第15話 秘匿されたアンナリセの悪徳

 逃げなくては。でも、ここには魔道師がいる。

 

「……異界通路を開いたり、魔気を奪ったのも……あなたの差し金なの?」

 

 刻を稼ぐように訊き、その間に、わたしはアンナリセの魔法を探った。

 アンナリセは、いつもどうやって帰宅していたのだろう?

 

「魔物を見たいと言ったのは、お前だろうが」

 

 魔物ですって? なんて、とんでもないことを言っていたの、アンナリセは!

 それで最悪の魔物の棲む異界である羅生境らしょうきょうへの通路を開けさせたのなら、とんでもないことよ!

 魔物に襲われて逃げ惑う者たちを眺めて高嗤いするつもりだったようだ。

 心の裡で妖しく嗤うアンナリセの美貌に、心底寒気がした。

 

「通路を開けたのと、魔気を奪ったのは同じ方なの?」

 

 わたしの言葉に、シーラム・ルソケーム侯爵はにらむ視線で凄んだ。

 

「お前が色々したせいで、大魔道師ルドラフ・マラン様は手を引いてしまわれた……っ」

 

 悔しそうに言葉を絞り出している。

 ルドラフ・マラン? 大魔道師? 王宮で、その名を聞いたことはなさそうだ。少なくとも、わたしの記憶にない。

 だが、通路を開き、魔気を奪っていた者が手を引いた、というのは朗報だ。

 そんなこと、わざわざ教えてくれるなんて。よほど、アンナリセと懇意だったのね。

 情報は嬉しいが、つくづく吐き気がする。

 

「デザフル・ティクは逃がしたの?」

 

 ウルプ小国としても、ユグナルガの小国をべる王都・王族が追放した罪人だと知ったからには、放置はしない。だが、シーラムがかくまっている可能性は高い。ウルプ小国として探してるのに見つからないのだから。

 

「トレージュの輸送の準備中さ」

 

 匿っているどころか、働かせているのね?

 シーラム・ルソケーム侯爵とアンナリセは、王都が禁じている奴隷売買に関わっていた。奴隷として極秘に売り出す前、囚われた男女をアンナリセは楽しんで甚振っていたようだ。

 ぼろぼろと出てくる悪行に、そろそろ、わたしは耐え難くなっている。

 

「そう。じゃあ、わたし帰る」

 

 アンナリセは、いつもそう告げて――転移していた。

 同じように、わたしは心の中のアンナリセの行動をなぞる。

 景色が変わった。

 

 シーラム・ルソケーム侯爵のところから、なんとか逃げ出せたようだ。

 だが、安堵したのも一瞬だけ。アンナリセの魔法での転移は短い距離だった。ルソケーム侯爵の城壁の外に出ただけだ。

 ああ、これじゃ逃げきれない!

 

「こちらです」

 

 不意に、導くような声で小さく囁かれた。聞き覚えのある声。

 ウルプ家の執事? なぜ、ここに?

 

「……ありがとうございます。どうして、わたしを?」

 

 助けてくれるのは間違いないだろう。この執事は、アンナリセの悪事を隠蔽する専任だ。上手く辻褄を合わせ、グレクスに不信をいだかれないよう立ち回り、悪事の手がかりを消す手伝いもしている。

 

「ルソケーム侯爵家に連れ込まれた気配を察知しました故。アンナリセ様は、いつも必ずここに転移で戻られておりました」

 

 この執事は、アンナリセが悪事の尻拭いをさせていた男だ。そして家令の腹心、グレクスの味方ではある。過去形の言葉から察するに、わたしがアンナリセではないと気づいている。なのに、助けてくれるつもりらしい。

 

「ありがとうございます」

 

 少し微妙な探る響きで、もう一度、礼を告げた。

 

「……本当に、ようでございますね」

 

 執事の笑みはアンナリセには見たことのない、好意的な表情のなかにあった。やはり、別人だと気づいてる。グレクスと同様に、アンナリセが別人に入れ替わったことに安堵している気配があった。

 

「では、ヘイル侯爵城までお送りいたしましょう」

 

 淡く暗い光で包まれたかと思うと、わたしは外へと出てきたときのヘイル城の裏口にいた。

 ここからなら、誰にも気づかれず自室に帰ることが可能だ。

 

「いつも影から御守り致します」

 

 執事は丁寧な礼をして消える。

 魔法の腕はかなりのもののようだった。

 

 

 

 誰にも気づかれず自室へと戻り外套を放ると、寝台に倒れこんだ。

 色々と心の中に渦巻きすぎ、全く整頓できなかった。

 

 ――トレージュが危ない。

 

 恐らく、トレージュだけではない。大魔道師に見限られたことで、シーラム・ルソケーム侯爵は自暴自棄になっている節がある。

 わたしを脅してはきたが、アンナリセと執事による悪事の隠蔽は完璧なのだろう。暴露しようにも、証拠は出せなそうだ。であれば、余計にトレージュを……。

 

 そんなこと、させない。

 

 強く思うものの、わたしは横たわったまま唇を噛む。わたし独りでは、とても対応できない。

 

 トレージュがいくらグレクスを奪おうと企んでいたとしても、アンナリセのほうが、やり口が汚かった。アンナリセの意識のなかからトレージュの記憶を探すのに苦労したのも、奴隷として売り払うことが決まっていたから居ないものとしての扱いになっていたのだろう。

 

 何か、役に立つ魔法……ないかしら……。

 

 わたしには便利な魔法の物入れ。だが、水関連の魔石と、巻物だけしか入れていなかった。だが、アンナリセはたくさんの魔法が使えている。距離は短いが転移も可能だった。

 

 探って行くと、アンナリセは、水関連の魔石と巻物に腹を立てていたようだ。

 魔石の清める効果の強さが気に入らず、異界との通路を塞ぐための封印などとんでもない。と。

 アンナリセは、羅生境の魔物と組みたかったようだ。

 

 わたしにとって便利な魔法の物入れは、元のアンナリセにとっては廃棄物入れだったらしい。

 アンナリセの魔法……どこ?

 

 それに、悪事の部分を完全に切り離していたのは、ウルプ家に気づかれないため?

 

 アンナリセ自身のグレクスへの愛は、たぶん本物だった。

 だが、アンナリセの悪虐な部分は、そんな自分の純情すら利用している。

 まんまと伴侶になったら、グレクスも取り込んんで小国ぐるみでの悪事を働くつもりだったの?

 

 悪寒が強くなる。

 そんなにも不浄を働いていた身体の中にいる……。

 わたしの巫女術を使えるらしき魂が、そんな身体に入れられてしまったなんて!

 

 わたしの心は泣いていたが、アンナリセの瞳から涙はあふれない。

 まだ、わたしは、この身体を支配しきれていない? アンナリセの魂は、もう転生の輪に乗って戻ってはこれないのに。

 

 でも、きっと、この身体の浄化のために、わたしには巫女術を身につけていたのだ。この身体は、もともと、わたしのものだった?

 遠く離れた地で、心と身体が交換された状態で生まれてしまった。……かも?

 確たることはわからないが、何かが「肯定」の意思を示していた。

 

 

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