第17話 ファースト・コンタクト・リベンジ

 私はベッドで横になりながら、異世界語の教材を読んでいた。


 基本的な文法の形式だけふんわり理解し、単語帳をぱらぱらとめくる。


 文法なら、めちゃくちゃでもなんとかなるだろうが、単語がわからないとどうにもならんと考えたのだ。


 日常生活で頻出しそうな単語に片っ端から目を通し、

「命だけはお助け」

「私は争いたくありません」

「私は対価が欲しいです」

「私はこの世界の言葉を喋ることができません」

 といった、使えそうな定型文を脳に叩き込む。


 太陽のごとき天球が『監獄』の真上に昇るまで、そうして悪戦苦闘していると、上階からなにやらドンドンとやかましい音がした。


 大方、昨日の角帽の少女が懲りずにまたやってきたのだろう。よほどこの『監獄』が気になるようだ。


 私は教材と赤字のメモを片手に階段を昇り、喫煙室までたどり着く。


「何このken sue pek! できないsai mo 私のmatsa lok! Kag Zhoc!」


 案の定。


 昨日とまったく同じ服装をした角帽の少女が、えいやえいやと拳を窓ガラスに打ち付けていた。


 一撃ごとに周囲の空気を巻き込んで渦を作るほどの拳圧だというのに、女神の加護を受けた窓ガラスにはヒビ一つ入っていなかった。


 ちょっと面白い。


 しばらく部屋の入り口でその愉快な光景を眺めていた私だったが、やがて、少女がこちらに気付いた。


「あ! 男 yoh 私を男 zen tshu!」


 うむ。学習の成果か、昨日よりは単語の意味がわかる。


 「昨日私を男呼ばわりした失礼なヤツ!」といったところだろうか。


 まぁ、今の彼女の剣幕からして、まったく言語がわからずとも、キレられていることくらいは明白なのであるが。


「さて、昨日のリベンジといくか」


 私はベランダの戸をガラリと開け、少女と相対した。


 隔てるものがなくなり、目と鼻の距離だというのに、少女は後ずさるどころかガンを飛ばしてくる。


 直情的で、負けん気の強い性格のようである。


 ひとまず、昨日の失敗を訂正し、機嫌を直してもらおうと思った。


「よーしょーしぃやぁ」


 私は軽く手を挙げて、そう声をかける。


 和訳すると、「やぁ、可愛いお嬢ちゃん」だ。


 果たしてこの程度で向こうの態度が変わるのかどうかは、正直なところ賭けであったのだが。


「Qīng Tiān Bái Rì」


 彼女はむふーと鼻息を吐き出し、満足そうに頭を振った。


「そのgen yoh 過ぎるchii! しかし。私のshin 如しdchi tchen,だから私はyul あなたを」


 意味は取れないが、なんとか上機嫌になってくれたらしい。


 だが、安心するのはまだ早い。異文化交流はまだ始まったばかりだ。


 私は、彼女がべらべらと喋る前に言葉を紡いだ。


「私の話を聞いてくれませんか」


 以下、拙い日本語で記されたセリフは異世界語によるものだと思ってくれ。


「申し訳ありません。私はこの世界の言葉がわかりません」


「hah?」


 角帽の少女は疑問符を投げかける。当然の反応だと思った。


「私は、遠いところ、から来ました。ここでは、ありません。だから、言葉が、わかりません」


 慣れない舌の動きに翻弄されながら、やっとのことで異世界語の発音をひねり出す。


 このフレーズだけは絶対に使うことになるから必死に習得したつもりだが、どうだ?


「hoh?」


 少女は疑問符浮かべたままだ。そもそも私の意が伝わっているのか、それとも伝わった上で理解されていないのか。


 どちらもありうる。


 もうこうなれば、とりあえず言いたいことを言ってしまおうと思って、私は脳に溜め込んだフレーズのストックをすべて吐き出すことにした。


「私は、この建物と一緒に、この地へ来ました。最近です」


「私は、この世界の言葉がわかりません」


「私は、生活するために、価値があるものが、欲しいです」


「でも、来たばかりで、どうすればいいのか、わかりません」


「だから、私は、あなたと仲良く、なりたいと、思っています」


「よければ、私と、お友達に、なってくれませんか? この世界のことを、私に、教えてくれませんか?」


 たっぷり時間を使って、私はそれらの定型文を発した。


 途中、不安と羞恥心から逃げ出したくなる衝動に駆られたが、それでも私がなんとか戸を閉めずにいられたのは、目の前の少女が、黙って話を聞いてくれていたからだろう。


 彼女は、私が話し終えると、一言発した。


「zei」


 異世界語で「良し」を意味する言葉だった。

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