第7話 家賃調達のための天才的な目論見

 私は財布の中身と預金口座の残高を確認してから、女神に通話をかけた。


 ティロンティロンと待機音が数回鳴り、そして、『はい』という女神の声が聞こえてきた。


「私だが」


『はい。知ってますが』


 元恋人の声音であまり冷徹な反応をしないでくれと思った。破局一ヶ月前から漂い始めた不穏な雰囲気など、二度と味わいたくはない。


「さっき送られてきた家賃の知らせだがな、あれは、一体どういうことだ」


『どういうことって、文字通りの意味ですよ。家賃は、月末にこれまで通りの額で引き去りします』


「そんなこと、聞いてないぞ。契約違反だ。意義を申し立てる。不当な家賃など払わんぞ」


『聞かれなかったから、答えなかったまでですよ。私は、あなたの面倒な注文には応えてきたつもりです。電気も水道も使えたし、食料だって、お望み通り、数は減っていないでしょう? あなたは、これまで通り無意義な引きこもりライフを送れるんですよ。家賃さえ、払ってもらえれば』


「……屁理屈じゃないか。そんなことをして、貴様に一体なんの得がある。下等生物のもがき苦しむ姿でも観察したいのか」


 通話口の向こうから、女神の溜息が聞こえてきた。


『こうでもしないと、物語が生まれないじゃないですか』


 彼女は続けた。


『私だって、こんなみみっちい工作、したくはありませんよ。あなたがもっと活動的な人間で、異世界の地にずんずん足を踏み出す性格なら、私は何もしませんでした。でも、行動指針というものを与えないと、あなたは永遠に部屋に引きこもったままじゃないですか。窓の外の風景が変わっただけの腐れ大学生の一人語りなんて、一体、誰が読みたいと思うんです?』


 更に続けた。


『あなたを異世界転移させたのは、これまで存在しなかったストーリーラインを紡いでもらうためですが、一応、物語として最低限の水準は満たしてもらわないと困ります。描写を部屋の中だけで完結させないで、日銭を稼ぐために異世界へと踏み出してください』


 なんだか、引きこもり支援のカウンセリングを受けているような気分になってきた。


 女神の口ぶりからは冗談と言ったものを感じない。どうやら交渉はこちらが白旗挙げる形になりそうだ。


「……わかった。家賃を、期日までに用意しておけばいいんだな」


『ええ。この世界の貨幣を手に入れることができたなら、適正なレートで換金しますし、手持ちの日本円でも構いません。口座への振込方法も、意思一つでポンとできるように簡易化してあげます。なんと、手数料は無料です』


 女神が勝ち誇ったようにべらべら説明するのを、私は私で、にんまりしながら聞いていた。


 馬鹿め。


 この私がその程度の条件を出されたくらいで、「金を稼ぐため異世界へと進出しよう!」などと前向きになると思ったか!


 私は、既に抜け穴を発見していた。


 支払う家賃が日本円でも構わぬということは、この部屋の中にある金という金を片っ端から集めて、それを一旦寮の外へ持ち出し、『物品維持』によって元に戻せば、家賃くらい簡単に——、


『ああ、ちなみに補足しておきますが』


 女神がそろりと付け加えた。


『あなたの財布の中身はもちろん家賃としてお支払いいただけますが、日本銀行券の場合、通し番号が同じものは、そのうち一枚しか紙幣として扱いません』


「クソが!」


 目論見がすぐさま水疱に帰し、私はそれだけ叫んで通話を切った。

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