Doctoris Arcanum ~名医の妙薬~

平中なごん

Ⅰ 名医の噂

 聖暦1580年代中頃、秋。


 神聖イスカンドリア帝国・ウィトルスリア地方南西部アッティリア半島……。


「──あの丘に立つ石の列柱は古代異教の神殿跡だ……なんという残りの良さ! やはり、何度来ても魅力的な街だな……」


 当世風の甲冑の上に白い陣羽織サーコートとマントを着けた金髪碧眼の美青年──ドン・ハーソン・デ・テッサリオが、乾いた岩山の頂に建つ遺跡を眺めながら、感嘆の声を馬上に漏らす。


「さすがは古代の遺跡好き。いつものことながら、護教のための騎士団の団長とも思えぬ発言ですな」


「ああ。そういえば以前、古代異教の遺跡巡りをされてたと言ってましたよね? そっか。ここへも来られたことがあったんですね……」


 すると、同じく馬に乗って白い衣装を身に着けたダンディなラテン系の男── ドン・アゥグスト・デ・イオルコが冗談混じりに皮肉を口にし、やはり純白のマントを羽織るもその下には黒い修道女服、顔には薄布のベールを着けた女性──メデイアが納得したというように馬の背で呟く。


 彼らの白い陣羽織サーコートやマントの中央には、プロフェシア教の象徴シンボル〝神の眼差し〟を左右から挟む羊の巻き角の紋章が描かれている……三人は、エルドラニア王国が誇る精鋭部隊〝白金の羊角騎士団〟の団長と副団長、そして尼僧の魔術担当官なのだ。


 同じウィトルスリア地方・アルカーニャ島の名物〝マーラトンの祭典〟を観に行ったその帰り道、三人はせっかくなのでと近くにあるアッティリアの古都アテーノスへも足を向けていた。


 アテーノスは古代イスカンドリア帝国がこの地を支配する以前、力ある小国の都だったと伝えられる大都市で、市街地には当時のものと思われる石造の建物跡がいたる所に今なお残っている。


 だが、なにもハーソンが大の遺跡好きだからと言って、彼らは物見遊山のためにこのいにしえの都へ立ち寄ったのではない。


 先の〝マーラトンの祭典〟見物も、長距離走の大会であるこの祭で騎士団の伝令官となる者をスカウトするためであったが、ここアテーノスへ来たのも同様の理由である。


 アッティリアの中核都市であるここならば、思わぬ優秀な人材に出会えるかもしれない……エルドラニア国王カルロマグノ一世に見出され、有名無実化していた騎士団の改革を命じられた団長ハーソンは、現在、各地を旅して有能な新団員を探し歩いているのである。


 ともかくも、そうしてアテーノスを訪れたハーソン達は、幸運にも早々、耳寄りな情報に出くわすこととなる。


 それはお昼時、腰を据えた宿屋の一階にある大衆酒場で、ほうれん草とチーズの入ったご当地パイ料理〝スパナコピタ〟を食べていた時のこと……。


「──おい、聞いたか? アスキュール先生がまた死人を蘇らせたってえじゃねえか」


「ああ、聞いた聞いた。馬車から落ちて亡くなった、大公テセウッソさまんとこの御曹司だろ? 先生の薬はほんと万能だな。神さまじゃねえが、まさに奇蹟を起こす薬だぜ」


 ハーソン達の後の席で、そんな地元民達の交わす会話が図らずも耳に入ってきた。


「死人を蘇らせた?」


 その奇妙な話に、ハーソンは俄かに興味を覚える。


「いや、いくらなんでも薬で死人が蘇るなんてことありえんでしょう」


 ハーソンの呟きを拾い、アゥグストがそんなツッコミを思わず入れるのだったが。


「いや旦那、嘘じゃねえですぜ? アスキュール先生はマジでスゲエ名医なんですから。ここらじゃ、かの伝説の旅の医師〝パラート・ケーラ・トープス〟と並び称されるくらいで」


「蘇らせたのもこれが初めてじゃねえ。もう何人も蘇えらせてるんですよ。高貴な方々のご親族も救ってるんで、太公さまをはじめとしてお偉方達も太鼓判を押してまさあ」


 するとその発言が聞こえたのか? 背後の地元民達がこっちを振り向いて語りかけてくる。


「いや、そうは言われもなあ……死人が蘇るなど、やはり俄かには信じられんな」


「うむ。もしそれが事実だとすれば、まさにそれは奇蹟。神の御業みわざだ……メデイア、どう思う」


 だが、死人が生き返るなど、どう考えても眉唾ものの話だ。アゥグストは眉をひそめて疑りの眼差しを向け、ハーソンも考え込むとメデイアに話を振る。


「魔法薬でしょうか? 聞いたことありませんし、さすがに無理だとは思いますが、魔導書の魔術を用いれば、あるいは悪魔の力でできなくはないのかも……もしくは蘇生に見せかけて死体を操る死霊魔術ネクロマンシーという可能性も……」


 その問いに、今は尼僧だがもと魔女という経歴を持つ、魔術担当官のメデイアは思いつく限りの仮説を考察する。


 魔導書グリモリオ──それは、この世の森羅万象に宿る悪魔(※精霊)を召喚し、それらを使役することで様々な事象を自らの想い通りに操るための魔術の書である。


 このエウロパ世界において、神聖イスカンドリア帝国を始めとするプロフェシア教圏の国々では、基本、「悪魔に頼る邪悪な書物」としてその所持・使用を硬く禁じていたが、それは教会と各国王権が魔導書の力を独占するための方便であり、逆に許可を得た者であれば、その魔術を憚ることもなく、大手を振って公然と行使できていた。


 メデイアも羊角騎士団の担当官として、その使用を公式に認められた数少ない人間の一人である。


「いいえ、アスキュール先生はそんな魔術師じゃなく純粋なお医者ですぜ?」


「ええ。魔法修士だったって話も聞かねえですし、無許可で魔導書使うような無法者でもねえ」


 だが、そんなメデイアの推測を地元民達は一蹴する。


 〝魔法修士〟とは、まさにこの矛盾した禁書政策を象徴するかのような、神に仕えて暮らすべきはずの修道士の中でも、魔導書を専門に研究して用いる者達のことである。


「死人をも蘇らせる名医か……そういえば、これから長い船旅をするというのに、まだ専属の船医を用意していなかったな」


 思わず聞くこととなった名医の噂に、ハーソンは俄然、興味を抱き始める。


 じつはハーソン達〝白金の羊角騎士団〟、本来は異教・異端からプロフェシア教を護るために組織された修道騎士団なのであるが、エルドラニアは遥か海の向こうに〝新天地(新大陸)〟を発見し、その広大な土地を植民地化することで繁栄を遂げていたため、国王カルロマグノはその近海を荒らす海賊討伐に彼らの力を用いようとしているのだ。


「確かに有能な船医は欲しいところですな。長期の船上生活では栄養不足から病になると聞きます。薬に詳しいのであれば、食事の管理を任すのも得策でしょう」


「ええ。仮にもぐり・・・の魔術師だったとしても、死者を蘇生させるほどの魔法薬。それを作れる者となれば腕に間違いはないかと」


 ハーソンばかりでなく、アゥグストとメデイアの二人にしても、それぞれの観点からその考えには賛同の意を示している。


「よし。ともかくも会いに行ってみるか……すまぬが、そのアスキュール先生とやらの居場所を教えてはもらえぬか? その代わりと言ってはなんだが、礼に一杯奢ろう」 


 全員の意見の一致を見るとハーソンは地元民達の方へ視線を向け、情報代がわりのタダ酒を餌に、彼らにそう言って尋ねた──。

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