第13話「凄絶なるかな、魔弾の復讐姫のこと」

 高らかに鳴り響いた銃声。

 それは、血涙けつるいしたたる復讐姫ふくしゅうき咆哮ほうこうだった。

 一人で何百人という兵士の首をねた後に、ゆうゆうと逃げるキリヒメが馬首をひるがえす。

 彼女を狙う条約軍の兵士たちが、次々とその場に崩れ落ちていた。

 本来ありえない、銃の連射……それが今、敵軍を襲ったのだ。

 シャンホアは、硝煙しょうえんくすぶる銃を部下に渡す金髪鬼きんぱつきを見た。

 そう、鬼だ。

 冷徹な無表情に凍った、無慈悲な鬼がここにもいた。


「さ、次を頂戴ちょうだい。自分で撃てるものは、倒れた兵士を。よく狙って……殺さぬように」


 ヘリヤグリーズだ。

 男装の軍服に身を固めた彼女は、撃った銃を部下の女たちに投げる。

 同時に、渡された銃を構えた瞬間に撃ち放った。

 狙ったとは思えぬ瞬時の射撃が、正確に敵兵を射抜く。

 彼女は正確に、


「シャンホア、あれは……」

「ミーリン、急いで! ヘリヤグリーズさんが足止めしてくれてる!」

「あ、あれは、でも、鉄砲では」

「うん、そう! テンテンがかき集めた鉄砲だよ!」


 条約軍の男たちは、明らかに狼狽ろうばいしていた。

 エンの軍隊が鉄砲を持っているなど、思いもしなかったからだ。西方式の統制の取れた近代的な軍隊と違って、まだまだ焔の軍隊は将軍が率いる槍や弓での兵士だと思っていたからだ。

 それは正確に言えば、おおむね間違っていない。

 ただ、今の焔にはそれだけではない者たちがいる。

 女だてらに銃を手に取った寵姫ちょうきと、彼女が短時間で訓練した女官たちがいるのだ。


「さあ、キリヒメ。もう一度突っ込んでみなさいな。わたくしたちが援護しますわ」

「これは重ちょうじょう! ハハッ、ここにも鬼がおったか」

「人を悪魔のように言わないでくださるかしら? ……あの子の無念を、わたくしは決して忘れない。知る者全てを殺すまで覚えておくつもりですわ」


 ヘリヤグリーズが発砲する。

 また一人、条約軍の兵士がひざをつく。

 そこに、別の女官や寵姫たちの弾が殺到した。

 すぐにシャンホアは、極めて単純な戦術単位の有用性を理解する。理解というよりは、直感でわかった。

 ヘリヤグリーズと百人の女たち、この小さな銃士隊じゅうしたいは三種に分けられる。

 まず、百発百中の魔弾の射手、指揮官のヘリヤグリーズ。

 そして、彼女が短時間で鍛えた中、かろうじてある程度の射撃精度を持った女性たち。

 最後に、大多数の『』である。

 この三者が完全に統制の取れた射撃を行うことで、絶え間ない連射が血を呼ぶ。


「シャンホア、ヘリヤグリーズは……優しい方、なのですか? あれは」

「ボクたちには優しいよ? だから姉さんもあんなに……でも、戦場では優しさは弱点なんだと思う。だから、今の彼女は優しさを忘れて銃爪ひきがねを引いてる」


 そう、あまりにも凄惨な光景だった。

 ヘリヤグリーズの狙撃は、あまりにも正確無比だった。

 さらに、周囲の仲間たちに装填作業を任せているので、撃った側から次の狙撃を構えられる。彼女は銃を構えて片目をつぶれば、次々に敵兵がその場にのたうち回った。

 だが、死んではいない。

 ヘリヤグリーズもその仲間たちも、決して条約軍の兵士を殺さなかった。

 慈悲ではない。

 不殺の心得、命の尊重ですらない。

 逆だ。

 ギリギリで生き延びる人間の命をもてあそんで、それを盾にしているのだ。

 その証拠に、条約軍の兵士たちは人道に満ちていた。


「クソッ! 立てるか? 俺につかまれ! 下がるぞ!」

「生きてる者たちを見捨てるな! アルト様の言う通り、友軍を守るんだ!」

「しっかりしろ、さあ手を! ――っ、があっ! 脚をやられた!」

「奴ら、遊んでやがる……見ろ、女ばかりだ。女ごときの中に、俺たちは」

「とにかく、下がるぞ! 射撃中止、砲を呼べ! 大砲で……ッ、あ……――!」


 条約軍の悲劇は、辛辣しんらつ極まるヘリヤグリーズの射撃だけでは終わらなかった。

 一人の魔弾の射手、そしていくばくかの辛うじて命中率の高い女官にょかんや寵姫、あとは大多数の装填要因。それだけの百人前後が、数千の敵兵を止めた。

 さらにそこに、再度キリヒメが突っ込んでゆく。

 脚を撃たれて身動きできぬ者たちを踏みにじり、振るう刃で逃げる兵士を血祭りにしてゆく。

 地獄があるとすればやはり、ここだ。

 これ以上の地獄はないように思えて、シャンホアは目をそむけたくなる。

 だが、ミーリンは目を見張って必死で凝視していた。

 つないだ手に爪が食い込んでくるほどに、彼女は身を震わせて戦慄している。

 でも、ミーリンは自分を旗頭はたがしらと仰いで戦う女たちをきっちりと見届けていた。


「……シャンホア、このあとは」

「例の渓谷けいこくに逃げ込みます。ボクたちみたいな少数の遊撃隊をウロチョロさせておくほど、敵将は怠惰たいだではないと思うから」

「やはり、信頼してるんですね」

「聖騎士アルトが理想的な最強の将だからこそ、そこにボクたちは付け入るんだ。公明正大、清廉潔白な稀代きだいの名将だからこそ!」


 シャンホアは、改めて自分の卑劣な劣等感を自覚した。

 そして今、その力を最大限に行使することに躊躇ためらいを感じない。

 もとより彼我兵力差ひがへいりょくさは勝負にならないレベルで、それでも国と民は守りたい。

 ならば、迷いはない。

 シャンホアが幼い頃に読んだ、絵草紙えぞうしや物語、酒家しょくどうで歌われた無数の叙事詩……そうした世界の中で讃えられる英雄と、もし本当に戦うことになったら? 勝てないとしてるし、思い知らされるけど、それでも勝ちたいと思うならやることは一つだった。


「いこう、ミーリン! 決戦はあの谷……西方の魔王が逃げる時に貫いた、あの谷だ!」

「は、はいっ!」


 山野を走り、徐々に悲鳴と怒号が遠ざかってゆく。

 今、条約軍の最前線はフェイルたちと真っ向からの力勝負に戦っている。そしてシャンホアは、近距離の白兵戦でフェイルたちが負けるとは思っていなかった。

 西方諸国連合の条約軍は、強い。

 数も兵の練度も桁違いだ。

 そしてなにより、装備がいい。

 だが、その全てを問題視させない戦いをフェイルは知っていた。

 フェイルがそう動くと、シャンホアは知っててお膳立てをしたのだ。


「見てください、シャンホア……わたしでも目を背けるような鏖殺おうさつ……あれを見てください」

「大丈夫だよ、ミーリン! ミーリンが記憶するこの戦いから、ボクも目を背けない」

「戦いとは数、そう父上は仰っていました。では、この惨状はなんでしょう。数において圧倒的に劣る焔の兵たちが、なにより寵姫や女官たちまで」

「それだけの価値が焔にはあるってこと! 焔が長らく国と民を守ってきた、平安の世が美しいから……大事で大切だから、みんなどんな手を使っても守るよ!」


 武人ならば、相応の礼節としきたりがあるだろう。

 だが、生憎あいにくとシャンホアはド田舎いなかの農村の娘である。

 尊い戦い、美しき勇姿などクソ食らえである。

 ただひたすら、目的のための手段を洗練させる。

 それが、学もなく知恵を持たないシャンホアの戦いだった。


「あ、ああ……シャンホア、条約軍が。下がってゆきます」

「当然だよ。あの人たちは、今のフェイルが戦ってる兵隊さんの予備、控えの後詰ごづめなんだから」

「そこが崩されるとなると」

「来るはずの助けが来なくて、第一陣の条約軍はフェイルたちにコテンパンにやられる。でもね、ミーリン。ここからなんだよ。ボクたちの勝負は、ここから」


 この時点で、面白いほどに理想的な状況が作り出された。

 予定通り、シャンホアが考えキリヒメが整えてくれた作戦通りである。

 だが、その最後に待つのは大一番……シャンホアは既に確信していた。

 敵に、自分の美徳と精神性を利用された男がいる。

 その本人との決戦は、恐らく避けられないだろう。

 なにより、相手にとって予測不能だった未知の戦力が戦争をかき乱しているのだ。女だけの謎の部隊に、なんらかの罠を感じているのなら……その男は直接自分で出てくる。

 シャンホアは今、のちの歴史に稀代の悪女と記されるような行為に奔走ほんそうしていた。


「ミーリン、頑張ったね! あそこだよ、あの崖を降りれば」


 そう、東西に大陸を両断する謎の渓谷……人はそれは九尾谷きゅうびだにと呼んだ。

 古来より、この谷を通り抜ける者たちは少ない。

 単純に、西方諸国と焔との行き来に不自由な遠回りだからではなかった。古来よりここは呪いの地。かつて西方諸国を恐怖に陥れた魔王ノインが、神のつかわした黒衣の救世主に敗れて逃げた通り道がここなのである。

 不自然に山脈を貫き、左右を直角の絶壁で磨いた鏡のように切り立たせる断崖。

 地図の中に、そこだけ定規じょうぎで線を引いたような回廊がその谷だった。


「よしっ、ミーリンはこっちへ! テンテン、首尾はっ!」


 そこには、ごくごく少数の商人たちが馬車を連ねていた。

 無論、戦闘要員ではない。

 その中から、寵姫の一人であるテンテンが走ってくる。


「無事やったんやな、シャンホア! ミーリン様も!」

「平気、みんな頑張ってくれてるから。なんかこぉ、面白いと思える程に上手くいってる」

「なんや、ド田舎娘だからこそ浮かぶ知恵もあるんや。そういうことにしとけばええねん」

「で、用意はいい?」

「都中の豪商全部が了解してくれはりましたん? いけるで、いけるけど」


 テンテンはニヤリと笑いつつ、肘でシャンホアを小突いてくる。


「なんや、シャンホア。えろう悪知恵が働くなあ? ウチ、そういう奴は好きやで」


 喜んでいいのかどうか、微妙な勝算だ。

 でも、テンテンも目にくまを作って働いてくれてる。

 彼女が連れてきた商人たちには、ミーリンが歩み寄り丁寧に挨拶を交わしていた。最初はどの豪商も小さな少女に目を白黒させていたが、ミーリンの言葉は頼もしく強い。

 本来はそうでない彼女も、この短い中で自分を飾るすべを心得ていた。


「皆の財と富、ここに捨てさせることを我は悲しく思う。だが、約束しよう。焔帝国が続く限り、この戦で失われるものの何倍もの未来を保証すると!」


 ミーリンの役者っぷりは素晴らしいほどに満点だった。

 ただ、シャンホアは少し気になる。

 次代の女皇帝として立ち上がったミーリンは、時折自分の中のなにかを抑え込むように右腕を握りしめている。それが伝説の魔王ノイン、その残滓ざんしというのも想像できたが、シャンホアは信じていた。

 太古の昔、東西を問わず大陸が神代かみよだった時代の化石……それをもう、今の誰もが必要とはしていないことを。

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