第10話:陽毬とカラオケ③

 2人でカラオケに行ってから少し経ったあと。


『さよならは指切りのあとで』の円盤の特典で、陽毬が演じる山津やまづユリハがキャラソンを出すことになった。相変わらず、ゲストキャラとしては破格の扱いである。


 もう一つの特典である原作者の甘利あまり柚子ゆずさんが書き下ろしたボイスドラマと同日に収録となった。


 収録日の朝。


 北沢きたざわ家で朝食を作ってくれたということなのでご相伴しょうばんに預かりにいったところ、陽毬はいつもよりも少し元気がないような気がした。


「陽毬、どうした?」


「んー? 何が?」


「いや、なんかテンション低いだろ」


「そうかな? うーん、たしかに……そうかも?」


 自分のことなのに、自分のことじゃないみたいに曖昧な返事をする陽毬。


「今日の収録でなんか不安なことがあるのか?」


「わたしが?」


「他に誰がいるんだよ……?」


「うーん。どうなんだろうねえ」


 だめだ。要領を得ない。


 とはいえ、音響制作の俺が声優よりも後に入るわけにもいかない。


「先に行くぞ」


「いってらっしゃいれいくん。頑張ってねえ」


「頑張るのは主に陽毬そっちだけどな」





 到着して準備をしていると、ほどなくして、20代くらいに見えるメガネで茶髪でくせっ毛のショートボブの女性と、スーツの男性が入ってきた。


「えっと……」


「こんにちは、原作者の甘利あまり柚子ゆずです」


 と、女性の方は言った。


「ああ……!」


 そういえば、アニメ第一話の収録の時には家が遠いかなんかで来られないと言っていた。


「今日は収録立ち合われるんですね。歌の収録からですか? そういえば歌詞を書いたのも甘利先生でしたよね?」


「ああ、いえいえ。そんな、門外漢のあたしが歌の収録なんて見ても申し訳ないので……というか余計なことを言ってしまってもよくないので、ボイスドラマの方だけ」


「そうですか、せっかくだから記念にご覧になってもいいと思いますけど」


「いいんですいいんです」


 やけに低姿勢な甘利さん。たしかに原作者がアフレコに来るとちょっと厄介なのだが、そこらへんに理解があるらしい。


 と思っているところで、


「こんにちはー……!」


「あ、こんにちは北沢さん!」


 マネージャーさんと一緒に陽毬がやってきた。


 相変わらず、顔色が冴えないが、大丈夫か……?




 2畳程度のボーカルレコーディングブースに入った彼女は、ヘッドフォンをする。


「それでは、オケ流しまーす」


 エンジニアさんがオケ(ボーカル以外の音)を流す。が、しかし……。


「……あれ、北沢さん? 歌い始めてOKですよ?」


『……あの、すみません』


 彼女は申し訳なさそうに、挙手をして、伝えてくる。


アタシ・・・、歌えません』


「はい……?」


 ミキサーブースがにわかにざわつく。間の悪いことに、マネージャーさんはちょうど今電話をしにブースの外にいる。


「喉の調子が悪いですか?」


『いえ、そうじゃなくて……。この曲を歌っちゃったら、アタシ……』


 俺はそこで気が付く。


 今喋っているのは陽毬じゃない。


 役柄キャラクター——山津ユリハだ。


 そして、彼女がその先を言えずに下唇を噛んでいる理由にも思い当たった。


 この曲は主人公への片思いを歌った曲だ。


 しかし、作中で彼女はそれを否定し、『もう、あんたのコトなんか好きじゃないのよ、アタシ』と、主人公の背中を押したのだ。


 だから、この気持ちを言葉に、歌にしてしまったら、彼女はもうこの感情に飲み込まれてしまう。もう、前に進めなくなってしまうのだ。


「……甘利さん、建物の中にまだいますかね?」


「あ、はい……?」

 

 返事を待たずに、俺はブースの外に出て、彼女原作者に状況を説明するものの、「それで、あたしに何を……?」と首を傾げられてしまう。


「えっと、僕が聞きたいのは……」


 俺は、言葉を選び、その結果。


「ユリハは、主人公への気持ちを口にしてもいいんですか?」


 なんだかポエムみたいなことを口走っていた。


 しかし、甘利さんはその言葉で目を見開く。


「……北沢さんがその疑問を持ってるんですか?」


「陽毬……北沢さんがそう思っているというより……。えっと、とにかくミキサールームに入ってもらえますか?」



 甘利さんはミキサールームから、マイクを通して陽毬ユリハに話しかける。


「えっと、北沢さん」


「役名で話しかけてあげてください」


 これは、陽毬が憑依状態にあるかどうかには関係なく、アニメのアフレコ現場では通常なことだ。音響監督はキャストを役名で呼ぶ。


「そういうものなんですね……。えっと、山津……ユリハ」


『はい』


「歌えないんですか?」


『歌えないってか、歌ったら、その、これって……』


「……そっか」


 ふ、と甘利さんは少し微笑む。


「……歌っていいんだよ」


『え?』


 いつの間にかタメ口になった甘利さんが、そっと伝える。


「その気持ちを口にするのが怖いのは、分かるよ。だけど、その気持ちがどれだけ大切か知ってるからこそ、ユリハはその背中を押すことに決めたんでしょ?」


 甘利さんは熱っぽく続ける。


「それこそが、あなたがした覚悟なんだから」 


 やがて、陽毬ユリハは目を閉じる。


『本当の気持ち、それがあるからこそ、背中を押す……。覚悟、か』


 そして目を開いた彼女はまるで別人で。


『そっか、自分アタシに嘘はつけないってわけね……』



 今しかない。



「オケを流してください」



 差し出がましい真似だと思いつつエンジニアさんにお願いをして、


「は、はい」


 オケが流れると、イントロの後、彼女・・が歌い始める。


 そこから。


 俺たちの視界に夕暮れの校舎と、彼と彼女の並んだ背中と、長く伸びた影が浮かび、そして、その景色が涙で滲んでいく。


 狭いブースにいるはずの彼女の歌は、何千キロ先にも届くような響きで、それでいて、すごく近くから心に直接語りかけるようで。


「……あたし、ユリハと話せる日がくるなんて思いませんでした」


 甘利さんが目尻を拭いながら微笑んだ。


「とんでもない声優さんですね、北沢陽毬さんは……。悔しいけど、天才はいるってやつですね」


「……本当に、そう思います」

 




 また、数週間後のこと。


「どうしよう伶くん!」


 再び俺の部屋の扉が叩かれる。


「今度はどうした?」


 今日は配信なかったはずだけど……。


「今マネージャーさんから連絡あって、この間のユリハちゃんの歌が良かったからって、瑠璃さんの番組のカラオケコーナーにゲストで呼んでもらっちゃった……!」


「おう、頑張ればいいじゃん」


わたし・・・は歌上手くないんだよー!!」


 泣きついてくる陽毬。


 そのカラオケコーナーでも、また一波乱あるんだろうなあ……。

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