清司郎斬妖帖

野崎昭彦

薄闇の向こう側

 月の明るい夜だった。

 満月に近い、大きく明るい月に照らされた墓地。

 その片隅にあるいまにも崩れそうな堂の中で、赤城清司郎あかぎせいしろうは愛刀荒正あらまさかたわらに、ただひたすら時を過ごしていた。

 狭い堂内には魔を祓うという不動明王ふどうみょうおうの像が安置されているが、堂のれ具合を見るに、その加護があるかどうかは怪しいものだ。

「本当に今晩、来るのかしら?」

 おはるがぽつり、と呟いた。

 清司郎がお榛の方を見ると、彼女は堂の格子戸にそっと顔を近づけたまま、立て膝の姿勢で座っている。薄暗い堂の中で、烏天狗からすてんぐの扮装はすうっと浮かび上がって見える。丈の短い袴がめくれ、白い脚が露わになっていて、清司郎は慌てて目を逸らした。

「ね、どう思う、若先生?」

「そうだな……来るならそれで良し、来なければ、また明日もだ」

「それもそうね。早く来てくれると助かるんだけどなぁ」

 お榛は大きく欠伸あくびをした。眼鏡めがねの玉が空の月を写して白く光る。

「もう三日も張り詰めだもんね。いい加減出てきてくれないと、眠くて倒れちゃいそう」

「といっても、こればっかりは相手の都合に合わせるしかないからな……」

「んもう、そのくらいわかって……」

 言い返しかけたお榛はつい、と外に目を向けた。

 墓場の真ん中に、白いもやのようなものが集まり始めていた。

 それは青白い光を放ちながらゆっくりとまとまり、人の形を作っていく。

「あれは……煙なのか?」

「うーん、なんだろう……勿怪もっけには違いないんだけど、退治を頼まれたやつかどうか」

 そうこう悩む間にも、もやはどんどんとまとまっていき、白い着物に黒い洗い髪の女の姿にまとまった。

 まだ新しい土饅頭どまんじゅうに近付くと、卒塔婆そとばを引き抜き、掘り返し始めた。

「……当たり!」

「よし、行くぞ」

 清司郎は荒正を携えて堂を飛び出した。

 その音に反応したのか、女は墓あばきをやめて立ち上がる。

『けけけっ……みたな?』

 よどんだ眼が清司郎を見据える。

『みたな? みたな? みたな?』

「ああ、見た。だからどうした?」

 清司郎は荒正をしっかりと両手で握り、右肩の前で立てた。

 八双はっそうの構え、という。

『みたなみたなみたなみたなみたなみたなみたなみたなみたなみたな……』

 墨でも塗ったような真っ黒な唇から同じ言葉が繰り返し吐き出しながら、女はまっすぐにつかみかかってきた。

 清司郎は体をかわしながら、刀の柄で女の背を叩く。女は体勢を崩しながらも数歩走って、そこで向き直った。

『みたからにはいかしてかえせぬ』

 もう一度つかみかかってくるのをかわそうとした清司郎は、さっきまで女が掘っていた穴に足をひっかけ、地面に転がってしまった。

 そこに女が飛びかかってきて、清司郎の首を絞める。

 清司郎は右手の荒正を振ってなんとか女に当てようとしたが、なかなか思うように体が動いてくれない。

「若先生、なにしてんのよ!」

 出遅れたお榛がようやく駆け付けて、女の頭に錫杖しゃくじょうの一撃をお見舞いした。

 女は頭を押さえて地面を転がり回る。

「もう、平気?」

「ごほっ、ごほっ……なんとか、な」

 清司郎はなんとか立ち上がると、荒正をもう一度八双に構え直す。

 おりしも、女もまた立ち上がってきたところだった。

「でぇぇぇぇぇいっ!!」

 清司郎は、女につかみかかってくる暇を与えず、左肩から右脇腹へと袈裟懸けさがけに斬り下ろした。さらにもう一度、今度は右肩から左脇腹へ。

 斬られた女はよろよろと数歩後ずさると、そのままばったりと倒れてしまった。

 すると、みるみるうちにその姿はちりとなって崩れてしまう。

 後には、人の形に広がったひと山の塵だけが残った。

「……終わったか?」

「うん。もうこの墓場が勿怪に荒らされることはないよ」

「それはなによりだ」

 荒正を鞘に戻すと、清司郎は暴かれていた墓を覗き込んだ。

 早桶はやおけふたが、すでに半分ほど見えていた。

「あーあ、埋め戻してあげなきゃね。若先生、お願い」

 どこから見つけてきたのか、お榛がくわを手渡してきた。

「はぁ……まったく。それにしても、死人の骨をかじる勿怪か」

「長いこと病んでいた人が死んで勿怪になったのかもね。そういう噂があるの、知ってるでしょ?」

「ああ、どこの病だったか忘れたが、人の骨を砕いて、白湯さゆに溶かして呑むとかいう」

「たぶん、そんな眉唾な噂でも信じて試したいっていう人の暗い思いがあの勿怪を生み出したのよ」

「まったく、始末に負えないな」

 清司郎は穴を埋め戻しながらため息をついた。

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