第35話 6月28日 カトラン子爵邸 中庭



会場から、中庭に出て行く瞬間の後ろ姿が見えた。

気づかれないよう慎重に後を追う。


中庭は、さっきまで大勢の人がいたとは思えないくらい静まり返っていた。

夕暮れに近かった空もすっかり暗くなり、少し離れた場所にいる人の顔はまったく見えなくなっている。


会場から出たその人物は、急ぐ様子も見せず、ただまっすぐに中庭の奥へと進んでいた。

中庭の中央では、カトラン家の使用人たちがテーブルの上の食器や花を片付けている。庭に置かれている二人掛けの椅子には、会話を楽しむカップルの姿が何組か見えた。


そんな人達には脇目もふらず、その人物はキングサリのアーチへと進んでいく。

外灯がない場所を選んでいるのか、着ている服の色さえはっきりと確認できない。

黙々と歩く後ろ姿に、自分の全身に緊張が走るのがわかる。


その人物は、アーチの中に入ると、突然中央付近で立ち止まった。

アーチの向こうには、まだ庭が続いているようだが、外灯も少ない。

逆光で真っ黒になった人影に気づかれないよう、近くの植え込みに隠れた。


さて、これからどうすればいいのか……。

まず、あの人物が本当に扇子を持っているという確証がまだない。

レスター伯爵夫人の見間違いかもしれない。

持っていたとしても、突然声をかけると、隠されてしまう可能性がある。

確実に持っているとわからないうちは、声をかけては駄目だ。


中庭を、少し湿った風が通り抜けた。

辺りには、自分とあの人影以外誰もいない。

キングサリの甘い香りと、満開の花がさらさらと風に揺れるかすかな音だけが聞こえている。


さっきまでの会場の賑やかさと熱気を考えると、同じ場所とは思えないくらいだ。

人影は、アーチの中で立ったまま、全く動く様子を見せない。


いったい何をしようとしているんだ……。


「ハァ……」


肩で大きく息をすると、自然とため息が口からこぼれた。

胸の中が、モヤモヤした煙のようなものでいっぱいになっている。

嫌な予感が全身にまとわりつく……。


会場から、微かに拍手の音が聞こえてきた。

アーチの中に居る人影もそれに気づいたのか、ゆっくりと振り返る。


そして、一歩足を踏み出し、一瞬だけ会場に戻る素振りを見せたが、また立ち止まり元の方向へと向いてしまった。


なにか迷っているのだろうか?

それならば、このまま、何事もなかったように会場に戻る可能性もあるかもしれない。

そうなってくれるといいのだが……。


息を殺し、人影を見つめていると、木陰から一組の男女がでてきた。

こちらの姿に声をあげそうになるほど驚き、お互い気まずい雰囲気になりながらも、男女は会場へと戻っていった。


見ると、二人が出てきたところには少し窪みがあり、隠れるには最適な場所があった。あの場所なら、もう少し近づくことができる……!

木陰から足を一歩踏み出した。


「なにをやってらっしゃるの?」


急に後ろから声を掛けられ、心臓が口から飛び出しそうになるほど驚いた。

両手で口を押え、恐る恐る声の方向に振り返る。

そこには、俺が驚いたことにつられたのか、目をまん丸にして両手で口を押えているアレシアが立っていた。


「こんなところで何をやっているんだ!?」


声を潜めて、アレシアに問いかける。


「だって……踊っていると、あなたがあまりに不自然な動きをしていたから気になって……そうしたら、中庭に飛び出して行ったじゃないですか! しかも、リュシエンヌさんを置いて! 昨日の今日で、そんなの気になるに決まってます」


同じ様に声を潜めたアレシアは、それでも一気に早口で答えた。

確かに、昨日別館で話をしたばかりだ……気になっていたのだろう。

それでも、このパーティの主役がここに来ていい理由にはならない。


「でも、あなたは今日の主役、こんなと……」

「大丈夫です! ちょっと『お花を摘みに行ってきます』と伝えましたもの!」


肩をあげてアレシアはふふっと微笑んだ。

ダンスが始まってまだ三曲程度だが、カトラン子爵も『お花を……』なんて王女から言われたら、止めることはできないだろう。しかし、早く帰ってもらわなくては。


「ルドウィクさんを探してここまで来ましたが、隠れていたので驚きました……あの、アーチの中にいる人影をみていらっしゃったのですね?」


キングサリの鮮やかな黄色さえわからなくなるほど、辺りは暗くなっていた。

アーチの向こうに設置された外灯だけが、人影をこちらに教えてくれている。


「ええ……そうですが……」


アレシアの扇子、それを追ってここまで来たつもりだが、まだ確証がない。

それを今ここで説明するのももどかしい。だからと言って着いて来られるのも困る。


その時、人影が少し動いた。


一旦しゃがみこんだかと思うと立ち上がり、服装を整えているように見える。

髪を直す右手に、あきらかに何か持っているのがわかった。


「ルドウィクさん。わたくし、昨日図書館でお話をしてからずっと気になってました。あなたがセ……あ!」


話の途中で、アレシアがアーチの方向を指さした。

人影が、アーチの奥に向かって歩き始めている。


「アーチを抜けると、左は中庭へ戻る道です。右は突き当りになっていて、造園用の飼料などを入れる木製の小さな倉庫があります」

「わかった」


アレシアの説明を聞きながら、足は人影を追いかけるようにアーチへ進んでいた。

黄色い花が咲き誇るアーチは12m程度。既にもう人影は見えない。


このまま左側に進んでいれば、中庭に戻る道……もうこれ以上追及することはないだろう。

だが、右側に行っていたとしたら……。


アーチの終わり、一本の街灯が二つに別れた道を照らす中、息をひそめて左側を覗いた。

人影はまったくない。そのまま右側に顔を向けると、突き当りにある倉庫の扉が、少しだけ開いているのが見えた。


「扉が……開いていますね」


しっかりと後ろから付いてきていたアレシアが、小さな声で呟いた。


「ハァ……。アレシアさん、君はここから来なくていい、というより会場に戻ってください」

「しー。聞こえますよ」


ここで話しているだけでも危険だ、気づかれてしまう。

倉庫はあまり大きくなく、明かりもついていない。扉は少し開いたままだ。

アーチの中にいた人影は、右手になにかを持っていた。

もう、行くしかない。こんな時間に一人であんな場所にいるだけで不審者だ。


そう思ったと同時に、右側の道へ飛び出した。道の長さは20mほど。

あっという間に倉庫に着き、その勢いで扉に手をかけた。


「そこで何をしている!」


わざと大声をあげ、右手で扉を全開にする。

中からすぐに逃げられないように、左手は入り口の枠を掴んだ。


突然声を掛けられたことと、声の大きさに驚いたのか、人影は薄暗い中で肩をあげたまま振り返ることなく固まっている。

入り口の枠を掴んだその壁に、操作盤があることに気づく。

スイッチを下におろすと、倉庫の中に薄明かりが灯った。


小さな電灯の下で見るその姿に、大きなため息が漏れる。


「セレーネ、こんなところで何をやっているんだ?」

「……」


背中を向けたまま小さく頭を振り、ぎこちない笑顔を浮かべながらセレーネは振り返った。

隠すように後ろにまわした右手には、アレシアの扇子を持っているのが見える。


「どうしてなんだセレーネ……まさか本当に君だったなんて……」

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