千年巡礼

石田のどか

序章 『招集』

第1話 『眺望』

「うん、今日も綺麗な街並みだね。異常なし!」


 朝の空気を腹いっぱいに吸い込むと、青年は高らかに声を上げた。

 妖たちの集う城下町『桜花おうか』で最も高い建物、鐘楼しょうろうからの眺望は、青年がここでの活動を本格的に始めてからこっち、たまの楽しみになっている。

 街を見渡し、何か問題事を見つければ駆けつけ、事を解決した後で城へと向かう。

 上からの招集に対し多少の遅れは生じるが、目についてしまったものをそのまま放っておけないのは、青年生来の性格である。


「ほっ————っと」


 一息に飛び降りた青年が何ともない様子で着地を決めると、辺りにいた者が一斉に青年へと視線を向けた。

 頭上からの影に驚いたから、というだけではなく、


「おう、ユウよ。鐘楼への侵入は罰則対象だった筈だぜ?」


 露店の店主が声を掛ける。

 そう。この鐘楼は、国に於ける神聖な建造物である為、特別なことがない限りは誰であっても立ち入りを禁止されているのだ。

 名前を呼ばれた青年ユウは、振り返り、わざとらしい笑みを返した。


「おはようございます。朝から精が出ますね」


「誤魔化すなよ。これで何度目だ? 俺はもう雲外うんがい様に嘘は吐かんぞ」


「そこを何とか。あの面倒くさがりな雲外だって、毎日ここらの偵察に来るわけでもないでしょ?」


「それはそれ、だ。お前がこれまで、他に何をしでかしたのかは知らんが、顔を合わせる度に『ユウは何か粗相をしなかったか』と尋ねてこられるんだ。毎度違う言い訳を考えてやってるこっちの身にもなってくれや」


 店主は肩を落とし、呆れたように溜息を吐いた。


「で? 余裕そうに鐘楼に登った割にゃ、随分と早く降りて来たな。飽きたか?」


「まさか。この素敵な景観は何度目にしたって飽きることはありませんよ」


「それは結構。ここでずっと商売をしてる身としちゃあ、嬉しいこった。なら招集、か。忙しそうで羨ましいな」


「羨望される程の仕事内容であったなら良かったんですけどね。ええ、今朝に招集がありまして。雲外から直接の命だったので、きっと咲夜様か菊理様からの仕事かと」


「へえ、勅令って訳だ。ちっと前までは荷車の周りではしゃぎ回ってた餓鬼が、随分と立派になったもんだ」


 店主が懐かしそうに言う。

 ユウがまだ少年の頃、修行の合間の遊び場はここら辺りだった。何人かでかくれんぼや鬼ごっこをしていたものだから、露店を営む者にとっては鬱陶しいことこの上ない存在であった筈だ。実際、何度も他の露店主から怒られたこともあった。

 しかしこの店主だけは、そんな子どもたちのことを笑い飛ばし、その度に、これから売ろうとしている筈の幾つかの果物まで与えていた。

 互い、懐かしい思い出である。


「しかし、凄い装飾ですね。一夜にして、ここまで景観が変わってしまうなんて」


 ユウは辺りに目を配りながら、呟くように言う。

 新しい街灯に提灯、小物の装飾、建物自体が変わっている所もある。

 昨夜、青年が最後に見た街並みにはどこも、そういった物が施されてはいなかった。


「一夜ありゃ十分ってな。それに長けた『奴ら』が何人もいるんだからよ」


「そうでした。専門中の専門が、ね」


「おうともよ」


 どうしてそこまで店主が威張れるのか——とは聞かないまま、ユウはまた、風景に目を向ける。

 それら装飾の類は、


「『千年巡礼』——いよいよ、ですね」


 ある一つの、大きな行事の為のものである。

 千年巡礼——あるいは縮めて『巡礼』と呼ばれるそれは、文字通り千年に一度執り行われる祭典のことを指す。

 一年を通して大いに盛り上がり、楽しみ、国を挙げて喝采する行事。

 しかしユウ、そして一部の者にとっては、祭り以上の意味がある。

 本当なら世界中の命にとっても祭り以上の意味があるが、大多数はそれを知らない、あるいは知っていながら盛り上がって騒ぐ。

 目の前の店主は、その前者である。


「華々しいじゃねえか。年間通して各地を行脚するって咲夜様の使命は疲れそうだが、その為の、言ってみりゃあ祈りみてぇなもんだからな、俺らの騒ぎはよ」


「——ですね」


 その実情を、伝え聞く分でしか知らないまでも、知ってしまっているユウは、あまり明るい表情にはなれない。


「お前さんも立場上、咲夜様や菊理様に着いていくんだろ? 気ぃ付けて、気張って来いよ」


「ええ。きっと、無事に帰って来ます」


「おうよ。で、ものは相談だがお前さん。雲外様にゃあ黙っててやるから——」


「うっ……い、いい果物ですね。今日の営業が終わった時に余ったもの全部、僕の名前宛てで城に届けておいてください。それじゃあ」


「おう! へへっ、まいどあり!」


 思いがけず高くついた口止め料。

 次回の給金支給まで足りるだろうか——そんなことを思いながらも、上からの懲罰を免れられるのなら安いものかと、ユウは飲み込んで先を急ぐ。

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