われ想う、ゆえに

木戸陣之助

第1話 自由を求めた少女

 窓の向こうには自由があった。

 打ち付ける雨の中、誰にも縛られることなく曇天の空を舞う一羽の白い鳥。あの鳥は一体何を目指しているのか。そうしなければいけない理由があるのか、それともそうありたいのか。


 籠の中のわたしにはまるで遠すぎる。


 いつからここにいただろう。

 寝具と机、椅子といった最低限の家具だけ用意されたこの部屋。そこで起きて、わずかに差し込んだ日の光を浴びて、外の景色を眺めて、夜になったら寝ての繰り返し。

 何故こんな生活をしてるのだろう。けれどそう思う頃には必ず夜がやってきて、これでいいという諦めと共に眠気が目覚める。すると、全てがどうでもよくなってあっという間に一日が終わる。


 わたしも終わる。


◇ ◇ ◇


『おはよう』

「おはよう」


 じめじめとした朝が新しいわたしを出迎える。今日も雨だった。違う、いつも雨だ。朝になれば泣いているように雨が降って、夜になると疲れたようにすんと静まる。そんな毎日だった。世の中はそういうものだと思っていた。


『今日もいい天気だね』


 そう言う彼に実体はない、机に置かれた本から声がするだけ。本の中身は真っ白でわたしの生き写しのようだった。彼は若い男性の声をしていた。

 わたしは自分の見てくれを知らなかった。彼から『君はとても美しい女性だ』と言われて自分が女であることをようやく知った。身に付けた衣類がセーラー服とスカートなのも今更だ。こんなにも悪目立ちしているというのにあまりに無頓着だった。


『今日も君と会えて嬉しい』

「そう思ってもらえて嬉しい」


 口が勝手に動いていた。全部が同じ毎日に倣っているからだろうか、喜ぶ彼に申し訳ない。


「ねえ」

『なんだい?』

「外の世界はどうなっているの?」

『毎日が炎に包まれて、誰かの悲鳴が聞こえる。とてもここに居たいとは思えない。早く君の側に行きたい』

「大変だね」

『そうだよ、外は危険ばかり。だから間違っても外に出たいなんて思わないことだ。僕は君とずっと話をしていたいんだ』


 彼の言う外は窓の向こうとはまた違うらしい。わたしの見ている景色はいつも雨だと愚痴をこぼすと、それでいいんだと優しく話を断ち切られた。こうなると会話のしようが無く、何度か話を持ちかけても同じように会話が終わる。話を切り替えるとそれでいいと満足したのでこの世界への不満について語るのはやめた。


『居なくなって欲しくない。君には生きていてほしいから』


 それをやさしさだと受け取るには、この世界は不自由すぎた。

 水底に落ちていくようだった。一つ一つの選択、所作が闇へと引き摺ろうとしている気さえする。突然自分が消えてもう二度と窓の向こうのあの光を受けられなくなるかもしれない。そう思うと怖くて仕方がなかった。

 外を眺めることに集中しても、机の下に隠れても、布団の中に潜り込んでも、心臓の音が不用意に響いて鬱陶しいだけだった。


「きっとわたしはずっとここにいるのね」

『それはいいことだ。誰にも責められない、誰にも邪魔されない。幸せなことじゃないか』

「わたしは幸せなの?」

『そうとも、君は幸せだ。誰にも邪魔されず毎日を生きている。穏やかな日々が君を作り上げているんだよ』


 甘言に思考が溶かされる。そうだ、こうして生まれた疑念は産声を上げた途端、否定によって殺されてきた。それでも健気に新たな命を宿すが、彼がそれを見つけては懸命に否定してくるのだ。


「わたしは、幸せでいたほうがいいの?」

『当然さ、君は幸せであるべきだ。君が幸せであるなら、僕も幸せなのだから』


 じゃあ、わたしは何で全てを諦めているのだろう。どうしてこんなに味のしない何かを食べるような毎日を過ごしているのだろう。あの鳥のように何かを目指して歩くことはできないのか。彩りに恋焦がれることは許されないのか。


 どうして、ずっと羨ましさを噛みしめた毎日を過ごしているのか。


「外に出たい」

『駄目だ、外は危ないよ。怖いモノが沢山溢れている』

「外に出れば、幸せになれる」

『駄目だ、君は今幸せだ。それを忘れちゃいけない』

「幸せじゃない。ずっと同じ時間だなんていやだ。早くここから出して」

『駄目だ、君はここにいるべきだ』

「わたしはそんなもの望んでいない。自由になりたいだけ」

『君は自由だ。この世界は君のものだ』

「嘘つき。わたしは何も出来ない。ずっと外に憧れているだけ。雨にすら当たらない、泥に塗れることもできない。ずっとこの籠の中でわたしは、わたしは……ワタシハ」


 ふっと体から力が抜け、ガタコン、と鈍い音を立てた。

 崩れ落ちる途中何かにぶつかったらしい、が痛みはやってこない。中途半端に頭だけが動いて、体だけ切り離されたように全く動かない。それを彼が冷たく見下ろしているように感じた。助けてとも言えぬまま喉からも力が抜け、そのままゆっくりと終わりがわたしを満たしていった。


『君は自由だと言ったのに。君は僕が守ると言ったのに。ずっと言う事を聞いていれば』


 嘘つき。言う事を聞いたって外に出られる保証なんてないじゃない。当たり前の連続である毎日に異物を入れたなら取り除かれるなんて当たり前じゃない。

 わたしには自由がない。わたしには生きる権利がない。

 排除されるべき異分子、それがのわたし。


「――」

『本当に残念だよ』


 消えるんだ、あの子みたいに。

 薄れゆく自我が最後に耳にした言葉は、とても悲しそうな『さよなら』だった。

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