映画と父親

フカ

第1話



ことあるごとに母さんが、わたしの顔が嫌いなの。と言っていたから、家中に飾られていた額縁や写真立てに絆創膏を貼ってまわった。救急箱から出した箱には少ししか入っていない。考えて、自分の机の引き出しから、母さんがくれたハローキティのキャラクター絆創膏を取り出す。母が特に仏頂面で写っているものにぺたぺた貼った。キティちゃんに塗り替えられる母の首から上を見て、私は大変満足したが父は驚愕の表情を隠そうともせず、だめだよ。そう言って、絆創膏を剥がしてまわる。なんでだよ、と思った。母本人の顔のすべては絆創膏では覆えない。覆えないと治らない。だから写真に貼ったのに、と思った。五歳の私はそれで母の顔が治ると信じていた。


父も母も、妹のほうばかりを構う。顔も、その顔をぐちゃぐちゃにしていやだと喚いて泣くのも、声も、妹は母によく似ていた。女子供ふたりを甲斐甲斐しく世話をする父の眼鏡に指紋がいくつもついていて、それが私を冷静にさせた。仕方がない。たぶん父さんは母さんをとても愛していて、より母さんに似ている夏緒のほうをまた愛しているのだろう。私は父さんに似ている。周りの大人がみんなそう言う。


私達はそうやって毎日を過ごす。私が小学校へ上がっても、二歳下の妹が話す言葉はよくわからなかった。たまに相手はしていたけれど、何の単語か、何を言いたいのか、何もわからないから私は暇だった。母さんは相変わらず、笑っていたと思ったらいきなり物を投げてくる。ひとしきり喚き散らして、それにより泣く妹へ向かってまた喚き散らして、最後はごめんね、と言いながら妹を抱いて泣いたりしている。帰ってくれば、休日になれば、父さんはそんなふたりの相手で忙しい。仕方がない。私は学校から貰った教科書を、すみから隅まで読んでいた。


そんななか、六歳の誕生日に父から貰った、三枚の映画のブルーレイ・ディスクは、どれも父さんが好きな話だったそうだ。話の大筋には触れずに、賢い犬が出てくるだとか食べ物がみな美味しそうだとか、父は楽しそうに話す。

母さんは物語を読まず観ないから、私の家には本も映像もあまり無かった。だから父さんが、映画について話すのが不思議だった。好きだったのか、と思ったし、好きならなぜ家で観ないのだろう、とも思った。時間がかかるからだ、とわかった。映画は、夕方に観ると夜になった。18時には、指定の番組を流さないと妹がぐずった。子どもの私は21時には眠らないといけなかった。私ですらこうなのだから、忙しい父には難しいのだろう。聞くとやはり、夏緒が生まれる前はね、観ていたよ。そう返ってきた。

あまり機会はなかったが、それでもタイミングと隙を見てディスクを再生し続けた。父が好きだと言ったからだ。頭から通しで観られなくても、ふとリビングへと来たときに少しだけでも画面に流れていれば、父が喜ぶかもしれないと思った。母が、音がうるさいと言うので、音量は下げて字幕を読む。読めない文字は父に聞く。それを繰り返した。そんな私を見ていた父は、誕生日に毎年、三枚の映画を私に贈るようになった。


私の年齢にうまく合わせた三つの話を、父は私に贈り続ける。アニメやCG、犬猫が喋る話から、魔法や宇宙やコメディになる。部屋にはディスク・ケースが並んでいった。映画は、どれも面白かった。たまによくわからないものもあったが、話がうまく飲み込めなくても、登場人物がシーンでこぼす、ふとした言葉は頭に残る。設えられた映像は余すところなく魅力的だった。異国の建物、水の波紋や、飛ぶ鳥の羽の色を眺めるだけでも楽しかった。

一度、妹に棚をいじくられ、二枚だめになってしまったから、妹が嫌いな色の収納ケースに入れて仕舞った。そうするともう近づかなかった。割れたディスクは、父さんがまた新しいものを買ってくれた。それでも、私の生まれた日に、私の父親がくれたディスクは、床から拾って綺麗に割れを合わせて、同じく重ねて仕舞っておいた。


中学生になったころに、また受け取った映画を順に再生していると、三本全てに父親が出てくることに気づいた。

その頃になればもう、私は父に貰った話だけではなくて、自転車に乗って借りてきたものも観るようになっていた。就寝時間も23時にまで伸びたから、妹が眠る21時からディスクを入れて、再生した。私も妹も成長したから、時間に余裕ができたのだろう、隣に父がいることもあった。私が借りてくるものは大抵、観たことあるよ。父はそう言った。そう言って、すぐに神妙な顔つきになって、最後まで画面を見つめていた。


リビングから部屋へ戻り、朱色の収納ケースを開けた。タイトルを背に揃って並ぶ、ディスクケースを端から引き出し裏を見た。父親。次。父。次。

ごくたまに出てこないものもあるが、ほとんどのものに父親が出ていた。そんなことがあるだろうか。子ども向けの話ですら主人公に、両親の影がまるきりないこともあるというのに。

ケースの裏のあらすじを見ながら、この父親は農家だった。この父親は育ての親だ、こいつは息子を叩きやがる、などと思い返す。これはいわゆる「親父」、これは父親が四人いて、この話の父親は死んでしまった、娘と世界を守って。


出したケースをそのままにして、私はまたリビングへと駆けていく。洗濯物を畳んでいる父が、どうしたの。言うのを遮って聞く。「なんで父さんがくれる映画にはほとんど父親が出てくるの」。聞いて、なんだこの下手くそな質問は、と思った。

これじゃわからないだろうと、言い直そうとした途端に父が口を開いた。

「なんでって言わないでくれ」

父は、怯えたような顔をしている。

あれで伝わったのかと思い、返す。

「じゃあ、どうして?」父の顔が歪んだ。畳む途中のタオルが床に落ちる。

かなめは本当に父さんに似てる」

その時私は、私が自分に、つまり私の父に似ているのだとそう解釈したのだけれど、父の視線は私を抜けてなにか遠くのほうを見るから、振り向く。白壁には何も誰もいない。髪を撫でるが、体を見るが、なにもついてはいない。

仕方がない。もう一度父さんを見た。首をかしげると気づいたように、父さんは肩を少しだけ跳ねさせて、私と目が合う。

「ごめん」落ちたタオルを拾い、畳み直して、洗濯物を抱えて父はリビングを出ていった。


その年の誕生日に父が私にくれたのは、幹が膨らんだ植物だった。

植物は、育て方を調べその通りにしたにも関わらず、葉が黄色になり、やがて枯れてしまった。


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