7 貉①


   7 むじな


「そっちこそ気まぐれに来たと思ったらトラブルだ。お前はやはり疫病神だな、キュクロプス一つ目

「”ムジナ”、その名前と呼ぶなと何度も言えばわかってくださるのかしら? やっぱりもう一度殺してあげましょうか? いえ、ぜひ殺してさしあげますわ。今すぐ殺してあげましょう」


 イーがゆらりと動きかけたが、”教主”と呼ばれた女は嫌そうにかぶりを振るとその気勢をそいでしまった。


「待て待て、一つ目。今はお前に殺されている暇などないんだよ。用があるのは、そちらの生きた死体リビングデツドのお嬢さんの方だ。それも可及的速やかに、だ」

「あなた、私のことを…………」


 驚いて目を瞠るニアに女は嘲りの笑いを浮かべた。


「まさか知らないとでも思ったかね? あまり私を見くびられないで欲しいね、人類初の人体冷凍保存クライオニクス成功者のお嬢さん。それともこう呼べばよろしいか? 

「―――っ!?」

「お姉さまの本当のお名前は山本似愛と仰るんですか! そんな!? どうして本当の名前をお教えてくださらなかったんですか、お姉さま!?」

「ごめん、イー。今は黙って」

「…………しゅん」


 イーが項垂れるのを女は如何にも楽しそうな表情で見守った後、たっぷり余韻を残してから芝居がかった所作で一礼した。


「この貌ではお初にお目にかかります、お客様。当施設の管理者にして『神の貌』の代表でございます。生憎名前と呼ぶべきものは今は持ち合わせておりませんが、ご不便であればそこの女と同じようにいつの間にやら呼ばれるようになった『ムジナ』という名前でお呼びになるのもいいでしょう」


 貉といえばアナグマを指すが、場所によっては狸やハクビシンらもひっくるめる場合もある。しかし、この場合は民話の化け狸のことを指すのだろう。特に小泉八雲で書いた「貉」では顔のない妖怪「のっぺらぼう」の正体として描かれている。


「ムジナ、顔無し…………なるほどね」

「納得していただいたところで場所を変えましょうか? 折角足を運んでいただいたのに申し訳ないが、生憎そこの一つ目と違って、私は猟奇的な趣味は持ち合わせていないのでね。むしろ生臭くてかなわわない」


 ニアとしてもミンチ肉の横で話などする気もない。一も二もなく同意すると拝殿の奥の本殿に案内された。本殿の中は板敷の空間が広がるばかりで本来の主たる神仏の像は何処にも見当たらなかった。


「社を移築するの違って、神様に移動していただくのは手間も時間も金もかかるのでね、この有様だ。しかし、これはこれで悪くはない。宗教アレルギーや一神教の連中も顧客として扱える。どうしても拝みたい者はお好みのARを拝めばいい」


 斎服に着替えたムジナが茶碗の茶を啜るのを見て、ニアも床に置かれた麦茶を含む。風呂上りのうえ、ゲボまで吐いた喉に麦茶の優しい味が染みわたるかのようだ。


「まったくここの主人は茶請けも出さないんですの? とんだおもてなしですわ!」

「ご所望なら茶漬けでも如何かな? 無茶苦茶な君にぴったりだろう?」

「あんな混沌カオスそのものの食べ物を欠片でも見せたら本気でぶっ殺しますわよ!」


 まったくムジナが正体を現してからイーはずっとこんな調子である。どうやらこの2人には只ならぬ関係性がありそうだが…………。


「さて、時間もないので早速本題に入ろう」


 ムジナはそう言うとニアの顔に視線を注いだ。改めて見ると不思議な顔だった。美麗な顔なのだが、バランスが良すぎて逆に全体としての印象が薄く感じる。狐面をつけているときのほうがよほどパーソナリティーがある。


「『時山修一郎』から『記憶』を渡されていないかね?」

「記憶?」

「ああ、実体・仮想どんな形でも構わない。生前の彼から何か渡されていないか?」


 改めて時山と同車したときのことを思い返してみたが、やはりそれらしいものは見当たらなかった。


「そもそもあんたの言う『記憶』って何よ? 時山さんが何をやらかしたのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの?」

「そのままの意味ですよ、ニア様」

「はあ?」

「『時山修一郎』と自称した男は我々が『祭具殿』と呼ぶサーバー棟から我々の全顧客の記憶データを抜き出したのですよ。幸い我々はすぐに気がつき追いつめたが、あの男は体内組織に仕込んでいた超微細爆弾で爆死。死体を調べたが、該当しそうな記憶メディアはなく、データ送信した形跡もなし。『神の貌』の誇る記憶技術を持ってしても相手がミンチ肉では検索のしようもない」

「はあ……」

「私たちにとってはまさ八方塞がりなのです」

「うーん、それなら結局持ち出せなかったんじゃないの? 記憶メディアも敷地内を虱潰しに調べれば…………」

「それだけは絶対にない。ヤツは必ずデータを外に持ち出す」


 有無を言わさぬ言葉。ムジナは僅かな表情の変化すら見逃さないというようにニアに温度のない視線を注いでいる。


「あの男はそういう人間なのです、いや、もはやニンゲンですらない」

「それはどういう―――」

「『時山修一郎』は『天狗』だったのですわ、ニアお姉さま」

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