第9話

 カルロスの案内で、エライザという女性に会いに薬屋にやってきた。


 老舗の店、と言われるだけあって、外装は古き良き質感がある。傾斜の急な三角屋根の下に、色ガラスの小窓がたくさんついて、太陽の光を反射している。中庭がありそうな大きさの建物だった。


 どうしてかはわからないけど、こうした動かないものを見ていると、なんとなく安心する。


「ここなんですね」


と、レレムは少し表情をゆるめながら呟いた。


「さっさと入るぞ」


 カルロスは言い終わるや否や入り口のドアを開ける。建物を見て何かを思うような、そういった感性は持ち合わせていないらしい。いや、彼の方が正しい、とレレムは思った。今から薬の文句を言いにいくのに、建物の良さを感じたところで、どうしようもない。


 中に入ると、カウンターの奥一面に木棚が並んでいるのが、まず視界に入った。その木箱一つ一つに薬かその原料が入っているのだろう。動植物のいろんな乾燥したものが混ざり合った、独特の匂いが鼻を刺激した。


 今は、自分たち以外には誰も、お客さんがいないようだった。


 カウンターにエプロン姿の女性が座っている。


 年齢は二十代後半に見えた。手足はすらっとしていて、肉づきはそれほど良くない。前髪のない赤毛を左右におろし、茶色い眉と栗目が特徴的だった。柔和に微笑む様子から、芯はあっても穏やかで優しい印象を与えた。


 でもその印象は、次にやってきた感覚にかき消された。レレムはその女性を見た瞬間、肌を異物になでられたように感じた。ノーヴと同じ「匂い」がする。そう思った途端、体がわずかに震え出した。


「あら、この前の……」

「藤の種は毒だって聞いたぞ」


 カルロスはカウンターをドンと叩きながら怒鳴り気味に訴える。その態度は、義憤に燃えているというよりは、残念ながら完全に、面倒なクレーマーにしか見えなかった。

 人が肩をいからせているのに不謹慎だと思いながらも、そのちょっと子供っぽいカルロスの様子を見ていると、気持ちに余裕が出たのか震えが止まったのに気づいた。


 レレムはカルロスの後ろで、扉をゆっくり閉めながら、様子を見る。まさか初対面の人に対して怒り出すなんてことはしないだろうから、目の前にいる店員が、話に出たエライザという女性なのだろう。


 カルロスに威圧的にものを言われても、エライザは全く臆することなく、


「あら、よくご存知なのね」


穏やかな様子を崩さずに答えた。その目はカルロスをまっすぐ見ている。


「確かにレクチンっていう物質が含まれているから摂りすぎると毒だけど、少量なら薬にもなるの。藤は種子の部分が一番薬効があって、お通じが悪い時に使われることもあるのよ」

「じゃあ、それと俺が頼んだクリームはどう関係があるんだ」

「クリームに使っているのはミツロウと低木の樹脂よ。藤はそれとは別にお願いしたものよ。藤は藤でも『アメジスト』という品種を、ここの領主が求めていたのだけれど、なかなか手に入りにくいから、もしあればと思って頼んでいただけ。見つからなければそれでもいいわ」


 丁寧に論破されていた。カルロスは、


「ぐぬぬ」


と、わざわざ頭を抱えて崩れかけながら情けない声をあげている。この人、何がしたかったんだろう。レレムはそう思ってしまった。


 フォローするにも、自分よりもカルロスの方がこうなった経緯を知っているわけで、エライザという薬剤師の方が薬については詳しいわけで……と考えると、助け舟を出す実力もない気がして、レレムは結局最初から最後まで黙って話を聞いていた。


 まあ、解決したようでよかったじゃないですか、と他人事のように心の中でコメントする。不用意にピリピリした雰囲気になるのは、あまり好きじゃない。人間社会、わざわざ他人と関わるのなら、平和が一番だ。


 すると、エライザの視線が動き、レレムの姿をとらえた。レレムは一瞬考えを見透かされたように感じて、身をすくめた。


「後ろにいるあなたも、何か体の具合が悪いの?」


と声をかけられる。相手の心が手に取るようにわかる人なんて、そうそういない。レレムはそう思うことによって自分を落ち着かせようとしていると、すかさずカルロスがはっぱをかけてきた。


「何か言い返してやれ」

「いえ、私は……」


 レレムは言い淀んだ。カルロスはエライザと口論することを望んでいるみたいだけれども、エライザはただ、店員としての役目を果たそうとしているようにしか見えない。この場合、何を言えば「正解」なのか判断しきれず、表に出る反応が鈍くなる。


 それを、話すのに躊躇しているとエライザは受け取ったらしい。


「あなたのお役に立てるかもしれないわ。病気も治せるかもしれない」

「……」

「え、あるのか? 病気なんて」


 エライザの言い方に、カルロスはレレムが図星だから黙っていると思ったらしかった。

 二人の視線が集まる。


「……いえ」


 人間は不完全な生き物だ。そしてそれは体にも言える。100%完全な健康体を享受している人間はそうそう存在しない。だからないと言えば、嘘になる。

 そんな回りくどいことを考えていないで、「いえ、ちょっとこういうのにも興味があって、見にきただけですから」なんて明るく言えればいいんだろうな、と思っているうちに、明るさを装うタイミングを逃してしまった。


 正解なんてないのかもしれない。レレムはサジを投げるような気持ちで、


「薬では治らないと思うんですが……」


と言いかけた。その時、


「エライザさん、大変です!」


慌ただしい様子で、若い女性が入ってくる。エライザと同じエプロンをつけているから、店のスタッフの一人のようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る