第17話「対面」

 空が橙色と黒色の2色に染まり始めた頃。買い物から戻ったレオナルトは、屋上に続く階段を上がっていた。

 階段を上がった先に、彼が気になっている女性—アデリーナがいる。厨房にいたユリコから、アデリーナは屋上でタバコを吸っていると聞いたからだ。

 階段を上がりきり、ドアの前に立つ。レオナルトは逸る気持ちを押さえるように、目を閉じて深呼吸をする。

「よし。行くか」

 そう自分に言い聞かせ、ドアを開ける。ドアを開けた途端、夕暮れ時の冷たい風が吹きつけてくる。

 レオナルトは正面に目を向ける。その先には柵があり、そこに寄りかかる男女がいた。2人の足元には、灰色のバケツが置かれている。

 そのうちの1人、ダヴィドがこちらに気づくなり手を振ってきた。

「おー、レオ。お疲れさん」

「ん?」

 こちらに背を向けている女性、アデリーナが振り返る。そして、レオナルトの姿を見るなり、目を見開く。

「…レオナルト?」

 アデリーナは彼の名前を呟き、その場で固まる。

 レオナルトはその場に立ち尽くし、目を見開く。

--間違いない。あの人がアデリーナさんだ。

 レオナルトはすぐ分かった。彼女の顔立ちは、手配書に載っていた似顔絵通りだったからだ。

 彼女の服装は、白シャツの上に黒のロングコート。茶色の革ベルトが巻かれた黒い長ズボンに腰部分には、剣が差し込まれている。

 髪型はボーイッシュな短髪で、艶やかなピンク色が目を惹く。そして、凛々しい緑色の双眼に、ピンクの眉と特徴が多い女性である。

 アデリーナはレオナルトに近づいて行く。そして、あと一歩という距離まで達した時、顔を上げて目を合わせる。

「本当に、レオナルトなのか?」

 アデリーナは恐る恐る尋ねる。彼女には未だ信じられなかった。ずっと探していた人物と、こんな形で再開するなんて思いもしなかったからだ。

 信じられないとでもいうような目で自分を見つめる女性。レオナルトは戸惑いながらも、声を振り絞る。

「あなたがアデリーナさん?」

「っ!」

 アデリーナが驚きの反応を見せる。それから表情を曇らせ、目を細める。

「本当に、何も覚えてないんだな」

「…僕は、あなたと前に会ったことがあるんですか?」

「…」

「はっきりと覚えていないんです。でも、新聞であなたの手配書を見た時、なんだか似たような人に会った気がしてならないんです」

 レオナルトは緊張しながらも答える。しかし、アデリーナは俯いたまま、黙っている。

 しばしの沈黙が流れる。レオナルトは気まずさを覚えながらも、相手からの返答を待つ。すると、俯いたままのアデリーナがぽつりと呟く。

「…アドラ戦争」

「え?」

「"アドラ戦争"。この言葉に聞き覚えはないか?」

「…?すみません」

 レオナルトは首を傾げ、謝罪する。すると、アデリーナは顔を上げ、何かを期待するような眼差しを向ける。

 アデリーナは残念な気持ちでいっぱいだった。これ以上はもう止めよう、頭の中でそう呼びかける声が響く。しかし、どうしても諦めきれない気持ちがあり、わずかな可能性に賭けたくなった。

「"フリュークス"。これはどうだ?」

「すみません。どこですか?」

「"レヒトゲル"はどうだ?」

「ええっと…」

 レオナルトは困惑し、答えに言い淀む。それと同時に、少し恐ろしくなる。目の前の彼女が食い気味に尋ねてくるのと、表情が危機迫っているように見えるからだ。

「どうだ?これでも何も思い浮かばないか?」

「すみません。何も出てこないです」

「どういうことだ。どうして何も…」

「はい、ストーップ」

 ダヴィドは彼女の肩を掴み、制止を呼びかける。彼は2人が話に集中している間に、側まで近づいていた。そして、アデリーナが冷静さを欠いているのと感じ取ってすぐさま、待ったをかけたのである。

 アデリーナは右後方に振り返る。そして、ダヴィドに咎めるような目を向ける。しかし、彼の寂しげに微笑む表情を見て、正気に戻る。

「ダヴィド…」

「そう熱くなるなよ。相手が困ってんだろ?」

「…」

 アデリーナはレオナルトに向き直る。困惑した表情で見つめる彼を見て、冷静さを欠いていた自分を恥じる。

「…すまない」

「いえ、大丈夫です。こちらこそすみません。あなたの期待に添えなくて」

 レオナルトは深々と頭を下げる。

 悪いのは、無理に追求し続けたこちらなのに。自分に非があるとでもいうように謝る彼を見て、アデリーナは表情を曇らせる。

 レオナルトの背後にあるドアが急に開かれる。レオナルトたち3人は驚き、そこへ目を向ける。

 ドアを開けたのはノアであった。そして、アデリーナの姿を見るなり、目を輝かせ始める。

「アデリーナ姉さん!お久しぶりです!」

 そう明るく告げると、背筋を伸ばして姿勢を正す。彼の姿を見るなり、アデリーナは小さく微笑む。

「久しぶりだな、ノア。いい子にしてたか?」

「もちろんです!僕はいつだって悪から人を守り、あなたに永遠の忠誠を誓う騎士ですから!」

「そうか。それは良かった」

 誇らしげに語るノアに、アデリーナは頭を撫でる。彼は頬を赤くし、表情を明るくする。

 レオナルトは少し面食らっていた。ノアがそこまで、アデリーナが好きだったなんてと。

--好きな人の前では、こんなにも態度が変わるんだな。

「全くだよな」

 ダヴィドはレオナルトの肩に手を置き、そう呟く。レオナルトは少しドキっとしながら、彼を見つめる。いつの間に側まで来ていたのかということに加え、考えを見透かしているようなセリフに驚いたからだ。

「ダヴィドさん」 

「長年ずっと留守にしてた飼い主に大喜びしてる犬みてぇだよな」

「犬…。確かに、そう見えますね」

 レオナルトは吊り上がりそうな口角を引き締めながら呟く。ノアの姿が、ダヴィドの言った通りに見えてきたからだった。

 ノアはアデリーナに歓喜の目を向けたままでいる。すると、名残惜しそうに寂しげな表情を浮かべる。

「アデリーナさん。残念ですが、僕は夕飯の準備に戻ります。しばしの別れです」

「大袈裟だな」

「少しでも長くいたい僕には、辛いことですよ」

「分かった。後でたくさん話を聞くから、辛抱してくれ」

「承知しました!さ、レオ。君も行くよ」

「え?」

 話に巻き込まれたレオナルトは驚く。すると、ノアはレオナルトにむっとした表情を向ける。

「『えっ?』じゃないよ、全く。少しでも早く始められるようにしなくちゃ」

「は、はあ…」

 レオナルトは呆気に取られ、困り顔を浮かべる。そんな彼をよそに、ノアは右腕を引っ張って中に連れ込む。そして、アデリーナに笑顔を向ける。

「というわけで、アデリーナさん。また後で!あ、ダヴィドもね」

「ああ」

「一応見えてたのね、俺のこと」

 ダヴィドは苦笑いを浮かべながら、ノアに手を振る。ノアは空いている方の手で振り返すと、ドアを閉めた。

 その場に取り残されたアデリーナとダヴィド。ダヴィドは、コートのポケットからタバコとライターを取り出す。そして、着火と共に吸い込んだ紫煙を吐き出すと、アデリーナに声をかける。

「アデリーナ」

「何だ?」

「俺が言うのもなんだけど、焦んなくていいんじゃないか?」

「…簡単に言ってくれるな」

 アデリーナは俯いて返す。

 ダヴィドは紫煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出してから続ける。

「気を悪くしたのなら、許してくれ。だが、無理に思い出させようとすれば、精神が壊れちまうかもしれねぇ。

「…」

「あいつは自分が"超越者エクシーダー"だということを知らなかった。しかも、自分の異能が何なんかも分からない」

「テオドールから最初に聞いた時は、とても信じられなかった。一体何が、彼をそうさせているのか…」

「さあな」

 ダヴィドは吐き出した紫煙が消えていく様を見つめながら、呟く。

 アデリーナの心中に、晴れない気持ちが現れる。そして、顔を俯いたまま、寂しげな笑みを浮かべる。

「…悲しいものだな。死線を共にした友に忘れられるというのは」

「本人はそんなつもりないだろうさ。俺の予感だが、これからの戦いで思い出していくだろうよ」

「…そうだな。そう期待するよ。彼の力は、今後の命運を分けるほどだからな」

 アデリーナはコートのポケットからタバコを取り出し、口に咥える。

 ダヴィドは手に持ったままのライターで火を起こす。その火でアデリーナのタバコに着火させると、彼女は空に向かって紫煙を吐き出した。





 屋敷2階の食堂は、活気に溢れていた。テーブルの11席には団員全員が座り、和気藹々と食卓を囲んでいるからだ。

 それぞれの席に、ユリコが作った料理らが並んでいる。牛肉や玉ねぎ、じゃがいもなどをトマトソースで煮込んだスープに、仔牛のカツレツ。そして、ナッツやドライフルーツが入った一切れサイズの菓子パンといったデザートまである。

 席の端に座るレオナルトは、黙々と食事をする。そして、一通り味わった後、周囲を見渡し行く。

 正面の席はノア。しかし、彼は席についておらず、赤ワインを片手にアデリーナの側に立っている。笑顔を浮かべる彼の頬は赤く、身体がゆらゆらしている。

 見るからに酔っている彼を、優しげに見つめるアデリーナ。彼女は、レオナルトの真反対である端の席に座っている。そして、微笑みを浮かべながらノアの話に耳を傾けている。

 その様子を微笑ましく見ているのは、テオドール。彼はアデリーナから見て一つ右、テーブルに一つしかない短辺の席に座っている。そして、ノアの様子を面白可笑しく見ながら、赤ワインを口に含んでいる。

 レオナルトの対角線に座るのは、ダヴィド。アデリーナの正面に座る彼は、グラスの白ワインを早いペースで飲み進めている。

 彼の席にあるワイン瓶の中身はすでに、あと一口ほどしか残っていない。しかし、その割には顔は紅潮していないし、ノアのように身体をゆらゆらする動きを見せない。いつもと変わらない陽気な姿のままである。

 いつも通りのダヴィドと話すのは、右隣に座るアルフォンス。彼の表情は相変わらず固いものの、時折小さな笑みを浮かべている。

 レオナルトは正面に向き直る。そして、ノアの隣に座るクラウスを見る。彼は仔牛のカツレツを頬張っている。

「うん!やっぱり、最高だな!」

 クラウスは手を止めることなく、賞賛の声を上げる。その様子を正面から見つめるエルザは、頬を赤めながら笑う。

「あっははは!さすが、クラウス。いつ見ても、惚れ惚れする食いっぷりだねー」

「ふふ。作った甲斐がありますよ」

 そう微笑むのはユリコ。彼女はエルザの右隣に座り、優しげな笑みを浮かべている。

 エルザとユリコの間には、ナタリーが座っている。彼女は正面に座る男と親しげに話している。その男は、レオナルトがまだ会っていなかった団員—ボリスである。

 ボリスの服装は白シャツの上に、黒のインナーベスト。茶色のズボンに黒の革靴といった格好は、執事のように見える。

 髪色は薄紫色で、センターパートに整えられている。左耳には青い宝石のイヤリング、そしてキリッとした青い双眼といった特徴である。

 ボリスと話しているナタリーの顔は明るい。いつも不機嫌そうに顔を顰め、刺々しい言葉を吐く彼女からは想像できない表情。レオナルトには、その姿が新鮮に見え、貴重だとさえ思った。

 ナタリーと親しげに話しているボリス。すると、レオナルトに視線を変えて、話しかけてくる。

「なあ、君」

「はい」

「君が、レオナルトだよな?お嬢から話は聞いてるぜ」

「はい、そうですが。…ん?お嬢?」

「ああ、そうか。そういえば、自己紹介がまだだったな。すまんすまん。俺はボリス・リーシン。会えて嬉しいぜ、レオナルト」

「改めて、僕はレオナルトです。こちらこそよろしくお願いします。ボリスさん」

 レオナルトは頭を小さく下げ、挨拶を交わす。

 彼はボリスに対し、好印象を抱き始めていた。挨拶したばかりではあるものの、彼の柔和な顔と落ち着いた話し方から、そう感じざるをおえなかった。

--てっきり怖い人なのかと思ってたけど、優しそうな人で良かった。

「お嬢ってのは、ナタリー様のことだ」

「ナタリー様?えっ?」

「俺はバシュラール家に仕える護衛の一族でな。昔からナタリー様に仕えているから、長い付き合いなんだ」

「ってことは、本物のお嬢様?」

 レオナルトは驚きながら、ナタリーへ視線を向ける。彼女は疑うような細い目を向けるなり、口元を歪める。

「何よ。そんなに信じられないの?」

「いや、そういう意味じゃなくて…」

「あっははは!急にそんなこと言われたら、びっくりするよな」

 ボリスは快活に笑い、グラスの白ワインを口に含む。

 一方のレオナルトは、まだ驚いたままでいた。ナタリーが本物のお嬢様で、しかも長年の護衛まで付いているなんてと。

 団員たちのことを知る度に驚いたり、新たな一面が見れて嬉しく思うことがある。それと同時に、レオナルトには羨ましくも思う。彼らはちゃんとした記憶があって、他人に自分のことを知ってもらえるんだと。

 思い出せずにいることに、不安を抱き始める。思い出すきっかけだと思っていたアデリーナに会っても、何も浮かび上がらなかった。

 彼女が口にした3つの言葉。"アドラ戦争"、"フリュークス"、"レヒトゲル"。これらは関係が深いものなのだろうが、耳にしても結果は同じであった。

 暗い感情を抱き始めるレオナルトの耳に、テオドールの声が入ってくる。

「みんな、少しいいか?」

 テオドールは赤ワインを片手に、席を立っている。彼の一声により、皆が一斉に注目する。

「何回も言っているだろうが、団員全員が集まることはそうそうない。だから、いいな?この場を精一杯楽しめ!」

「おおー!」

 レオナルト以外の団員たちはグラスを掲げ、明るい返事をする。その光景を前に、テオドールは優しく微笑んだ。

 その場を見て、レオナルトの頭に一つの考えが浮かび上がる。

--そうだ。今はただ楽しむんだ。二度と忘れられないような記憶にするために。

 そう考えるなり、近くにあるワイン瓶を取る。そして、豪快にラッパ飲みし始める。

 レオナルトの突発な行動を前に、団員のほとんどが呆然とする。そんな中、エルザとダヴィドは愉快そうに合いの手を入れる。

 量の多さとアルコールの濃さにより、途中で止めそうになる。しかし、涙目になりながらも、気合いで飲み進めていった。そして、全て飲み干すと、空になったワイン瓶を掲げた。

「おおー!」

 団員全員が拍手を送る。レオナルトは、やり切った達成感に浸る。しかし、腹の苦しさと酩酊感により、後悔の方が少し上回っていた。

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