人の食べ方に口出しするな!

玄納守

第1話 お金持ちフォアグラのテリーヌ(テリーヌ・ド・フォアグラ・リッシュ)

 魔王さまの食欲が落ちているらしい。


 由々しきことだ。

 戻ってきたその皿は、出したままのサラダがそのまま残っている。

 魔王宮廷料理長キュイジーヌを長年務めてきたが、一口も手を付けないのは、さすがに初めてのことだった。


 その『干し草のサラダ』のドレッシングには、前に美味しいと絶賛していただいた『田舎の農夫の血』を使っているというのに。


宮廷料理長キュイジーヌリリスよ。その『前』というのはいつのことかな?」


 魔王国宮内長官でありながら、魔王宮廷給仕長メートルも務めるアトスが、片眼鏡をかけ直しながら尋ねてくる。


「あれは、そうだな……。そうだ、思い出した。人間界の軍隊を魔王さまが追い払った時の村だったかな。あそこで震えていた農夫を捕まえて、その血を絞ったんだ。その血に悪魔のワインをつぎ足しつぎ足し使っている」


「ふむ」

 アトスが顎をしゃくりながら何事か計算している。

「だとすると、三百二十四年前のことですな」


 その年月の経過に正直、私は驚いて「え?」と声を出してしまった。


「だとすると、ソースのほとんどが、もはや、ただのワインに違いない」


 アトスが静かに告げた。それどころか、


「やはり、魔王さまは、リリスの料理に飽きてきたのではないか?」


 屈辱的なことを言いだす。

 由々しきことだ。


「私がお仕えしてから五百八十年。魔王さまは今まで一度も『飽きた』とは仰っておりませんがね? それより、ご病気とか、加齢による食の変化では?」


 宮廷料理人として魔王さまへの特別な三食を、毎日お出しさせていただいている身としては、「飽きた」などとは、非常に屈辱的なモノ言いだ。

 それに毎日食べ慣れた味を出し続けるのも、料理人の腕の見せ所。日々違う食材の味を、いつもと同じように整えてこそ、料理人なのだ。

 しかしアトスは憐れむように言う。


「魔王さまは、お優しい方ゆえ」


 魔王さまが、私に遠慮して、直接苦情を言わないような言い方ではないか!

 帽子をまな板に叩きつけようとしたが、思いとどまった。

 いま切り刻んでいる最中の新鮮なドリアードの千切りが汚れてしまう。

 ぐっと堪えて、私はアトスを睨みつけた。


「おお、怖い怖い。そんな目で見られたら、今夜の食材にされてしまいそうだ。だが、リリスよ。考えてもみよ。魔王さまが病気や加齢如きに負けようか?」


 オールバックの髪を撫でつけ、厨房から出て行こうとする。

 確かにそうだ。我々の魔王は、そのようなことに負けるわけがない。

 ならば……。


「まて、アトス。食材だ。食材を用意して欲しい」

「ふぅ。二流料理人はこれだから。料理の腕をカバーするのに、すぐに食材を選びたがる」


 やれやれと肩を竦めてくる。いちいち腹の立つ男だ。

 その青白い顔をどす黒くしてやろうかとも思うが、ぐっと堪えた。


「人間界だ。よく肥えた人間を捕まえてきてくれ。出来れば生きた状態がいいが、もしも死んだ状態なら、首を落として、良く血を抜いてきて欲しい」

「注文が多い。今は人間界との交戦も少ないから、野生の人を捕まえるのも一苦労なのだ。ましてや太ったものとなると……」

「そこで知恵を絞るのが、お前の役目だろ? この魔界で最も悪知恵が利くのは、どいつなんだ?」


 アトスは鼻をフンと鳴らした。


「私に決まっておるだろう。任せるが良い」


  ◇


「リリスよ。喜ぶが良い。魔王さまが完食されたうえに、料理の名前を聞いてこいと申されたぞ」


 厨房にいる全員がガッツポーズになる。

 あのアトスですら、いつもの鉄面皮ではなく、歯をみせて笑っているではないか。


「料理の名は『金持ちフォアグラのテリーヌ仕立てテリーヌ・ド・フォアグラ・リッシュ』だ。よく肥えた金持ちの肝臓を活かしたテリーヌだ。ソースには、同じ人間の血を、悪魔のワインで煮詰めたものを使っているから、相性は抜群のはずだ」

「うむうむ。ソースまで綺麗に舐めておられるぞ」


 アトスはピカピカになった皿を見せてくれた。


「しかし、アトスよ。どうやって、あんな太った奴を捕まえたんだ? 人間界とは戦争はしていないんだろ?」


 アトスはよくぞ聞いてくれたと、胸をそらした。


「なに、簡単なことよ。このアトスにかかればな」

「早く教えろよ」

「慌てるでない。リリス。要するに、金持ちとは、どういう者たちか?」

「ああ? あれだろ? 欲の皮の突っ張った、何でも欲しがるような奴らだ。まるで魔……」


 魔王さまと言いかけて、慌てて口をつぐんだ。幸い、誰にも聞かれていない。


「さよう。人間の欲望を利用したわけよ」

 そういうと、アトスは自慢げに、一冊の本を出した。


「こいつは初級魔法陣の本だな」

「これを人間界に投げ込んだ。『美女のいる世界へ行ける魔法陣』という触れ込みでな」


 厨房の皆が顔を見合わせた。

 そして爆笑が起こった。


「アトスよ。こいつは、魔界の門を開けるだけの魔法陣の書だぞ?」

「さよう、それに人間は見事に引っ掛かり、わざわざ自分から、魔界にご足労いただいたわけだ」


 なんという清々しい狡猾さだろうか。


「よい食材が手に入ってなによりだ。このことは貸しにしておくぞ? リリス」

「いや、ありがとう。アトス。お蔭で、魔王さまの食欲も戻ったし、我々が不興を買うこともなくなった。ちなみに、今夜の賄い飯は、この金持ちの骨で出したフォンを使った、簡単なパスタを出すが、一緒に食べて行かないか」

「ふむ、ちょうど今日の仕事も終わったことだ。早速、貸しを返してもらおうか」


 ──だが、私もアトスも、これがとんでもない事件を巻き起こすことになるとは、まだ知らなかったのだ。

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