第46話 大人の対話

 私は恐らく、同世代の大学生と比べても、かなりの読書家であったと思う。


 前述した通り、本屋巡りが趣味であったし、空きコマがあるときは大抵、図書館にこもって本を読んでいた。


 同世代がスマホという文明の利器を眺めている間、私は膨大な純文学小説や、知的好奇心が刺激される科学論文雑誌、あるいは文芸評論などを好き好んで読んでいた。


 そんな私だから、家の蔵書数もすごいことになっていた。食費すら切り詰めて本を買っていた時期もある。


 オフィス用のスチールラックは一年目にして既に満杯になった。その後は、クリアケースの衣装棚を買って、そこに本を詰めてベッドの下に収納していた。


 ちなみに、一度手に入れた本は財産だと考えているため、売るという発想はこれっぽっちもなかった。本に生活スペースが圧迫されても、本望だと思った。在学中に大きな地震に見舞われなかったのは幸運であったと言える。


 そんな私の財産たちは、異世界転移後も、当たり前のように一緒についてきて、今なお私の生活スペースを圧迫している。


 現世であれば、僅かな金のために本を売るなんてことはしたくなかったが、ここは異世界。それに、本は寮外に持ち出せばまた本棚に戻るときている。


 これはもう、ビジネスにするしかあるまい。


 そういうことで、私は店主に「現世の本を売ってみてはどうか」という提案を持ちかけたのである。


 私は言った。


「事情は省きますが、私は、この世界の符をたくさん手に入れなければなりません。そのため、私は、私が所持する中で、最も価値があるものを提供しようと思っています。それが、私の世界の書物です」


 私はそこで店主の表情を確認した。興味深そうに、微笑みを浮かべている。好感触だ。


「面白い提案ですね。確かに、私個人としては、あなたの世界の書物というものに、非常に興味があります。対価を払ってでも、読んでみたい」


 よし。


「ですが、私個人ではなく、この店に対する交渉なのだとするなら、まずは一つ疑問を。この店で扱っている娯符の目的は、物語を読むことにあります。イナバさん。あなたの世界の書物は、恐らく、我々の言葉では書かれていないでしょう? 一般のお客様は、そのような、読むことのできない書物を、手に取りたいと思うでしょうか?」


 さすが。


 これだけの規模の書店を経営している店主だけあって、交渉に余念がない。


 私の提案が、店主個人に対するものではなく、店に対するものであると明確にした上で、こちらの問題点を指摘してきた。


 だが、その問題に対する解答は、ある。


「その通りです。私の書物は、読むことができません。なので、私は提案します。私の書物は、娯符としてではなく、術符として売ってみるのはいかがでしょう?」


「——ほう」


 私は店主の目に、交渉の余地を感じた。


「今日の話を踏まえると、娯符に比べて、術符というものは、安価なものではないとわかります。その理由の一つには、娯符と違い、術符は、再利用ができないという点にあるのではないですか?」


「それは事実です。魔術を一度使ってしまうと、文字は燃えてしまいますからね。術符は、使い捨てるものです」


「そして、理由のもう一つ。術符は、その性質上、複製の難易度が高い。簡単に作ることができないゆえに、価値も上がる」


「それも事実ですね」


「私が提供する書物は、その2つを問題としません。なぜなら、無尽蔵に提供できるからです。どう運ぶか、という問題を無視すれば、この店の書物と同じだけの量を提供することができます」


 さすがに異常さを認識したのか、店主の目の色が、人を値踏みするようなものに変わった。


「それは、あなたがLiú Kèだから、できることですか?」


「そういうことになります」


「なるほど、なるほど」


 店主は再び、ゆっくりとした拍手を打った。


 無尽蔵に物品を提供できるという、異世界転移の性質を利用した交渉である。感触は良好。稼ぎ時は掴めただろうか。


 私が固唾を飲んで見守る中、ややあって、店主は言った。


「うん。いいでしょう。どう転んでも、私にとって、利益の大きい取引になりそうです」


 やった、と思った。


「イナバさん。詳しい話は、また後日に行いましょう。その時は、売りたいと思う書物を、いくつか見せてもらっても良いでしょうか? どんな魔術が使えるのかどうかも、気になるところですし」


「もちろんです。いくらでも持ってきますよ」


 私と店主はそう言い交わし、固い握手を結んだ。


 思いつきで始めた交渉だったが、思いの外、うまくまとまった。


 これで、家賃を稼ぐための足がかりくらいは作れただろう。


 私は嬉しくなって、ついドヤ顔をバイリィへと向けた。


「よかったね、イナバ」


 どうしてだろうか。


 彼女は、どことなく、ぎこちない表情を浮かべていた。

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