水無月潤は6月に愛され、6月に呪われた湿度がヤバい後輩(2/3)

「随分と上手く話が進んだじゃないか、唯。本当に、本当に……まさか私の唯の唇を私以外の女に奪われるだなんて……!」


 あの後、水無月みなづきじゅんなる演劇部の副部長にして脚本を担当する女子生徒と今後の展開について相談し終えた後、演劇部室から退室し、その扉の前で雑談を行っていた。


 きっと、今頃は演劇部室の中で水無月潤なる後輩が脚本を書くと口にしながら競馬新聞を読み漁っている事であろう。


 それはそれとして、茉奈お嬢様の機嫌はとてつもないほどに悪かった。


「えぇ、本当に。これで僕は当面の間、演劇部に所属しているからという言い訳が出来ます」


「……しかし、唯の存在は間違いなく他の女子生徒の良い集客効果にもなる。裏方仕事をしている筈がいつのまにやら表舞台に立たされないようにだけ気を付けてくれ」


 事実として学内3大美女のうち2人が演劇部に所属するという形になってしまった訳なのであり、その事は良くも悪くもこの学園中で噂になってしまうであろうことは想像に難くなかった。


 とはいえ、それでも僕は幽霊部員でいいので在籍するようにと勧めてくれた霧香先輩に加え、同級生である水無月潤に対して悪い感情なんて一切抱いていない。


 むしろ、水無月潤の人となりは僕個人としても中々に興味深い存在なのであった。

 まぁ、いきなりキスはされてしまったのだけど、女子同士ならあれぐらいは普通なのかもしれない、多分。


 だけど、目の前にいる茉奈お嬢様はとてつもなく機嫌が悪そうだったのでもしかしたら普通じゃないのかもしれないけれど、真相は闇の中である。


「まさかこの学園で僕の事を姉と呼んでくれない存在がいるだなんて……!」


「実に嬉しそうな顔をしているな。まぁ、その気持ちは分からないでもないが。常日頃から周囲の人間から敬愛と畏怖の視線を向けられると肩が凝ってしまうからな」


「えぇ、えぇ! 本当にそうですよね! 僕の場合は色々とドス黒い視線を向けられてしまうものですから、本当に気が休まる暇がなくて!」


「……まぁ、その、うん……ご愁傷様だな、本当に……全然分かってあげられなくて本当にごめんね、唯……」


 本当にそんな僕を憐れむかのような視線をこちらに向けてくださる茉奈お嬢様であるけれども、彼女が謝る筋合いはどこにもない。


 悪いのはあくまで僕が百合園女学園の女子生徒たちの性癖を偶々壊してしまうような容姿をしていただけであるのだから。


 ……事実を言ってみただけだというのに、まるで僕がナルシストか何かのように聞こえてしまうのは一体全体どういう事なのだろうか。


 ――そんな事を考えていると、突如として携帯電話の着信音が鳴り響いた。


 反射的に自分のポケットの中に収納している携帯機器に意識を向けるも、どうやらこの着信音は今僕の目の前にいらっしゃる茉奈お嬢様のものであるらしく、僕がその事に気付いた時には即に自分の携帯電話を開いて、電話を掛けていた。


「もしもし、私だ。一体何の用――何? それは本当か?」


 女子高生とは思えないような極めて事務的な対応を取っていた茉奈お嬢様であったが、電話の向こう口から聞かされた内容が予想だにしていなかったものであるらしく、驚きの表情を浮かべてさえいた。


 話の内容から察するに理事長代理としてのお仕事か何かなのだろうけれど、お嬢様の携帯機器から漏れ出る人の声を拾うのは難しく、僕はなるべく息を殺してお嬢様の邪魔だけはしないように努めた。


「そうか……あぁ、分かった。私からも改めて連絡をする。うん、お願いする。彼女は体調の関係上、寮生活は難しいだろうが……それでも学校での生活は保証するようにと私からも言っておく。休学明けの手続きの方だけ宜しく頼む」


 それでは、とお嬢様が言葉にしたのと同時に電話でのやり取りは終わり、お嬢様は随分と悩ましげな表情を浮かべていたのであった。


「ふぅ……話の途中に電話に出てしまってすまなかったな、唯」


「いいえ、お嬢様のお仕事なのですから僕がどうこう言うつもりは最初からありません」


「そう言って貰えると助かる。私は今から理事長室に向かうが、唯はその間、女子寮に帰って……はまだ部活動勧誘に励む生徒に絡まれるから難しいか。とにかく人目がつかない何処かでのんびりするなりするといい」


「了解です。夕ご飯の時間帯は変更なさいますか?」


「いや、その心配はない。夕食の時間はいつも通りの7時からで構わない」


「分かりました。それではまた後で」


 お互いに数時間後に再開出来るだろうから、軽い別れの挨拶をして、やや駆け足気味で廊下を歩いて行くお嬢様の後ろ姿を見送りつつ、靴の音を耳にした僕は茉奈お嬢様と別行動を取る事にした。


 ……別行動と言っても、部活動勧誘に励む生徒から逃れつつ時間を潰せる場所だなんてそうそうある訳もなく――。


「おっと、まだいたんですか菊宮パイセン」


 ガラガラと音を立てて開かれた演劇部室の扉の向こう側には先ほどお世話になったばかりの水無月潤が意外そうな表情を浮かべて両足で歩いて立っていた。


「そろそろ部長が帰ってくるでしょうから、図書室に逃げでもしようとかと考えていたところなんですが……宜しければご一緒しません? 部長の思い人の先輩が一緒にいたら部長もとやかく言わないでしょうし、私の言い訳になってくださいますと嬉しいんですけど、ね?」


「図書室、ですか」


「えぇ、図書室。定番のサボりスポットですよ。もしやもしや、ご存知なかったんですか? あそこは最高のサボりスポットだというのにそれを知らないだなんて非常に勿体ないですよ菊宮パイセン! 何せ本を読んでいるフリをしながら只々ひたすらにぼーっと出来る天国ですよ!」


「僕は別に構いませんけれど、水無月さんの脚本の進捗状況は大丈夫なんですか?」


「…………………もちろん大丈夫ですよ、はーい」


 何ですか、その長い沈黙は。

 本当に何なんですか、その泳ぎまくっている視線は。


 とはいえ、まだまだ校門の入り口付近には下校する生徒を逃がさない生徒たちで溢れかえっているだろうから、そういう意味合いでも時間を有意義に浪費できる場所の選択肢を増やす事はいいかもしれない。


 静かな学習環境で課題をやったり、見ず知らずの料理本を見て新しいメニューを会得できるのも数多くの書物がある図書館なだからこそ出来る行いである。


「そうですね……それでは図書室には料理関係の本だとかは置いてありますでしょうか?」


「料理本……それなら……あぁ、ありましたね。置いてあると言えば置いてありますけど、私はそういう分野の興味に疎くて内容は熟知していません。先輩にとって面白いかどうかは保証できかねますね」


 意外な事に彼女……水無月潤は律儀であった。

 こういう時に適当な返事をするのでなく、自分の記憶を辿って答えてくれる素振りを見せてくれた彼女は案外真面目なのかもしれない。


 真面目なサボり屋さん……というのが今のところの彼女の評価であるのだが、そもそもの話、僕は彼女の演劇部での実際の活躍を目にした事がないから、とやかく言える立ち場ではないのだが。


「料理本があるのなら話は別です。僕も時間を持て余していましたし、何なら図書室に行くのだって初めてなんです。宜しければ案内をお願いしても宜しいでしょうか?」 


「任されました。私も実を言うとまだ脚本の制作がまだまだでして……いやぁ、明日までには私の頭の中にある展開が勝手に文字になって出来ているといいなぁ……」


 訂正。

 彼女は中々に怠惰であった。


「取り敢えず、菊宮パイセンは部活動勧誘の生徒から逃げるべく。私は脚本の進捗を聞いてくる部長から逃げるべく。……こうなったらとことんサボってやりましょうよ、唯パイセン?」







 そうして、百合園女学園が管理する無数の蔵書がある図書室にまでやってきた訳なのだが――。


「ふぁぁぁああああ……眠……寝たい……」


「めちゃくちゃ眠そうですね、水無月さん」


「昨日から全然寝てなくて……ぶっちゃけ徹夜中なんですよね、私」


 とはいえ、流石はお嬢様学校の図書館だ。

 本の種類はとても多く、名前だけ聞いて中身を見ていない名著などで溢れかえっており、僕に対する視線こそ感じるものの場を弁えている為か基本的に静か。


 人の喋る声よりも、本のページがめくられる音や、紙面の上を走る筆音の割合の方が間違いなく多く、確かに水無月潤が眠気を誘われてしまうのも実に頷ける話である。


 かくいう僕も気になる料理本を見つけてきたというのに、隣人の欠伸によって眠気が感染でもしたのか瞼が重くなりつつあった。


「……いやいや、こんなところで眠ったら駄目でしょ僕」


 そんな言葉を一旦外に出すことで眠気を飛ばしつつ、自分の両頬を軽く摘まみ上げる。


 いくらリラックスが出来る場所であるとはいえ、僕は女装をしている男子であるという事実を忘れてはならない。


 もしも、こんな場所で意識でも手放してしまえば、僕は未曾有の危険に陥ってしまうであろうというのはとても想像に難くなく、だからこそ寝る訳にもいかなかった。


「ほーんと、菊宮パイセンは真面目なんですねぇ。ま、この世の中に真面目な人をっ嫌うような人種は少ないので、そういう意味では先輩は人様に愛される性格をなさっているのでしょうねぇ。いいなぁ、私は無愛想なんで正直言って羨ましいです」


 大きな欠伸をしながらそんな事を言ってのける水無月潤なる後輩であるのだが、それでも彼女が書物に向ける視線は真剣そのもので、気になった文節などを見つけた際には胸元のポケットからメモ帳らしきものを出しては黙々と手慣れた動作で書き込んでいたりしていた。


 先ほどから惰性的な言葉が目立つ彼女ではあるけれども、こんな言葉とは裏腹に行動自体は努力家そのものであり、彼女の言葉は自身の行動の真意を隠すように意図的に発言しているのではないか……そう思わざるを得なかった。


「なーに、私の事を真剣にまじまじと見ちゃっているんですか、先輩。もしかして私の事でも好きになりました? いいですよ、私の事を好きになっても。互いにキスをするような間柄なんですし、ね?」


「い、いえ。そういう訳で見ていた訳ではなく……水無月さんが欠伸をしながらもそういう事をしているのが不思議で」


 僕は思わず話と目を逸らさざるを得なかったのだが、かくいう彼女の顔はとても整っており、体型は幼いとは言えどもそれでもそういうジャンルでの魅力が彼女には確かに存在していた。


 例えるのならば、茉奈お嬢様と霧香先輩が『絶対に手が届きそうにもない高嶺の花』だとするのであれば、僕の隣で本を読んでいる水無月潤は『絶妙に手が届きそうな場所に咲いている綺麗な花』なのである。


 彼女は実にフレンドリーであり、こうして話しているだけでも気楽な雰囲気にさせてくれるような気軽さもあり、そこまで僕自身に強すぎる思い入れもない彼女の存在は常日頃から女装をしなければと気を張っている僕に対して余りにも劇薬なのであった。


「そういう事? あぁ、メモ。こんなのは将来の自分が楽する為だけにやる行いですんでね。そんなに大したことでも高尚な行いでもありません」


「将来の自分ですか。もしかして水無月さんは脚本関係のお仕事をしたいのですか?」


「恥ずかしいとは思うんですけれども、私は将来小説家になりたくてですね。その為に常日頃から努力している訳でして」


「小説家ですか、それは凄いですね」


「まぁ言うだけなら簡単ですよ。ぶっちゃけ小説を書くだけなら誰でも出来ますし……問題はそれで家を買えるかどうかのお金を稼げるかです。今の私はそこまでの力量はありませんので、恥ずかしながら過去の人の旅路をこうして参考にしてもらっている訳ですね」


「なるほど。それにしても先ほどよりも生き生きとした話し方になりましたね。水無月さんは本当に物語を綴るのがお好きなのですね」


 僕がそう指摘してみせると、本当に生き生きとした表情を見せていた彼女は「はっ」としたような表情になると、すぐさま恥ずかしそうに赤面してみせた。


「や……別にそういう訳ではないんですけど……。うわぁ……キャラぶれたぁ……思いのほか恥ずかしいですねコレ……」


「そうだ。宜しければ、水無月さんが書いた小説や脚本を見せて貰っても宜しいでしょうか? 出来れば今ここで」


「うわ何ですかその処刑法。私、なにか先輩を怒らせるような真似しましたっけ……⁉」


「処刑法?」


「いやいやいやいや……⁉ 普通に考えてみても下さいよ……⁉ どこの誰が自分の書いたブツを人に見せて、尚且つその読んでいる様を目の前で見せられないといけないというその方法を処刑と言わずして何と言うんですか……⁉ 菊宮パイセンは自分が料理をしている様を人に見られてもいいんですか……⁉」


「別に僕は気にした事ないですね。10年間ぐらいは料理をしてきましたので」


「うっわ、それ完全にプロの感覚ぅ……! ちくしょう、分かってくださいよ素人の感覚ぅ……!」


 最後の最後まで僕に彼女が書いた小説を見せてくれようとしない彼女であったのだが、僕が絶対にネガティブな言葉は口にしないと告げると「まぁそれなら」と渋々と言わんばかりに口を尖らせながら、彼女は自身の書いた小説のデータが詰まった携帯機器を僕に手渡してくれたので、僕はその画面中に広がる文字たちを拝読させてもらう事になった――。






「水無月さん! いいえ、水無月先生! 先生の書いた作品めちゃくちゃ面白すぎますよ⁉」


「せ、先輩……? お、落ち着きましょう? ここ図書室。出来るだけ静かにしないといけない場所なんですよ……?」


「うわぁ、凄い! 本ッ当に凄く面白い! やっぱり百合小説は見ていて心が洗われますね本当に!」


「ちょ、声……! 声、大きい……! お願いだから静かに……!」 


「……はっ⁉ す、すみません、僕としたことがついつい取り乱してしまいました。お恥ずかしい限りです」


「気づいて直してくださるのなら別にいいですけど……まぁ? お世辞とはいえそんな言葉を頂きまして感謝恐悦ですね。そんなに喜んでくれるだなんて夢にも思っていませんでした。作者冥利に尽きるというヤツですね」


「何を仰いますか水無月さん! あれだけめちゃくちゃ面白い小説を読んだ後にお世辞だなんて言う訳ないでしょう⁉ 特に魅力的なキャラクター2人を中心とした物語が丁寧に描かれ! その物語の最中に女性同士ならではの恋愛に悩みに悩み! 女性という性別の壁が2人を分け隔て! それでもなお、一緒にいたいという王道百合物語だったではありませんか⁉ ……って、水無月さん? どうして口元を本で隠すんですか?」


「……今、人に見せられない顔をしてるんですよ、私」


 耳まで真っ赤にしながら、伏目がちにそう口にした彼女は手元にあった文庫本で自分の口元を隠しており、本で隠された彼女の表情がどうなっている事やら目に見えないので断定は出来なかったけれども――きっと、間違いなく素敵な女の子の表情を浮かべているであろう事は想像に難くなかった。

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