53話 朝食会と美味しい仕事


「おはようございます、皆様。……あら? シレーネ大叔母さんはいらっしゃらないのですね」


朝食用の小食堂は相変わらず使用人が多く立ち働き、高い天井に薄い湯気が淡く立ち上っている。

けれど、普段ぞろぞろと侍女を連れている一角がぽっかりと空いているので、妙に静かな印象を受けた。


「シレーネ様でしたら、朝早くから城下町へ降りて行かれましたよ」


そう穏やかに教えてくれるアメリの胸元には、私が贈った羽根の形をした銀のブローチが誇らしげに飾られている。

根元にあしらわれた小粒のダイヤモンドが、庭を映す窓からさしこむ朝日に明るく反射した。

彼女に椅子を引いてもらい、足置きを踏んで座った私は頬に手を当てて呟く。


「あの方が朝食会を欠席するなんて、珍しい」


シレーネ大叔母さんに会わせたい人が城下町に来ているのだけれど、これは直接行った方が早いだろう。


「代わりに、私が新作の料理を披露するんだ。夫婦としての礼儀は果たしているだろう」


ショーン大叔父さんがそう言って侍従に視線を送り、侍従は使用人に指示を出し、一斉に長机に料理を並べた。


揚げ物にホワイトソースが掛かった皿と、こんがり焦げた香草とパン粉が入った楕円の器。それから、花の形の小さな包み焼き。

どれも美しく盛られて見た目もいい上、揚げ物の匂いがかぐわしく伯爵家の食卓に相応しい。

けれど、新作というだけあって、ぱっと見ただけでは味が想像できない。


「なんか、意外に料理にはまってるよね、彼」


空いた椅子の上でわざわざ位置を調整して浮いて、ポーズだけでくつろいでいたウィルがくすくすと笑う。


からあげ、餃子、グラタン。

とりあえず手始めに冷凍したら便利そうで、比較的手に入りやすい材料のレシピを教えたら、ショーン大叔父さんは最初こそ驚いていたものの、意欲的にアレンジを始めたのだ。


私はお祖父様の声に合わせて食事に感謝の祈りを捧げつつ、わずかに微笑みながら頷いた。


「日々の糧を食物の白き雲神に、日々の平和を赤き軍神に感謝いたします」

「感謝いたします」


そう唱和して、並べられた料理を切りわけて口に入た私は、新作料理のおいしさに、ぱあっと顔を輝かせた。


茶色い揚げ物は、ホワイトソースがたっぷり掛かったからあげ。

山ほどの香草とパン粉を乗せて焼き上げたグラタンの中身は、オリーブ油をたっぷり使って焼きあげた川魚とソーセージ。

からりと揚がった餃子には、林檎とチーズが入っている。


「おいし……」

「おいしいです、お父様!」


声をあげる前に、アースが大きな声を上げた。

私の話を遮る無礼に、アメリが軽く眉をひそめたのが分かったが、ショーン大叔父さんは気付かなかったようだ。


「おお、そうか。よかった。どれが好きだ?」

「全部好きです!」

「そうかそうか。こっちのグラタンはな、スペラード風に香草とソーセージを多く使ってみたが、この包み焼きの林檎とチーズは、私の故郷でよくある組み合わせなんだ。大いに食べなさい。今日も訓練だろう?」

「はい! おかわりしていいですか!」

「もちろんだ」


素直な賞賛に、ショーン大叔父さんがでれでれと笑み崩れる。


実際、彼が作った料理は美味しかった。

からあげに掛かったホワイトソースは、ミルクの味が濃くてからあげの強さに負けていないし、二度揚げしたのか衣がさっくさくだ。

グラタンは香草がさわやかで、川魚の白身がほろほろと口の中でほどける。

餃子はほぼ原型がないけれど、林檎とチーズの組み合わせは、甘みと塩気がちょうどよくて、意外なほど美味しかった。


大きく膨らんだお腹を見て分かる通りの美食家であるショーン大叔父さんには、料理を作るというのは、意外と向いていたのかも知れない。


「お母様にも食べさせてあげたいです」


言葉通りにからあげのホワイトソース掛けをお代わりしながら、アースが呟いた。

私にとっては意地の悪いアースでも、こういう所は素直に子供らしい。


「そうだな。今は忙しいだろうが、夕食には戻ってくるはずだ。一緒に食べよう」

「シレーネ大叔母様は、どちらにおいでなのですか?」


父との会話に私が入って来たのが嫌だったのか、アースが急にむすっと黙り込んだ。

けれど、ショーン大叔父さんはちょっとアースを気にしながらも、私へ顔を向ける。


「買い取った造船所を見に行くと言っていたな。気になるのならば、後で地図を届けさせよう」

「ありがとうございます」


アースがぎょっとした顔で父親を見たが、既にショーン大叔父さんは食事に戻って涼しい顔をしていた。


「いや、気にするな。ユレイアのお陰で私も十分に儲けさせてもらっているんだ。いつでも、何でも聞きなさい」


ほくほく顔のショーン大叔父さんに、私は苦笑した。

どうやら彼は、都合が良くなったら頭を下げ始める浅はかな親戚のふりをする予定らしい。


「レシピの評判はいかがです?」

「ああ。ユレイア帰還を祝う祭りの時に、ほどこしで振る舞ったのがよかったな。そこそこ値が張るっていうのに、商家の料理人や食堂の店主がこぞってレシピを買いにきたぞ」


権利を領主一族から買い取れば自由に店でも作れるという制度を提案したウィルが

「よかった! 特産品にしたかったんだよね。まだ領地外の人には売っちゃ駄目だよ」

と嬉しげに頷いている。

幽霊の声はちっとも聞こえていないのに、ショーン大叔父さんはにんまりした。


「城下町に降りるなら見て来るといい。どの店も行列が出来てるからな。後続で出した私のレシピも、まあよく売れる」

「では、城下に行くついでに見て参ります。お祖父様、昼頃には戻ると思いますが、どこか名代として挨拶するべき場所はありますか?」


今まで黙って食事をしていたお祖父様は、わずかに目元をゆるめると静かに言った。


「今日でなくとも良いが、鉱山長のところには行っておくといい。話はしてある」


これは、新しい顧客を見つけておいたから、自分の力で売りつけてこい、ということなのだろう。

それにしても、話を通してくれるだけでもありがたい。


「もちろん、伺います」


私は微笑んで頷き、ウィルが「あ、確かに採掘場でこの味が食べられれば、鉱夫は喜ぶだろうね」と納得している。

置いて行かれていっているのはアースだ。

信じられないような顔で父を見たり、祖父を見たりしながら、それでも食欲には逆らえないのか林檎とチーズの包み焼きを旺盛に口へ放り込んでいる。


「アースは、訓練の後の予定は決まっていなかっただろう。午後にまた試作をする。お父様と味見でもするかい?」


ショーン大叔父さんに優しく言われて、アースは少し悩んでから首を横に振った。


「その……先生に頼んで、午後も訓練を増やしてもらおうかと思っています……」

「えっ?」

「うそでしょ!?」


計らずとも、ウィルと私の声が重なってしまった。

あの怠け者のアースが!? 

体型だけは完全にショーン大叔父さん寄りのアースが!?


確かに、私が戻ってきてから、騎士見習いの訓練は逃げなくなっていたみたいだけど、それって、むしろ逃がして貰えなくなっていたからだと思ってたのに!


呆然とする私をよそに、ショーン大叔父さんはちっとも驚かずに、むしろ寂しそうな顔で頷いている。


「そうか。そうしたいのか。なら頑張るんだぞ。夕食はまた、お父様が新しい試作を作ってやろう」

「うん。食べたいです」


珍しいな、という顔をしているのはむしろ、お祖父様の方だ。

軽く眉を上げてアースを見て、低く尋ねた。


「訓練は、どうだ」


とたんにアースは顔を真っ赤に紅潮させて、真っ赤な風船のようになりながら目を輝かせた。


「はい! 昨日より今日、今日より明日と邁進しています!」


空になった皿を吹き飛ばさんばかりの勢いに、私はちょっと身を引いた。

ちょっと前まで、どちらかというとお祖父様のことは怖がっていたのに、何だか最近妙にキラキラした憧れの目で見ている。


「そうか。……弓と剣、どちらが好きだ」

「よく褒められるのは剣ですが、好きなのは弓です!」

「そうか。どちらも必要だ。馬はどうだ」

「馬は一番苦手ですが、諦めずやっていきます!」


いちいち応える声が大きくてやる気に満ちていて、ややうるさい。


アースって、こんな暑苦しい感じだったっけ? どっちかって言うと、もっと甘ったれた感じだったと思うけど。


私は首をかしげながら、林檎とチーズ入りの包み焼きをかぷりと囓った。


あ、美味しい。


* * *


朝食を終えてすぐに、私は幼い侍女イヴリンと、護衛騎士バーナードを伴って黒翼城を出た。アメリはやるべき仕事が多いのでお留守番だ。


城下へ出れば、本当にショーン大叔父さんの言うとおり、食堂に行列が出来ていた。

目抜き通りに面した場所に店を出せるということはそこそこの高級店なのだろうが、そんなに裕福にも見えない人まで、わいわいと仲間同士で雑談しながら順番を待っている。朝もやや過ぎたところなのに、かなりの盛況ぶりだ。


あっちの味も確かめてみたいところだが、残念ながら目的を果たしてからだ。

私は、バーナードの部下である新入りの騎士に頼んで人を呼びに行ってもらうと、馬車をそのまま走らせて賑わう目抜き通りを抜けた。

巨大な壁に空いたいくつかの関所をくぐってゆるい坂道を下った後、馬車はゆっくりと速度をゆるめる。


「ユレイア様、着きましたよ」


そう言って、地図をベルトに挟み込みこんだバーナードが扉を開けてくれる。

私は彼の手を借りて黒い石畳に降り立ち、大きな建物を見上げた。


シレーネ大叔母さんが購入したと言う造船所は、スペラード伯爵領のほとんどの建物と同じく、水路沿いだった。

巨大な水車がいくつも並んでいる。

二階建ての建物とほとんど同じ高さの車輪がいくつも回転していて、車軸の真ん中から伸びた木の板は建物の中に吸い込まれて消えていた。


水路をまたぐ小さな橋の向こうに扉があり、造船所を示す看板の下に立っているのは、シレーネ大叔母さんがよく連れ回している女性の護衛騎士だ。


橋を渡って微笑むと、護衛騎士は私の顔を見るなりうやうやしく頭を下げて扉を開いた。

来ると言っていなかったけれど、顔を見るだけで分かってくれるなんて、とても助かる。


「ご苦労様。ありがとう」


微笑んで造船所の中に入ると、木の匂いと埃臭さがもわっと鼻の奥に広がった。


技師達の槌の音やノミの音が、でたらめなコンサートのように高らかに響き、あちこちで怒号が飛び交っている。

壁沿いには大きな木製の機械が並び、ぎいぎいと音を立てながら絶え間なく動いていた。

ゴールテープみたいに横幅の広いのこぎりが、水車を動力にして一定の速さで左右に揺れているのだ。

どうやら巨大な板を切り出す裁断機らしい。ロープにくくられた巨大な丸太が数本、のこぎりに押し当てられたままじりじりと薄く上の部分を削がれて、ゆっくりと均等な大きさの板材になっていく。


その周囲を忙しく働く人の中に、一人だけ身なりの良い女性がいた。

誰よりもよく響くキンとした声で、けれど一番冷静に指示を出している。


「シレーネ大叔母様」


珍しく熱中していたのか、声をかけるまで彼女は気付かなかった。

驚いた顔をして振り返り、演技をするべきか一瞬迷って、結局むすっとした顔で腕を組む。


「なんでしょうか?」

「助けてくださったお礼をしなければいけないと思って、色々考えていたんです」


造船技師はそれぞれの仕事に熱中し、板を切り出す機械は常にのこぎりの音を響かせてやかましい。

こんな状況ではきっと、シレーネ大叔母さん以外に聞こえることはないだろう。


「ショーンが代表してもらったものだと思っていましたわ」


それが分かっているのか、表情だけは小馬鹿にした風を装いつつ、彼女の声は静かでうやうやしかった。

器用というか、熟練の業なのだろう。ここで働いている人達と同じように。


「まさか。私達を助けるために、竜頭湖まで徹夜で飛んできてくださったのですもの。少し時間がかかりましたけど、ようやく準備が出来ました」


興味深そうな表情をわずかに浮かべたシレーネ大叔母さんに、私は胸に手を当てて微笑んだ。


「新しい船を、新しい航路に乗せてさしあげます。私ならば、今まで行けなかった西方大森林の奥まで、妖精に惑わされずに向かうことが出来るでしょう?」


まさか、と即座にシレーネ大叔母さんの眉が跳ね上がる。


「今まで関税を支払って使っていた西方大森林の迂回路ではなく、真ん中を抜ける新しい航路の地図を作る気ですか?」


やはりこの人は理解が早い。

私は大きく頷いた。


「ええ、それでショーン大叔父様が作った食事が、より早く遠くに運べるでしょう。今はまだ、凍らせる技術は研究中ですけれど、そう時間はかからないと思います。夏になれば、氷の需要もあがると思いますし、きっと今後参入したがる商家も多いはず。真っ先に航路を開拓して、スペラード伯爵領内で関税を取ってやりましょう」


関税のあたりは、ウィルと話し合って決めたことだけれど、シレーネ大叔母さんを感心させることは出来たようだ。

航路の権利、と彼女は呟いて、感嘆に近いため息を小さくついた。


「なるほど。随分と豪勢な贈り物ですね」

「ああ、贈り物はそれではないのです。だって、領内の関税をいくら取ったって、シレーネ大叔母さんへの直接の贈り物とは言えないじゃありませんか」

「スペラード伯爵領が潤えば、直接私にも利益があるでしょう」

「それじゃあ、支払いが遅すぎます。私の贈り物は、もっと別のものですよ」

「別の……?」


彼女がけげんな顔をしているのが少し誇らしかった。

先手先手を読むシレーネ大叔母さんの意表をつけたのなら、だいぶ嬉しい。


「来たよ、ユレイア」


ウィルに耳打ちされて振り返り、私は微笑んだ。

華美な服を着た商人が、造船所を騎士に案内されつつこちらに近づいているのが見える。


「お呼びしていたんです。シレーネ大叔母様がこちらにいらっしゃると聞いたので、わざわざ移動していただいたんですよ」


シレーネ大叔母さんの眉間に、急にすさまじい皺が寄った。


「あれがお礼?」


冷え冷えとした声に、私は深く頷いた。


「はい。御存知ですよね。あちらの方は、フェネストラ商店の店主。シレーネ大叔母様のお父様です」

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