第40話 覚悟が見えたら、きみの場合は?

 裏路地は薄暗く、しかし頭上の狭い空には快晴の青が広がっていた。六歩、七歩後ずさり、鶴屋はその場にうずくまる。緊張の糸はぷつりと切れたが、焦燥の糸は未だに強く張りつめていた。その差に思考がかき混ぜられ、脳でどうどうと渦巻いて、頭を抱えずにはいられなくなる。


 なんなんだ、なんなんだ、なんなんだ。どうして俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。「苦しんでいる子」を助けたいなら、弱い奴から順に助けるべきじゃないか。強い奴なんか、放っておいても居場所を見つけられるだろう。どうして俺はこんなに弱いんだ? 


 阿潟さんは俺を認めてくれた。戦っていると言ってくれた。だけどきっとそれは間違いだ。人生に立ち向かうなんて、聞いただけでも恐ろしかった。そんなことはできない。そんな強さを、手に入れられるわけがない。


 限界だった。鶴屋はとっくに限界で、その事実を、総長の言葉が気づかせた。踵も、腿も、額も脇腹も胃も肺もすべて、痛い。向き合ったアスファルトが滲む。ぱた、と軽い音を立てて、水滴が眼鏡のレンズを濡らした。それが涙だと分かって、情けなくて情けなくて、焦りが加速していく。


 駄目だ。ここで泣いている暇などないのだ。早く立ち上がって走らなくては。コジロウを探して、阿潟を救い出さなくては。しかし探しているうちに、コジロウがここへ来てしまったら? 入れ違いになってしまったら? それなら、このビルの前で待つべきなのか? 


 けれど今この瞬間だって阿潟は恐ろしい思いをしているかもしれなくて、想像はできないけれど彼女こそ泣いているかもしれなくて、だとしたら早く助けに、でも、そもそもどこにどうやって、「おい」


 頭上から突然、声が降った。反射的に顔を上げる。レンズの水滴がツ、と滑り落ち、声の主の姿を露にした。逆光に輝く金色が、鶴屋の瞳を鋭く刺す。


「ドアの前でうずくまるな。邪魔だ」


 凄むように言い、遠近は鶴屋の爪先を蹴った。かすかな衝撃にバランスを崩し、鶴屋は尻餅をつく。すみません、とすぐに立とうとするが、動作はよろよろと緩慢になった。わななく膝を宥めつつ伸ばすと、フン、と鼻息の音が届く。たったそれだけのことが、今は怖くてならなかった。


 なぜ遠近がビルから出てきたのか、総長は今どうしているのか、疑問を精査する余裕もなく、混乱にまた泣きそうになる。慌てて目尻を拭っていると、「なぁ」と再び呼びかけられた。


「侍を探しに行くんだろ」


「……はい」


 質問の意図は読めない。しかし、黙る勇気も嘘をつくエネルギーもなかった。目尻から指を離し、ドアから離れて前を向く。遠近は堂々と腕を組んでいたが、瞳をキョロキョロと泳がせてもいた。そうか、と打たれた相槌も、どこか落ち着きなく聞こえる。わけも分からず立ち尽くす鶴屋。その耳にぽつりと、ぶっきらぼうな声が届いた。


「見張っててやる」


 え、と声を出すこともできず、鶴屋は細かく瞬きする。何を言われたのか分からなかった。そんな困惑を察したのか、遠近は苛立たしげに頭を掻く。その仕草からはどことなく、気恥ずかしさが感じ取れた。素朴な両目が強く閉じられ、その下の口が「だから」と動く。


「侍がここに来ないかどうか、見張ってやるって言ってるんだよ。お前が奴を探しに行って、入れ違いになったらしょうがねぇだろ。で、奴が来たら少しは足止めしてやる。これで少しは安心だろうが」


 え、と今度は口に出せた。遠近はなお気恥ずかしそうに、爪先で地面を叩いている。何を言われたのかは分かったが、なぜ言われたのかが分からなくなった。鶴屋を援護する必要など、遠近には少しもないはずだ。涙に濡れていた目が乾く。混そうして少し落ち着いた頭で、鶴屋は言った。


「なんでそんなこと、してくれるんですか」


 地面を叩く爪先を止め、遠近は小さく俯いた。呻きと咳払いの中間のような息を吐き、それからジロリと鶴屋を見る。その目にサングラスはなかった。飾り気のない、どこか幼い顔つきのまま、遠近は再び口を開く。


「言っただろ、『やらねぇつもりなら絶対やるな』。それで、お前はやらねぇつもりだ」


 鶴屋は息を呑む。裏路地は薄暗く、遠近の髪の金色だけが晴れ空の光を反射していた。


「総長のお考えを俺は何にも聞かされてねぇ。だから言うが、この課題はたぶん、お前が無理してまでやるもんじゃねぇよ。こんなのに本気で縋るのは、相当な馬鹿だけだ」


 そう言う表情は重く、後悔の色を宿していた。鶴屋は固く拳を握る。遠近の言葉には、痛々しいまでの説得力があった。彼が自分を助ける理由を、言われるまでもなく察する。嬉しくはなかった。だが遠近の持つ悲しさが、鶴屋の背中を確かに支えた。


「あ、りがとう、ございます」


 鶴屋は頭を下げた。目に移る革靴にはいくつものシワが残っており、これまでの苦しみがくっきりと刻みこまれている。


 今、鶴屋が持っている靴はこれだけだ。この靴の重さからも、このシワからも、どのみち逃げられはしなかった。


「行けよ」


 遠近の声はもう落ち着いていた。しかし頭を上げてみると、その顔はまだ恥ずかしそうに歪んでいる。逸らされた目を軽く追ってから、鶴屋は走り出した。黒いアスファルトを靴底で叩くと、ゴ、と疲れた音がする。だが踵の痛みも、腿の痛みも、額の痛みも脇腹の痛みも胃の痛みも肺の痛みもすべて、気にしてなんていられなかった。


 足の裏に続く衝撃を感じつつ、脳を無理やり回転させる。コジロウのいそうなところ、阿潟を連れて行きそうなところ。いや、それでは見当のつけようがない。コジロウの性質など、鶴屋には大して分からないのだ。裏路地を虱潰しにしていては、時間がいくらあっても足りない。となればまずは、場所の候補を絞らなければ。……待てよ、その前に。


 立ち止まる。軽く呼吸を整えてから、隕石の欠片を取り出した。隕石にはまだ、小さな機械がついている。混乱のままここまで持ってきてしまったが、そろそろ対処するべきだろう。


 角にどうにか爪を差し込み、力任せに剥がそうとしてみる。が、鶴屋の貧弱な力では機械はびくともしなかった。爪を離し、角度を変えてもう一度試す。しかしどの角度から力をかけても、外れなかった。


 まずい。もういっそのこと、隕石ごと捨てていくしかないか? 考えつつ、欠片の表面を撫でてみる。隕石はやはり淡く熱を持ち、銀色の光を放ち始めた。その熱さと眩しさが惜しく、とても捨てられそうにはなかった。


 あり得ないことを引き起こす力。それは得難いものだと感じてね。総長の声が蘇る。自分が持っている唯一の力。だがそれを手放す覚悟のほうこそ、自分が持つべき力だろうか? 分からない。


 奥歯を噛みしめる。湧き上がる焦りを必死に抑えつつ、思考を止めないよう努める。


 そもそも、この機械は何なのだろうか? コジロウがあの坂にいたということは、位置情報を掴まれていた可能性が高い。ということは、これはGPSの類か。こちらの機械が発信機で、おそらくは、あちらに受信機があるはずだ。


 ……受信機?


 発信機と、受信機。小さく、高度で、複雑な機械。


 必死の回転を続ける脳が、ふ、と冷える。


 コジロウはカラクリに疎い。それが本当だとすれば、これは彼ひとりの仕業ではない。


 彼が誰かを頼るとすれば、その相手なんて決まっている。


 そして、その相手なら、コジロウの計画を聞かされているかもしれない。

 鶴屋は再び駆け出した。結局隕石は握ったままで、自分の弱さが嫌になる。だがせめて機械が追いつけないように、位置情報なんて掴めないように、持てる脚力のすべてを尽くして駆け抜ける。しかしそれでも、決して速いとは言えなかった。どうして自分はこんなに弱い? 悔しさがスーツの背にしがみつく。けれどもう、それも無視して走るしかない。


 角を曲がる。直進する。現れたT字路を左へ折れて、また直進。黒いアスファルトと灰色の壁、景色はまるで代わり映えせず、それでもどうにか迷わず進んだ。コジロウの家や総長のビル、それらに比べると馴染みは薄いが、忘れられもしない建物を目指す。


 そうして走るうちに少しずつ、裏路地の暗さが和らいでくる。日は高くなり、白い光が周囲の壁を照らし出していた。薄い染み、深い亀裂、ぼろぼろに割れたポリバケツからこぼれた空き缶、打ち捨てられたゴム手袋、陽光を浴びたそれらを通り過ぎて鶴屋は、表通りに飛び出した。


 踵で無理やりブレーキをかけ、傍らに建つマンションを見上げる。その入り口に飛び込むと、奥のエントランスから住人が出てくるところだった。開かれた自動ドアに飛び込み、続けてエレベーターに乗り込む。


 階数を指定し扉を閉じると、膝を休ませる間もなく上昇が止まった。軽く咳き込みつつ、扉を抜ける。共用廊下を走り、その突き当たりで立ち止まった。表札のない玄関扉。その下のインターホンを冷えた指で押し込む。


 ピンポーン。呑気な音の後、扉が開く。


「まぁ、来ると思ってたよ」


 扉を半分だけ開けて、天使が顔を出した。ふっくらとした唇が、愛嬌のある笑みに歪んでいる。その表情と彼の第一声が、鶴屋の「正解」を証明していた。


「コジロウさんの居場所、を、知りませんか」


 息切れのまま訊く。と、天使は艶やかな目で鶴屋を促した。誘われるまま玄関に入る。エナジードリンクのにおいが鼻に、扉を閉じる音が耳に刺さり、それらをおざなりに癒すように、パンフルートに似た声がした。


「知ってるよ」


 簡潔な答えに、鶴屋の緊張は高まった。長髪を揺らす侍の背が、もうすぐそこに見える気がする。加速する血流に急かされ思わず前のめりになると、天使の手のひらに制された。薄桃色の手の奥で、長い睫毛が美しく瞬く。


「でも、僕に頼むのはそれだけじゃないでしょ? 君の立場と状況、目的を鑑みれば、少なくともあとひとつは必ず、依頼すべきことがあるはずだけど」


 やや皮肉っぽいその口調が、鶴屋の脳を冷やした。依頼すべきこと? すぐには思いつけず、二秒ほど思考が混乱する。だが三秒目でハッと気づき、握ったままの隕石を一度だけ撫でた。凹凸の中の小さな「つるり」に親指を添わせる。


「じ、GPSを、外してください」


「そうだよね」


 そしてくるりと、天使の手のひらが回る。天井を向いていた指先が、玄関の床を真っ直ぐに指した。その動作の意味を鶴屋が理解するより先に、天使は言う。


「それじゃ、対価を支払ってくれるかな」


「対、価」


 空っぽの頭で繰り返してから、鶴屋は青ざめる。


 対価。そうだ、天使に頼むということは、そういうことに決まってるじゃないか。自分の浅慮に失望するのは、一体今日だけで何度目だ?


 天使が求める対価とは、果たしてどれだけのものなのか。予想もつかないが、とても支払える気はしない。息を潜めていた焦りが、ふつふつと勢いを取り戻す。そんな鶴屋の表情を見たのか、天使はふっと微笑んだ。華奢な肩を竦め、呆れたように首を振る。


「そんなに怖がらなくていいよ。それほど高額にはならないから」


「え……」天使の言葉を信用できず、鶴屋は首を縮める。「そう、なんですか?」


 その疑いに、天使はにっこりと微笑んでみせた。玄関扉に寄りかかり、愛らしい瞳で鶴屋を睨み上げる。


「コジロウからの依頼を受けて、君たちの事情は大まかに察したよ。細かいことを推察するには判断材料が不足しているけど、あえて幼稚に要約すれば、君たちは『追いかけっこ』をしている。となれば、君もいずれは僕を頼るだろうと思った。というわけであらかじめ、コジロウにも発信機を取りつけてあってね。でもこれはあくまで、僕が勝手にやったことだ。君が支払うのは、平たく言えば、『僕にコジロウを裏切らせる代』だけでいい。その他のことは考慮に入れず、好きな金額を言うといいよ」


 その語り口はどこまでも天使らしかったが、内容は意外なものだった。問答無用で高額の金を請求し、払えと笑顔で恐喝してくる……目の前に立つ青年には、そんなイメージを抱いていたのだ。が、驚きを顔に出すことはできない。天使はまだ、笑顔で鶴屋を睨んでいる。


「僕を守銭奴だって言う奴がいるけど、僕は金銭に執着しない。僕が執着するのは『対価』だ。物事の価値は対価で決まる。利益が上がればそれには価値があるってことだし、何の見返りも得られなければそれはまったくの無価値なんだ。感情論になってしまうけど、僕は価値ある仕事をしたい。それも、極力大きな価値のある仕事を。だからこそ僕はあらゆる場合で、多くの対価を支払ってくれるクライアントを優先する。……つまり」


 天使の指が、びしり、と鶴屋の鼻先を指した。


「コジロウよりも大きな対価を払いさえすれば、僕は君の味方につくんだ」


 桃色の人差し指の向こうで、天使は微笑みの質を変える。やはり愛らしく、それでいて不敵な表情に、鶴屋の背中は強張った。ひりひりとした緊張が喉を焼く。少ない唾液を呑み込んで、問う。


「コジロウさん、は、いくら支払ったんですか」


「四万円。どう? このくらいなら超えられるでしょ」


 軽やかな声で答えられ、鶴屋の舌は動きを止めた。天使は簡単に言ってのけるが、鶴屋にとってはなかなか大きな金額だ。そしておそらく、コジロウにとっても。


 侍の覚悟を改めて知り、肺を潰される心地がする。偽の指輪を作らせたときにも、侍は高額の金を払った。この課題に、コジロウは人生を賭けているのだ。


 何が何でも課題をこなし、総長の元に引き入れられる。そうして多くの人間に認められ、その証として財を手にする。侍はそう考えていて、おそらくは、それ以外の道を考えていない。その道を行く覚悟だけを、あまりにも固く決めているのだ。


 彼の覚悟を踏みにじる覚悟が、果たして自分にあるのだろうか。


「よん……いや、ご……じゃなくて……」


 口に出す数字の大きさは、心の揺らぎに合わせてぶれる。コジロウと比較した自分の強さを、はっきりと問われているような気がした。


お前はあいつに勝てるのか。あいつを上回れるだけの、精神の強度を持っているのか。どこからかそんな声が聞こえる。自信はなかった。自分がそれほど強いとは、とてもじゃないが思えなかった。


 弱いだけの理由も持ち合わせぬくせに。コジロウはそう言って鶴屋を笑った。彼には鶴屋より明確に、弱いだけの理由があったからだ。それでも彼は、鶴屋よりずっと強かった。「普通」に近づく努力をして、厳しい裏路地を生き抜いて、課題に向かう覚悟を決めていた。そんな侍に勝てる自信など、到底持てるはずがない。


 それでもコジロウに勝たなければ、彼の覚悟を踏みにじらなければ、阿潟を守ることはできない。


「あの、あ、あの」


 数字を引っ込め、言葉を探る。手の中の隕石をさらに強く握ると、凹凸が手のひらに食い込んで痛んだ。奥歯を噛みしめては緩めながら、勇気が声帯を震わすのを待つ。緊張はやはり喉を焼き、天使は無言の笑顔で鶴屋を焦らせる。


自信の足りなさと覚悟のなさと、いくつもの恐怖を抑え込みながら、鶴屋は長い数秒を過ごした。あの、を四度ほど繰り返し、隕石の硬さに手のひらが麻痺し、かすかに意識が遠のいてやっと、勇気が喉まで上がってくる。


「後払いでも、いいですか」


 天使の片眉がピクリと上がる。鶴屋はその顔を見ないように俯き、声を張った。速まる心音に掻き消されないように、持てる限りの力で。


「あ、後払いで、俺、就活生なので。内定もらって、初任給が出たら、そ、それでちゃんと、対価、支払うので! その……」


 俯いたまま隕石を仕舞い、天使に向けて両手を突き出す。パーにした右手とチョキにした左手、その両方の指先が、バラバラの細かさで震えていた。


「な、七万円!」


 そしてもう一度、声を張る。後悔と達成感が、同じ大きさで胸に迫った。指先をブルブルと震わせたまま、顔を上げることすらできない。


 言ってしまった。内定なんて手にできるのか、そもそもどうやって手にするのかもまだ決められていないのに、「初任給」なんて言ってしまった。


しかし、自分は言ったのだ。内定を得ると、就職して初任給をもらうのだと、はっきり声に出したのだ。自分の未来を信じる選択を、自分の口でしてみせたのだ。恐怖と喜び、どちらともつかない感情が胸に満ちる。


 コジロウの覚悟に対抗するなら、自分の未来を賭ける他なかった。これからどうなるか分からない、最悪の方向に進むかもしれない未来を、約束する。そうでもしなければ、侍にはとても張り合えなかった。


七万円。コジロウとの差は三万円。その額が適正かは分からない。しかし鶴屋にはその額が、コジロウに示せる意地の限界だった。


「なるほど」


 俯いた後頭部に、天使の声が降ってくる。続けてクスリと笑い声が聞こえ、鶴屋は震える両手を下ろした。こんな不確実な支払いが許されるのか、それが一番の問題なのだ。不安と共に視線を上げていく。眼鏡のフレームがじりじりと動き、天使の首から顎、顎から鼻、口元から目をレンズに収めて、止まった。


「不確実性は高いけど、そのぶん心理的な値打ちも高い対価ってわけだね」


 天使はその大きな瞳を、ギラリと強く輝かせていた。


「いいよ、たまにはこういうのも面白い。ただし支払いが終わるまで、僕は決して君を逃がさないよ。それでもいいのかな?」


 瞳の輝きが鶴屋を掴み、拘束する。膨らむ後悔から目を背け、鶴屋は静かに頷いた。


こうなればもう、とことん追い詰められるしかない。頭皮に滲む冷や汗も、走り続けた疲労の汗とすぐに見分けがつかなくなった。緊張に緊張が重なり続け、麻痺して感じられなくなる。しかし今だけは、その緩い痺れに救われた。


「君の勇気を称えるよ」


 そう言うと、天使は奥の部屋へと消えた。ビニール袋を蹴飛ばす音と空き缶が壁にぶつかる音、キーボードを叩く音をさせ、また玄関に戻ってくる。その手には、古い型のスマートフォンが握られていた。それを静かに差し出して、技術者はまた穏やかに微笑む。


「コジロウの位置はこれで把握できる。他のデータは入れてないけど、余計な操作をすればすぐ僕に通知されるからね。それとこの端末は、今回の件が片付き次第返却すること」


 鶴屋は「はい」と答えつつ、空いている手でスマートフォンを受け取った。電源ボタンを軽く押すと、液晶に地図が表示される。その中央に、赤色のピンが表示されていた。


「君からの情報送信は切断したから、もうコジロウに居場所はバレない。安心して彼を追うといいよ」


 天使の声はやはり軽やかで、そこに嘘があるとは思いたくなかった。鶴屋は深く頭を下げる。そうしてまた、扉の外へ駆け出した。

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