第48話 交渉成立

「そういえば、」


 バイリィに連れられるがままに入った店で、暖かくて甘くて平たい麺という奇妙な料理をズルズルと啜り、ごくんと飲み下した後、私は言った。


「君は、店主と私のやり取りを見て、大人だと思ったんだな」


「そうね」


 正面に座る彼女は、テーブルの上に置いてある果糖をスープにふりかけている。これ以上甘くするのかと思った。


「言っておくが、あの交渉はテキトーだ」


「え?」


 フォークに似た食器を操る彼女の手が止まった。


 信じられないといった目つきを寄越す。


「いや、でも、ちゃんとしてたじゃん。術符をたくさん提供するなんて、すごい取引持ちかけるなぁって思ったもん」


 私は、レンゲ風の食器で甘いスープを一口飲んでから、答える。


「私が、元の世界の書物をたくさん持っていることは事実だ。だが、それが術符と同じ働きをするかどうかなど、知らん」


「はぁ?」


「店主の話を聞いて、もしかしたらいけるかもしれんと思ったから、そう提案しただけだ」


「え、え、え」


「言語が違うから一切魔術が使えないなんてことも、十分ありうると思う。実際、『監獄』の水では魔術が使えなかったワケだしな」


「使えなかったら、どうすんの? 店長に持ってくんでしょ?」


「その時は、素直に謝って、ただの珍物として書物を提供するだけだ。あの店主なら、一切読めない書物でも、面白がって買ってくれるかもしれないしな」


 バイリィの口は、あんぐりと開いていた。


「もしかして、イナバって、結構な阿呆?」


「知らなかったのなら、覚えておくといい。私は、物事をあまり深く考えずに行動してしまう性格なんだよ」


 それは、持って生まれた性分であると共に、死因の遠縁でもあった。


「そこで、だ。バイリィ。君に頼みたいことがある」


「なに?」


 私はそこで器を置き、祈るように手を組んで、バイリィを見た。


 真剣なお願いだというのをわかってほしかった。


「明日、私の家で、魔術の実験をしたいんだ。私の世界の書物が、魔術を発揮できるかどうかのな。私は無論、魔術など使えないから、ぜひとも君に手伝ってほしい」


 彼女が麺を咀嚼している間に、続けた。


「無論、君の大切な時間を借りるワケだから、対価は払う。両手いっぱいのchocolateでどうだ?」


 私はあえて、割に合わない報酬を提示した。


 彼女は、きちんと私の意図を悟ったらしい。にんまりと笑った。


「えー? それじゃあ、少ないかなぁ」


「ほう?」


「イナバは、あたししか頼る人がいないんでしょ? だったら、もっと、報酬上乗せしてくれてもいいんじゃない?」


「仕方ないなぁ。その倍の量でどうだ」


「いーや、まだだね。魔術を使えってことでしょ? うーん。あたしでも、魔術って使うのにそれなりに疲れるからなー。どーしよっかなー」


「ええい、ならば、香りの良いcoffee一袋も付けよう。オマケに、君もまだ食べたことがないであろう、インスタントラーメンというものも上乗せしてやろうではないか」


「あと、もし面白そうな魔術を使える書物があったら、一冊ちょうだいよ」


「いいだろう」


「うん。じゃあ、それで」


「交渉成立だな」


「交渉成立だね」


 私たちは、お互い笑みをたたえながら、固い握手を結んだ。


 身を切り合うような真剣なものではなく、茶番だとはわかっていたが、それでも、交渉には違いなかった。

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