第20話 帆船の出港を止めるには

 ウルプ家の第一執事ロイトロジェによる転移で、わたしはグレクスより一足先にラテアの港街へとたどり着いた。港街への入口ではなく、広大な船着場に直接来てくれている。巨大な丸太に繋がれた帆船が大量だ。

 この中から、緊急に探さなくちゃならないのね。

 

 わたしは桟橋のような場所で、海水を霧状にして撒き始めながら歩く。

 

「闇? 不浄な気配があるみたい」

 

 わたしはひとちた。ロイトロジェに向けてではなく、どちらかといえば魔石に向けている。闇の乱れは最初わずかだったが、少しでも強まる方向へと歩きながら霧を撒いた。霧といっても極薄く、たぶん誰も霧の存在には気づかないだろう。

 強い反応を、探るようにしながら進んだ。

 

「危ない。海に落ちます!」

 

 不意に、アンナリセの小さな身体は執事に抱きとめられていた。本来なら、色っぽい場面なのかもしれない。だが、なんだか、ドキドキしている暇もないほど必死になっていた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 真顔で礼を告げ、霧を撒き続ける。

 気をつけなくちゃ。

 確かに柵もないし油断しなくても落ちそうな場所だ。心配そうな気配で、ロイトロジェはついてきている。

 

 撒く霧のなかに、だんだん闇めいた足跡のようなものが複数見えるようになってきた。

 たくさん入り乱れたような闇の足跡が、一隻の帆船へと向かっている。多くの人数が出入りした形跡だ。堕天翼バシオン本人がいるかは、これだけではわからない。

 

「この帆船です。中に闇と媚薬が詰まっているようです」

 

 霧が帆船を取り巻き、わずかな隙間から内部へと入り探知している。

 間違いない。だけど、どうやって入ろう?

 梯子は上がっていた。もう、出港は近い。

 

「トレージュ? いるの?」

 

 声などトレージュにまでは届くことはないし、聞こえないと思う。

 だが、霧は反応してくれた。霧が、トレージュの存在がこの帆船内にあるか探ってくれている。

 

「居ました! トレージュに間違いないみたい」

 

 独り言ちる呟きをこぼしつつ、トレージュが居ると分かったら執事の存在など忘れて転移した。間際それでも、「あ、グレクスさまに、伝えて。この帆船です!」と、執事に緊急に告げている。

 

「ああっ! アンナリセ様! …………了解しました」

 

 ロイトロジェは慌てていたが、彼の転移で中に入るわけにはいかない。それでは、グレクスに伝言できる者が居なくなる。

 一応、わたしの声は、ロイトロジェに届いたようだ。

 

 転移で帆船の内部に入った。乗組員たちは甲板にいるのだろう。そして売られる者たちは、船倉に違いない。

 

『トレージュを助ける前に、帆船を止めなくちゃね』

 

 水関係の魔石へと話かける。頷く気配はするが、応えてくれるわけではなかった。

 どうする? どうするのが良い?

 自問自答だ。

 

 わたしの曖昧な巫女術より、アンナリセの魔石の方がいいよね?

 アンナリセは、土が得意。綺麗な泥を造っていた。だが、それよりも土自体を造るほうが、ずっと楽そうだ。

 操舵のための舵を、固めてしまおうか!

 

 土の魔法は遠隔で使えるようだ。

 硬めの泥というか粘土がいいわね。

 巨大な塊の粘土で、舵全体を包み込み固めてみた。

 

 粘土細工、これなかなかいいかも?

 清めの水を含む泥で後から覆って染み込ませる。これで闇の力で壊すのは、かなり難儀になる。

 

「なんだ、何があった!」

 

 頭上から怒鳴る声が聞こえてきている。

 

「舵? そんなのは海に出てから、何とかしろ! 早く帆を開いて出港するんだ!」

 

 確かに、舵が使えずとも帆を広げれば帆船は風で動いてしまう。

 帆のほうも、なんとかしなくちゃ。

 濡らす程度じゃだめ。拡げられる前に、これも固めちゃおう。

 

 わたしは、思案しながら開きかけている帆を全て粘土細工で包み込む。

 あら、わたしも土を使うの得意みたい。凄い量の粘土!

 アンナリセは、土が得意だと魔女キノアが言っていた。もしかして、わたしの元も魂も、同じなのかしら?

 

「わああ、何が起こっているんだ!」

「魔法攻撃されているようです」

 

 内部に侵入されているとは気づかれていないらしい。

 舵と同じように、清めの水を含む泥で後から覆う。

 皆、甲板で大騒ぎだ。船内へと入ってくる様子は今のところない。

 

 粘土で帆船は重くなった。これなら直ぐには出港できないだろう。刻が稼げているうちに、トレージュを探そう。

 巫女術のなかに、……確か、心に呼びかける方法があった。ように思う。

 心の声。一か八か。失敗しても、特に問題はない。声が届けば、幸い!

 霧を撒き、探査もしながら、トレージュの心に呼びかける。

 

 霧の導きで進むと、ヘンな匂いがしている。

 

『トレージュ、どこ? 居るのでしょう?』

 

 声が出せないのかな? それとも、このヘンな匂い。媚薬か催眠でしょうね。トレージュ、既に意識がないのかも?

 それでも、心に呼びかけ続けてみた。

 トレージュも、きっとなんらかの魔法は使えるはず。

 

(お義姉ねえさま?)

 

 不信そうな、しかし、すがるような響きのトレージュの声。

 

『トレージュ! 無事なの? どこ?』

(船倉の最下層です。たぶん……)

 

 更にトレージュは言葉を続けた。

 

(たくさん、娘たちがいます。わたくしたち、助かるの?)

『ええ! 直ぐにいくわ』

(助けに来てくださるなんて……)

 

 どうしてここが分かったの? と、泣きそうなトレージュの心の声が聞こえてきていた。

 

『当然でしょう? 大事な妹なのだから。魔法で探したのよ』

(皆さん、助けが来ます! 気をしっかりもって!)

 

 トレージュは、他の娘たちに声を掛けているようだ。

 ギシギシと床が音を立てる中、霧を撒き歩く。気配が近くなってきた。

 同時に、媚薬らしきと、催眠らしきの魔法の度合いが濃くなっている。

 わたしは、霧を多めに撒いて清める。

 媚薬が、催眠が、溶けていくのが分かった。

 この扉ね!

 鍵は……外側からかんぬきだけのよう。少し重いが、直ぐに外れた。

 

「居た! トレージュ!」

「私たち、本当に助かるのね? ……お義姉さま、おひとりでいらしたの?」

 

 わたしの姿を確認し、トレージュは瞠目どうもくしている。

 娘たち、といっていたが少年もいる。少年少女、皆、それなり小綺麗にされていた。高く売るためだろう。貴族の令嬢らしきもいた。

 トレージュは後から連れ込まれたからか、意識は比較的しっかりしている。だが、他の者たちは、とけてきたとはいえ媚薬と催眠の魔法の力で朦朧もうろうとしている様子だ。

 

「大丈夫よ。グレクスさまも、そろそろ来ます。すぐに援軍を連れて来ますから」

 

 一刻も早く。急いで、グレクスさま!

 祈るように思いを廻らせながら、わたしは、ぐったりしている少年少女を包み込むように浄化の霧を撒く。

 

 船の出航を諦めた首謀者たちが、船内へと降りてくる気配がしている。

 入口近く、霧を濃くして煙幕のようにしてみたが、これでは長くは持たないだろう。

 

 

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