第7話 優しくて意地悪1

「案外消えるの早かったな」

筒井くんが私のデコルテを見てつぶやく。筒井くんの〝印〟はもうほとんど消えている。

「今日で最後かな」

「え?」

「消えるまでって約束だったよね」

「あ……そっか、そうだった」

この印をつけられてから、筒井くんは毎日うちに来て私を抱きしめて眠ってくれたから、きっとわかりやすく肩を落としてがっかりした顔をしてしまったと思う。

「さみしい?」

クスッと笑って聞く筒井くんの問いに、必死に首を横に振った。さみしいなんて言っていい立場じゃない。

「素直じゃないな、小夜ちゃんは」


今夜で最後。

いつかは最後がやってくる関係だってわかってたのに、こんなにあっさりとその時が来るなんて思わなかった。自分でそうしたくせに、感傷的になっている自分に呆れる。

いつもは筒井くんに背中から抱きしめてもらって眠っているけど、今夜は彼の方に身体を向けた。

「今日、抱いて欲しい」

「小夜ちゃんからそんな風におねだりされるなんて嬉しいな」

筒井くんは静かに笑って言った。

「でもダメだよ」

「どうして?」

「最後に抱かれて思い出にしようとしてるのが見え透いてるよ。ほんと、狡くて残酷だな」

そう言った筒井くんは私を抱き寄せて、ギュッと抱きしめて、額にキスして、それから髪を撫でた。

抱かないくせに、私が忘れられないようにわざと優しくしてるよね。私が狡くて残酷なら、筒井くんは優しくて意地悪じゃない。


「小夜ちゃんてときどき婚約者から送られた音楽聴いてるよね」

筒井くんがこんな日に急に斑目さんの話を振るからドキッとした。

「知ってたんだ」

「見るつもり無かったけど、小夜ちゃんが寝落ちしてるときにタブレットの画面が目に入った」

私は斑目さんがくれた曲を【斑目さんが贈ってくれた曲】というなんの捻りもない名前のプレイリストにまとめている。筒井くんがいない日はそれを聴きながらベッドに入るし、普段もたまに聴いている。

「結構良い曲が多いんだもん」

「本当は気になってるんじゃないの? 婚約者のこと」

筒井くんの言葉に黙ってしまう。

「会ったこともないんでしょ? その人も気の毒だね。」

「え?」

「家が決めた相手ってだけで小夜ちゃんに避けられて。曲なんか贈っても、別の男に取られそうになっててさ」

「そんなことない……むこうだって、本当はきっと自由に恋愛したいはずよ」

「ほら、勝手に決めつけられて気の毒」

「なんで筒井くんにそんなこと言われなきゃいけないのよ…… 筒井くんて、斑目さんの味方なの?音石さんよりも」

ムッとしてしまう。

「べつに。どっちも嫌いだよ。小夜ちゃんは誰とも正面から向き合おうとしないんだなって思っただけ」

つまらなそうに言うと、筒井くんはまた私を抱きしめた。

「誰が一番小夜ちゃんを想ってて、小夜ちゃん自身は誰が好きなのか。親の敷いたレールから逃れたいんだったら、向き合わなきゃいけないこともあるんじゃないの?」

筒井くんはわかってない。私は親の敷いたレールから逃れたいわけじゃない、そんなことできないって理解してる。だから、少しで良いから自分で選びたいだけなの。


「来週」

「ん?」

「来週の土曜に、彼とデートの約束したの」

「ふーん」

筒井くんはイラついたりもしていない、平然とした声。

「いつも家まで送ってくれるから、その日は上がってもらおうかな」

「なんで俺にそんな話するの?」

どうして筒井くんの胸の中でこんな話をしているのか、自分でもよくわからない。平然としてるのが悔しいのかな。

「筒井くんがいなくても大丈夫って言いたいのかも」

また意地悪な言い方をしてしまう。

「小夜ちゃんて本当に……」

溜息の後には〝残酷〟って続くのよね。自分でもそう思う。


その夜は筒井くんに抱きしめられていてもよく眠れなかった。


翌日、仕事から帰ると筒井くんの置いていった合鍵が私を迎えた。


***


筒井くんがいなくなってから五日目。

斑目さんからメールが届いた。いつもは月の初めに届くのに、今はまだ月の半ば。

それに、いつもは何かイベントの時に届く音楽のギフトが付いていて少し不思議だったけど、眠れないタイミングには嬉しいサプライズ。

今回の曲はいつもよりも少しアップテンポでどこか筒井くんを思い出させる。

だけど結局、筒井くんのいない夜は私を深くは眠らせてくれなかった。


「お待たせ」

それからさらに五日が過ぎたデートの日、昼前に理一郎さんが私の家まで迎えに来てくれた。車には詳しくないけど、高級メーカーのスポーツカーで「さすが」とか「らしい」なんて感想が浮かんできた。

車のドアもナチュラルに開けてくれて、車内の音楽は流行りのものだけど大人っぽいものばかりだし、私が返しやすい話題を振ってくれる。なんていうか本当に完璧。

事前に行きたいところを聞かれて、とくに思いつかなかったから無難な気がした水族館を提案しておいた。


水族館の暗がりではぐれないように手をつなぐ。水槽だけが光を放つ空間は幻想的だけど少し息苦しくもある。

「水族館てさ、きれいとかかわいいって思う派とおいしそう派に分かれるんだよね」

「そうなんですか?」

「小夜子はどっち?」

彼に質問されて水槽を覗き込んだ。

「かわいい……派、かな」

本当は少し怖いと思った。その中だけが煌びやかで、何不自由ない……だけど決してそこから出られない水槽が、自分の生きている世界に重なったから。少しユウウツな気持ちになりながら水槽を見ていたら、何かが目の前をチラついた。

魚が一匹、私の前をふわふわ行ったり来たり。人懐っこいみたい。

「ハリセンボンだって」

理一郎さんが解説プレートを見て教えてくれた。針の出ていないハリセンボン。

「ふふ、かわいい」

思わずつぶやいてしまったのは、そのコが筒井くんに重なって見えたから。一見人懐っこくてかわいいけど、針を隠してる。今度会ったら教えてあげようかな、なんて考えた瞬間、もう会わないんだって思い出す。

いつの間にか、ハリセンボンもどこかに行ってしまった。

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