ヤンキーに「何でもしてあげる」と言ったら「付き合ってほしい」と言われました

キリン

「第一話」初めての彼氏(ヤンキー)

 最悪だ、と。私は走りながらそう思った。


「はぁ、はぁ……はぁっ!」


 カツアゲを目撃した事がすべての始まりだった。


 ひ弱そうな少年一人をいかつい不良三人が囲み、財布の中身を全て寄越さなければ半殺しにする……そんな台詞を聞いて、思わず私の身体は動いてしまっていたのだ。無防備な不良達の後頭部に野球ボールを一球ずつ投げ込んだことで、矛先は見事に私に向いた。──向いてしまったからこそ、今こうして逃げているのだ。


「待てゴルァ! 止まれつってんだろぉ!」

「ぶっ殺してやる!」

「生きて帰れると思うなよォン!?」


 品性の無い暴言の数々、よくもまぁ走りながらあんな図太い声を出せるものだ。こっちは既に体力の限界だと言うのに、距離は開くどころか寧ろ少しずつ縮まってしまっているではないか。後ろを振り返ることが怖くて、私はただひたすらに走った。


「──あ」


 曲がり角が見えたぐらいだろうか、とうとう私の悪運も尽きてしまったようだ。


「きゃあっ!」


 体勢を崩した私は、そのまま頭から地面に突っ込んでいく。突然すぎて身体が対応しきれず、咄嗟に受け身を取ることすら出来ない。背後には自分を殺す勢いで憤る不良が三人、逃げ切るのはもう絶望的……私は目尻に、涙を浮かべた。


(助けて……)


 なんでこんな時に、あの顔が浮かぶのだろうか。そして、どうしてそんな事をあの人に対して求め、願ってしまうのだろうか? ──お父さん。言葉を噛み締めた、その時だった。


「おお!? っ、と……」

「きゃっ……え?」


 驚いたのは寧ろ私の方だった。地面に滑り込むこと無く、傷ひとつ無い状態で私は立っている……いいや、私は受け止められていた。


「いきなり飛び出してきたけど、大丈夫か?」

「……あ」


 顔を上げると、そこにはまぁなんともきょとんとした男の子がいた。ボッサボサの金髪に焼けた肌、右頬の辺りに大きな傷。そして私を抱える腕の力強さ、筋肉の付き具合から察するに……この人は。


「ヤンキーだ!」

「はぁ!? 助けてやったのに何だよそれ!」

「ごっ、ごめんなさい! 私すぐに思ったこと言っちゃうっていうか体がそのまま動いちゃうっていうか……まぁそのせいで追われてるっていうか〜?」

「追われてる? 一体誰に……」


 男の子が小首を傾げたのとほぼ同時に、曲がり角から不良が一人走り込んでくる。続いて二人も滑り込みでやってきて、一際いかつい不良の両脇でメンチを切り始めた。──不味い、追いつかれてしまった。


 右の刈り上げヤンキーが喋る。


「テンメぇよくも俺の後頭部にコンパスなんて投げてくれたなァ!? 俺の頭蓋骨が特別丈夫じゃなかったらオメェも殺人犯だぞ!? それとも何だぁ? 人殺しの子供も人殺しかぁん!?」

「っ……黙れ! お父さんは人殺しなんかじゃない!」


 歯をむき出しにした私を嘲笑う刈り上げヤンキー。

 今度は左のサングラスヤンキーが口を開いた。


「じゃあなんで俺に石なんて投げた? 俺の頭蓋骨が特別頑丈じゃなかったら俺は死んでたんだぜ? そこら辺を弁護してくれるような人間はど〜こ〜に〜い〜る〜の〜か〜な〜〜?」

「元はと言えば、あなた達があの子にあんなことしてたからよ! 怖がってたじゃない!」


 怯んだサングラスヤンキー。隙を見て私は逃げようと構えていた……だが、真ん中のいかついヤンキーは、それを許さなかった。その圧倒的な眼光で私を睨み、一歩……また一歩と迫ってくる。私は一歩も動けなかった。


「た、助け……」

「やなこった。俺はこう見えて無駄な暴力は嫌いなんでね」


 もしかしたら。そう思った私が大馬鹿者だった。見ず知らずの他人を助けるために体を張るなんて、少年漫画じゃない限りありえないというのに。


 震えている間に、選択肢は消え去った。

 ボスと思わしき男が私の目の前に仁王立ちすると同時に、左と右にいたヤンキーは私と男の子を囲んだ。しまった、これで完全に退路を断たれてしまった。


「さぁて、どういたぶってやろうかなぁ……?」


 下衆な顔を浮かべ、ボキボキと指を鳴らしている。私はこれからどんな目に合うのだろうか? 身体だけの痛みで済むのか、心までも痛めつけられてしまうのか……想像が、恐怖を無限に増幅させていく。


 そして、拳が振り上げられた。


「まずはその顔面を凹ませてやるぜぇ! 鬼瓦杏子ォ!」

「──鬼瓦?」


 私が縮こまろうとしたその瞬間だった。巨体、剛腕から繰り出される至近距離の一撃を……私の背後にいた男の子が片手で受け止めたのである。しかも、ただ手を前に出しただけで。


「あ、兄貴のパンチを片手で!?」

「ゴリラか!?」


 小物っぽいヤンキー二人が震えている。私も半分、この状況に驚いていた。


「おい、今お前……『鬼瓦杏子』って言ったのか?」

「っ、この野郎!」


 下から突き出される拳を、私は見た。丸太のような腕から繰り出される拳を……避けることはおろか、受け止めることなど到底出来ないであろう一撃を。──だが、金髪の男はそれさえも軽く受け止め、掴んで離さなかった。


「い、いでででででっ!」

「質問に答えろ。この女の子は、『鬼瓦杏子』なのか?」

「そ、そうだっ! あああ折れる折れる!」

「三秒後に手を離してやる。その後は……分かるな?」


 目尻に涙を浮かべながら勢いよく頷くその様は、とても滑稽で無様だった。手を離された瞬間尻もちをつき、子分二人を置いて一目散に逃げ去っていく。子分二人も、「覚えてろよ!」とか「こんなことしてタダで済むと思うんじゃねぇぞ!」とかいうお決まりの台詞を吐き捨てて逃げ去っていく。


「……助かった?」


 思わず口に出してしまう。私は深い息を吐きながら、そっと胸を撫で下ろした。そうだ、この人にお礼を言わないと。


「あの、助けてくれてありがとうございます。私、鬼瓦杏子って言います!」

「……やっぱ、そっか」


 あれ? なんだかすごく……複雑な顔をしてらっしゃる。何か気に触るようなことを言ってしまっただろうか? だとしたら不味い、もしもこの人を怒らせれば今度は私が挽肉に……!


「杏子」

「はっ、はい!」


 もう名前呼びかよ、とかそんなどうでもいいことを思ってしまう。


「俺、坂口怜央って言うんだ」

「あ、うん……あっ、その制服もしかして同じ学校!?」


 頷きまくって誤魔化そうとするが、駄目だこれ……完全に真面目な顔つきになっている。こうなったら一か八か……やるしかない!


「じゃ、じゃあ私はこれで! 塾に遅れちゃうし……急いでるの!」

「ちょっと待てよ」


 あー駄目だった! 肩を掴まれた私は自らの死期を悟り、知っている限りの神様とか仏様に祈った。だが、思っていたよりも男の子は落ち着いていた。


「一つだけ、お前に頼みがあるんだけどさ」

「う、うん……なぁに? まぁ、助けてくれたしなんでもしてあげる!」


 ──そうか。引きつった顔を自然な形に直さなければと躍起になっている私に、男の子は真顔でこう言った。


「じゃあ、俺と付き合ってくれねぇか?」

「は?」



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