然耳だけ激しめのパンクロックになっていたが、友人も先生も本人も何も言わず放っておいた記憶がある。別に耳がじゃらじゃらしていようがぎらぎらしていようがどうでもいいということだろう。副委員長も問題行動が増えたということもなく、早朝の校舎の整美活動への呼びかけにも参加しテストで赤点を取るようなこともない、真面目で温厚な先輩だった。別に母校への愛着といったものはあまりないが、そういった実害のない異端への無関心さは嫌いではなかった。


「兄さんはどうなの、その辺」

「やらないな。アレルギーとかそういうんじゃないんだが、何となく機会がなくって」


 片耳を気にするように頭ごと右側に傾いてから。


「一度ぐらいは開けてみたいかもしれないな。せっかく耳があるんだし」


 その時はお前に手伝ってもらうことになるなと、兄はこちらに視線を向ける。

 俺はどうしてか反射的に視線を逸らした。

 自分でも動作の理由が分からない。とりあえずは無難に会話を続けておこうと、俺はどうにか口を開く。


「……じゃあ、兄さんが開けたくなったら言ってよ。俺やるから」

「そうだな。そんときは頼むぞ」


 兄はこちらの動揺など気づきもしていないような呑気な声で答えた。

 俺はその丸い頭の横、髪の合間から見える生白い耳を見つめている。


 スマホの画面を見ながら、自分が起こした予想外の動作に理由を取りつける。動揺している、それはどうしてだ──手伝ってくれと言われたから、兄の耳に孔を開ける許可をもらったから、目印を捺すことを許されたから。

 繋がりはしたが、だからこそ一層道理が通っていないことに気づいてしまう。

 そんなことでここまで狼狽える理由は、何だ。


 昨日訪れた生首の、あの弛んだ頬と軟体動物のようにどこまでものたくった物言いのせいだ。

 曖昧でしまりのない話の中で執拗に繰り返された十一月中という表現が、どうにも昨日から引っかかっている。何となく兄として出入りしているだけの生首に明確な意図も因縁もないのは当然だと思いはするが、その浮遊した行動に対して期限でもつけるように『十一月』という時間の枠を示されてしまった。

 何が起きると明言されたわけでないのが余計たちが悪い。イベントの日付だけを告知され、肝心の内容には何一つ触れていなかった。その不完全さが神経に障るのだ。

 兄には来客老いた首のことは話していない。どう切り出していいのか迷ったのもそうだが、そこから話が発展してしまった場合が恐ろしかった。

 十一月から先のことを兄の口から説明されたら、としては受け入れるほかないからだ。


 たかが装身具ピアスひとつで、兄をどうこうできるわけがない。所詮はただの装飾だ。多少身を削るだけのものに込められる縁も執着もたかが知れている。


 そうして兄の耳に傷を穿てど、兄が着けてくれなければいつかは埋まってしまうのだから。


 開けてもいないピアスの穴を夢想しながら、兄が俺のことを忘れる日のことを考えまいと、天井を見上げて大昔に覚えたきり忘れられない化学記号の語呂合わせで脳を埋める。

 こういうときでさえ洒落たものが思いつかない人生なのだなとほんの少し愉快になって、Krの語呂を思い出しながら笑った。

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