幻を喰らう(long ver.)

 数日後の夕方、若宮牡丹はショルツの調査結果を受けて、八王子の路地裏に来ていた。恰好は制服のままで、手荷物はない。そんなもの要らない。

 昨日、凄腕の情報屋は言った。

『ルックロビンの組織は、八王子の古いアパートに拠点を置いている──黄色だから、目立つと思うよ』

「ふーん。やっぱり」

 彼女はニヤリと笑う。ショルツの調査通りだ。彼らは一件のアパートを貸し切って、そこを事務所にしている。不穏な空気が漂う路地裏に、夜鷹が忍び込んだということだ。

「……で、どうすんねん。お前ら」

 彼女が声をかけたと同時に、十数人の男達が姿を現した。全員、黒いスーツに身を包んでいる。国籍はバラバラだが、妙に凄みのある者ばかりだ。

「お嬢さん、よほど命知らずのようですね。こんな人気のない場所にノコノコやって来るなんて」

 その中の一人の日本人が口を開いた。外国人の中に混じっているから、一見すると地味だ。組織の幹部なのか、他の男よりも一歩前に出ている。「まさに、飛んで火に入る夏の虫と言った所でしょうか」

「なんや。喧嘩売ってる?」

「まさか。もちろん、我々は大人です。あなたの命までは取りません」

「黙れ。罪のない女の子があんたらのせいで迷惑被ってんねん。ほんま舐めてると殺るで?」

 若宮は魔術を使う素振りも見せず、男たちを睨みつける。

「……そうですか。あまり調子に乗ると、痛い目にあいますよ」

 周りの男たちは一斉に拳銃を取り出した。それを見て、若宮はほくそ笑む。

「阿呆か。ウチに銃なんか、通じるわけないやん」

「どうですかね。魔術師も所詮、人間。心臓を撃ち抜かれれば死にます」

「やってみるか?」

 若宮は試すかのようにそう言い放つ。彼女の挑発に我慢ならなかったのか、一人の男がズカズカと前に出てきた。

「舐めやがって──」

「やめろ、ミーシャ!」

 仲間が制するも、額に傷のあるスキンヘッドの男は静止を振り切って、若宮の方に近づいて行く。青い目をかっぴらいて、彼女に怒りをぶつけた。

「先から黙っていれば生意気な口を利きやがって! 『銃なんか通じない』だと? 至近距離で撃たれて、死なない人間なんかいねぇんだよ!」

 そう言って、男は引き金を引いた。刹那、音速よりも速い銃弾が、若宮に血潮を吹かせんと迫る。

 しかし、若宮にとってはノロマもいいところだった。

「……ゲホッ!」

 次の瞬間、男の身体は吹き飛んだ。軽々と弾をキャッチした若宮が、そのまま彼を蹴り飛ばしたのだ。

「なっ……!」

「だから言うたやろ。銃弾は速いからこそ、殺傷能力がある。なら、こっちがもっと速く動けばそんなもん、ゴミ同然や。いいか、イノシシもクマも殺せんような方法で、うちをどうこうできると思うな」

 若宮は嘲るようにそう言ったあと、引きつった表情を浮かべる男たちに声を荒らげた。

「うちはあんたらのボスを探してんねん。そいつを差し出してくれたら、下っ端のお前らに悪いことはせん! やから、大人しくルックなんとかを呼べ!」

 若宮は交渉を持ちかけた。しかし、先ほど彼女に蹴り飛ばされた男──ミーシャが立ち上がると、猛然とした勢いで走り出した。

「誰がガキの言うことなんぞ……聞いてやるものかァッ!」

 男は懐からナイフを取り出すと、それを若宮に向けながら突進した。しかし、男は最初の一振りをかわされると、首にチョップを入れられ、いとも容易く地面に叩きつけられる。

「もう喋らんといて」

 若宮はそう言うと、倒れた彼の背中を踏みつけた。

「ぐあっ……」

「つか、他の奴らは何してるん? その場で見てるだけでうちに一発も撃たへんやん。弾入ってないんか? おもちゃなんか? それとも臆病なんか? よくわからんけど、いい加減気づけや。あんたらは、悪い魔術師に付け込まれてるだけやぞ」

「は……離せェ! ボスの居場所なんて知ら……」

 若宮は顔をしかめると、足に力を入れた。すると、ミーシャの背骨がミシミシと音を立てた。

「あ……あ……あ……あああ!」

「大人しく寝とき。今は、お前の仲間らに訊いてん」

 若宮は中途半端に銃を構える男たちに、鋭い目を向けた。たまたま女子高生の見た目をしている化け物が、血気盛んな仲間を踏みつけながらこちらを見ている。魔術師とはどいつもこういうものなのか。どこか人間の命を軽視している。

 ……そこは、自分たちのボスと変わらない。

「ど、どうして……あなたはそんなに、強いんですか……?」

 最初は余裕の笑みを浮かべていた幹部も、顔を引きつらせている。相変わらず若宮の質問には答えようとしない。その様子を見て、彼女はさらに語気を強めた。

「今はうちが質問してんねん! グズグズしてるとホンマにこいつ殺すぞ!」

 若宮は倒れている男の背中に向かって、思い切りかかと落としをした。男は悲鳴をあげる。どちらが悪なのかわからない。

「くっ……!」

 男たちは葛藤した。たとえ今から銃を発砲したとしても、この女にはかなわないだろう。それどころか、仲間に着弾してしまう可能性もある。

 だからと言って、自分たちを拾ってくれたボスを売ることもできない。もとより、自分たちはほとんどが帰る家もなく、ここがファミリーのようなもの。

 ボスを差し出すくらいなら、自分たちは死ぬ。今、女に組み伏せられている仲間も、そのことはわかっているはずだ。

 男たちは意を決した。最後だけはせめて美しく、泥臭く散ろう。贖罪は来世で行うことにする。それはボスに対してか? 冷たい世間に対してか? ……それはわからない。しかし、どうだっていい。男たちが覚悟を決め、若宮に向かって引き金を引こうとした、その時だった。

「お前ら、銃を下ろせ」

 ドスの効いた声が、辺りに響いた。思わず顔をこわばらせてから、男たちは銃を下ろす。

 若宮は事情を察すると、ミーシャを踏みつけたまま顔を上げた。

「遅かったな。あと五秒遅れてたら、こいつ殺してたで」

「御託はいい」

 声の主は、路地の奥から現れた。妙な雰囲気がある。青白い顔に、紫の髪、碧眼。背は高く、ブランド物のカーディガンを羽織っている。ショルツの調査通り、凄みのある男だった。

「ルックロビン──あんたが、薬物密売組織のリーダー格やな?」

「そうだ。ウチの部下が世話になったな」

 男がそう言うと、仲間を解放するべく、部下たちが組み伏せられていたスキンヘッドの方に駆け寄る。若宮も察したのか、早々に男を解放した。

「お前、大丈夫か……!」

「……」

 ミーシャはあまりの恐怖に気を失っていた。部下たちが大勢で彼を介抱する中、ルックロビンは一度も目をそらさず、若宮を睨みつけていた。

 幹部の男は尋ねる。

「ボス、この女を知っているのですか……?」

「イエス。界隈で有名な魔術師だ。なんでも『魔術師狩りの牡丹』と呼ばれているとか」

 若宮は茶色の髪をかきあげると、男を見下すように言った。

「せやで。うちはあんたみたいな悪い魔術師を捕まえる、いわゆる『正義の味方』ってやつや」

「ハハ。笑わせる」

「おん? 笑わせたつもりはないで?」

 若宮はルックロビンを睨んだ。それでもなお、彼は固い表情を崩さない。

「まあいい。それで、貴様は何をしにここに来た」

「せやから、あんたを捕まえに来たんやって。まさか、今更薬物密売の件について知らんとは言わんよな? 麻薬をビタミン剤に偽装して一般人に販売し、金と魔力を搾取してるんやってなぁ。悪いことは言わん。大人しく捕まれ」

「断る」

 ルックロビンは間を置かずすぐに答えた。若宮はやっぱりか、と呟いた。ストッキング越しに太ももをかく。

「やっぱり簡単にはいかんか……」

「金輪際、『魔術師狩り』には屈しない。この計画を止めてはならん……」

「よかったらその計画の中身、詳しく教えて貰ってもええか?」

 若宮は軽い口調で訊いたが、ルックロビンは首を横に振った。

「ほざけガキ。冥土の土産に教えてやろうか?」

「聞けないってことか、残念やなぁ。できればあんたの血で手を汚したくはなかったんやけど」

「やれるものならやってみろ」

 ルックロビンは試すような目で言った。

「あぁ、言われなくてもやるで」

 若宮はそう答えると、魔方陣──自分の魔術を最大限に発揮する、銃身のようなもの──を展開させた。そして、それを両手で重ね合わせる。刹那、異常な量の魔力が場にあふれ出す──思わず、ルックロビンは目を丸くした。

「ほう……さすがは高名な魔術師だ。品はないがな」

「言ってろ」

 若宮はそう吐き捨てると、更に魔方陣を大きくした。次にどんな大技を繰り出してくるのか──ルックロビンは身構える。

 また、人気の少ない路地裏ではあったが、あまりの騒がしさに通行人が集まっていた。しかし若宮にはそれらの有象無象を気にしていられる余裕はなかった。ただ目の前の敵を、一発で仕留めることしか考えていなかったのだ。

「一撃で片付けるわ──」

「若宮さん!」

 すると、彼女にとって聞き覚えのある声が聞こえた。若宮は両手を重ねたまま、後ろを振り返る。

「あんたは……一ノ瀬さん?」

 そこには、肩で息をしながら若宮をじっと見つめる、黒髪の少女がいた。学校帰りに急いでやってきたのか、若宮と同じ制服のままだった。

「……すみません。私があの時、教室で泣いていたばかりに」

「気にしなくていいけど……なんでここが分かった? もしかしてあれからずっと、こいつらの居場所探してたんか?」

 一ノ瀬は俯いたまま、返事をしなかった。ショルツの情報なしでここまでたどり着くのは純粋に凄い。それはそれとして後で説教が必要だなと若宮は思ったけれども、今は一刻の猶予もない。

「話は後や。安心せい、あいつはうちが倒す」

「何言ってるんですか! あの人たち、なんだか柄が悪くて怖いですよ……?」

「大丈夫。うちは負けへん」

 若宮は一ノ瀬の言葉を遮るように言い放った。彼女は黙ってしまう。すると、それを見ていたルックロビンが口を開いた。

「おい、小娘」

「ひゃっ」

 突然ヤクザから大きな声で威嚇されて驚いたのか、一ノ瀬は甲高い声を上げた。そして、咄嗟に若宮の後ろに隠れる。

「魔術師同士の命のやり取りだ。一般人風情が横槍を入れるな」

「あんた……」

 それを見て、若宮は舌打ちした。

「ホンマにウザいわ。もう、コテンパンにした上で捕まえたる。あんたみたいな悪党を見逃したら、他の人にも迷惑かかるし。あわよくば殺す」

「……あ?」

 失礼な物言いの連続に、ついにルックロビンの堪忍袋の緒が切れた。もとより計画の邪魔をされているのである。自分よりも何回りも小さな女子高生に生意気な口を利かれ続け、ついに我慢ならなかったのだろう。

「なら死ね」

 彼が右手を前に出すと、そこに巨大な魔法陣が現れた。隙だらけだったが、若宮は敢えて様子を見ることにした。ルックロビンが奇っ怪な呪文を唱えて、刹那。

「ガァッッ──!」

 そこから、幻獣が現れる。やはり、ショルツの調査通り──ルックロビンは幻獣使いであった。『虚属性』。炎、水、草、雷、虚、等々──属性というものは範囲が広く、同じ属性でも全く異なる性質を持ち合わせていることもある。ただ一つ言えるのは、虚属性の魔術は魔力消費量がかなり多く、特殊なものが多いということである。幻獣使いや蟲使いも虚属性に分類されるが、極めて珍しい。ルックロビンが手練れであることは、間違いないのであった。

「楽しませてくれよ、小童」

 ルックロビンは不敵な笑みを浮かべた。召喚された幻獣は、この世の全てを食い尽くす獅子の顔に、重厚感のある山羊の胴体、そして、毒蛇の尻尾を持つ怪物だった。

「やれ、ケリュケイオン」

 ルックロビンの命令に従い、ケリュケイオンは若宮に向かって突進してきた。その巨体からは想像できないほどの速さだった。若宮は一ノ瀬を抱えて、咄嵯に避ける。ケリュケイオンはそのまま、近くにあった古い民家を突き破っていった。通りかかった民衆の悲鳴が聞こえる中、若宮は一ノ瀬に声をかけた。

「一ノ瀬さん、悪いことは言わん。遠くに逃げた方がええ」

 魔術師同士の戦いには一般人を巻き込まないという暗黙の了解がある。しかし、ルックロビンは元より一般人を標的に活動してきた組織の長だ。加えて、幻獣であるケリュケイオンにそのような理性はない。

 そんな化け物に、一般人の一ノ瀬が狙われてしまえば──ひとたまりもないだろう。

「で、でも……」

 しかし、一ノ瀬は若宮を置いて逃げることを躊躇した。

 それを見て、魔術師は声を張り上げる。

「はよ逃げろ! あんたが死んだら、吉田さんも報われんやろ!」

「……!」

 若宮はケリュケイオンを目で威嚇しながら、一ノ瀬に向かって大声を張り上げた。

「行け!」

「……っ!」

 一ノ瀬は涙ぐみながら、時にアスファルトの上に転びそうになりながら、その場から逃げていった。

 若宮はその後ろ姿を見つめながら、ようやく行ったか、と肩の荷を下ろす。

「……さあ、始めよか」

 若宮は両手を握り締め、構えを取った。さて、作戦変更。ルックロビンを捕らえるのは、まだ先だ。

 まずは目の前の幻獣を叩き潰す……!

「くだらん芝居だな」

 一連の流れを見て、ルックロビンは顔を歪めた。

「どうやら貴様は、こちらを正しく評価できていないらしい。ひとつ教えておこう」

 ルックロビンは左手で顎を触った。その手には、小さな宝石がついた指輪があった。

「指輪……?」

「これは魔力を取り込んだ石──俗っぽく『賢者の石』とでも言っておこうか。虚属性は多くの魔力を必要とする属性で、幻獣も例外ではない。だが、この石を使えば、どんな幻獣も操れる。そして、この石の魔力がどこから来ているか──それは言わずともわかるだろう?」

 ルックロビンは誇らしげに語る。若宮は怒りを感じながらも、あくまで冷静に取り装った。一般人をだまして魔力を発現させ、それを回収して自分のものにする──これを外道と言わずして、何になるだろう。

「実力が足りんと、そういうものに頼りがちなんやな。『魔術師は一般人に手を出してはならない』──暗黙の了解も守れない。自身のプライドすら、他力に頼って打ち砕いてしまう。じゃああんた、何が守れるんや。笑止千万やで」

 半ば挑発、半ば本心。図星だったのか、ルックロビンは怒りを顕わにした。

「………………この小童がッ‼」

 肩をプルプルと震わせた後、小さいけれども、激情が込められたような声で、ケリュケイオンに指示を送る。

「完膚無きまでにあいつを叩き潰せ。褒美の餌は最高級にしてやる」「ガアァッ!」

 ケリュケイオンは狂ったように吠えると、再び若宮に襲いかかった。先ほどよりも数段速い。ロードローラーくらいの巨大な体躯を持つ化け物が、高速を走るトラックと同じスピードで接近してくる。しかし、若宮は冷静に対処する。

「ふん」

 両手を組み合い、そのまま勢いよく押し返す。素早く反応することにより、勢いをうまく流したのだ。そして、若宮は後ろに跳んで距離を取る。彼女は一旦、魔法陣を破棄した。それを使うのはとどめを刺す時だ。今は使うべきではない。

「はぁぁぁぁぁぁ‼」

 若宮の両手に炎が灯る。防火服でも燃え朽ちてしまいそうな、そんな豪炎。そして、それを全身全霊ケリュケイオンにぶつける。だが、それでも幻獣は全く怯むことなく突っ込んできた。

「無駄だ! ケリュケイオンには炎耐性がある。小手先の魔術ではこいつは倒せん!」

「関係ないわ! 死ぬまで燃やす!」

 若宮は真剣な眼差しでそう答えると、更に火力を強めた。両手から放たれた炎がケリュケイオンの身体を包み込む。次第に動きが抑制され、幻獣は顔をゆがめた。

「ガアアアアアアアアアアアア!」

 ついに耐えきれなくなったケリュケイオンが、悲鳴を上げて暴れ回る。肉体にまとわりついた炎が消える気配はない。稀代の幻獣がもがき苦しむのを後目に、若宮は飼い主の方に歩いて行った。

「炎耐性がなんやて?」

「……貴様ッ‼」

 若宮の大胆不敵な笑みに、ルックロビンは端正な顔を歪ませて怒りながら、内心大きな焦りを感じていた。たしかに若宮牡丹は名の知れた魔術師だが、ここまで力の差があるとは思わなかったのだ。

 自身が最強と信じて疑わないケリュケイオンが、豪炎に倒れている。炎はほぼ消えていたものの、しっぽや胴体は炭化し、もはや立ち上がる気配もない。

「そんな馬鹿な……信じられるか! ケリュケイオンがやられるなんて……!」

「燃えろ」

 若宮が手をかざすと、そこから火球が飛び出した。ルックロビンは獣の肉壁を生成すると、間一髪のところでそれを防いだ。

「……炎属性か。良いだろう。若さには、滾るような炎は良く似合う」

「何言うとるん。うちは炎属性がメインちゃうで」

「は?」

「虚属性も持っとるし。もちろん、手の内はまだ明かしてないけどな」

 若宮は当たり前のようにそう言い放つ。ルックロビンは思わず、首を傾げた。

 は……? おかしい。通常魔術師は、一つの属性だけでも極めるのが難しいとされている。現に魔術師としては優秀な部類に入るであろう自分も持っているのは虚属性のみである。

 しかし、この女は……『炎』と『虚』の二つの属性を持っていると言う。有り得ない。そんな事があっていいのか。しかし、口でだけなら何とでも言える。落ち着け、自分。小娘風情に動揺させられてはダメだ。

「まぁ、とりあえず──」

「!」

 そう言って、若宮は走り出した。そして、ルックロビンに殴りかかる。まずい! 何も見えていないのに、男は咄嗟に体を捻った。

 しかし、若宮は何を考えているのか、ルックロビンの横を素通りした。

「楽にしてあげるわ」

 ルックロビンは後ろを振り返った。そこに見えていたのは、少し離れている場所で待機していた部下たちが、次々と倒れて行く光景。

 やられているというのに、声一つ出さない。いや──出せなかったのか?

「……ッ」

 気づけば若宮の行動は終わっていた。そして、部下の全員がその場に突っ伏している。ある者は、身体を痙攣させながら。ある者は、泡を吹きながら。ある者は、激痛に歯を食いしばりながら。スーツ姿の男たちは全員、一瞬にして再起不能になったのだ。

「なにボーっとしとんねん、あんた」

 すると、若宮がルックロビンの前で不敵な笑みを浮かべていたかと思えば、その場から消えた。

 奴はどこへ行ったのかと、ルックロビンは素早く辺りを見回す。

「上や」

 ハッとして見上げると、そこには若宮がいた。彼女は獲物を仕留める、夜鷹の目をしていた。奥の手を使わずとも、殺せる。一般人を騙して身の丈に合わない魔力を使う男など、これだけで十分だ。

 彼女はルックロビンを潰そうと急降下した。が、彼は体を投げ出し、間一髪のところで回避した。

「……仕留めきれんかったか」

 若宮は残念そうに呟く。先ほどまで自分がいたところには炎柱が上がっていた。ルックロビンは冷や汗をかく。

 燃え上がる炎と、着地の衝撃でアスファルトが割れるのを見ながら、──自分が生と死の狭間にいたのだと気づかされる。

「……いや、私のことはいい。部下に何をした?」

「殴った。丹精込めてな」

「ふざけた真似を。騙し討ちが一番の芸なのか?」

「まぁそう思うのは別にかまへん。しっかし、あんたは何避けてんねん。避けんかったら、早く楽になれたのにな」

 若宮は責めるような口調でそう言った。

 しかし、ルックロビンは小さく鼻で笑った。──ふむ、速度上昇によってケリュケイオンの突進を易々と避けたかと思えば、炎属性で鋼の肉体を燃やし尽くし、おまけに人智を超えたスピードで動くこともできるのか。速度上昇が虚属性に分類されるのかどうかはいささか疑問だが、この女に出会ったのが今日で本当によかった。会うのが少しでも早ければ、戦うための魔力が足りず、無惨に敗北していただろう。

「運が悪かったな、小童。あいにく私の魔力は日々増大している。あと数週間早くアジトの場所を突き止めていれば、難なく勝てていただろうに」

「なんや、負け惜しみか?」

「まぁ見ておけ。言っただろう? 私はあらゆる幻獣を召喚できると。見せてやろう……」

 ルックロビンが両手を広げると、辺りに巨大な魔法陣が現れた。妙な風が吹く。大地が揺れる。そして、そこから数々の幻獣たちが姿を現した。

「まさか……同時召喚……!」

「そうだ。こいつらは、私の全てだ」

 ルックロビンの姿が見えなくなりそうなほど、獅子やら狼やら様々な種類の怪物が若宮の前に姿を現す。どれもこれも強力な魔力が宿っていた。

 ケリュケイオンは自然消滅し、その分の魔力がルックロビンの指輪に吸収されていた。指輪の残りとケリュケイオンの魔力を使って、彼はおよそ全ての幻獣を召喚したというわけだ。

「──そもそも、貴様は私のことを悪人だと罵るが、私は何も自分のした事を悪いとは思っていないがな」

「はあ?」

 若宮は素で聞き返した。しかし、ルックロビンは続ける。

「魔術師にとって、魔力はなくてはならないものだ。魔力がなければ、魔術師は自らの魔術を行使することが出来ない。客がクスリで快楽を得ることは、私が魔力を得ることとの等価交換なのだ。お互いウィン・ウィンの関係なのに、何が悪い?」

「本気でそんなこと思っとるん? せやったらビタミン剤やなくて、堂々と麻薬として売ればええやないか」

「それだと警察が動くだろう? 私たちが摘発されるのは、癒しとストレス発散を求める顧客たちにとっても良くないことだ。私としても、魔力と金が得られなくて困る」

「……意味わからんわ。本気でビタミン剤やと思って買った人もおるかもしれんやろ。それに……犯罪に正しいことなんてひとつもない。罪は罪や! わかるか⁉」

「だから、私は悪くないと言っているじゃないか。むしろ感謝してほしいくらいだ。私のおかげで、貴様は貴重な経験ができたのだから」

「は?」

 またしても、若宮は素で聞き返した。ルックロビンは饒舌に話す。

「貴様がもし普通の女子高生だったなら、今頃ケリュケイオンに食い殺されて、腕やら何やらがその辺に転がっていたよ。しかし、若宮牡丹は強い魔術師だ。私の幻獣に出会えて、さらに強くなれる。だから、私に感謝するべきなのだ」

 ルックロビンは冷酷な笑みを浮かべた。

「……あんた、ホンマに何言ってるんや?」

 若宮は苛立っていた。中途半端な実力の持ち主が、本来持ち合わせていないはずの膨大な魔力を使ってとんでもないことをやっている。

「別にあんたがおらんくても、うちは勝手に強くなるわ。余計なお世話っちゅうやつやで」

 ルックロビンは危険だ。一般人の犠牲をいとわないこの男が下手をすれば、死人が大量に出る──これは早めに決着をつけるしかない。

「ちっ……話の通じない小娘め。地獄を見せてやる」

 ルックロビンが指を鳴らすと、大量の幻獣が若宮に襲いかかった。

「多いな……!」

 若宮は突進をかわしながら、反撃を試みる。しかし、獣の動きが早すぎてなかなか攻撃が当たらない。それを見て、ルックロビンは微笑を浮かべる。

「──さっきまでの威勢はどうした。もたもたしていたら、食い殺されるぞ」

「あんた、なんでこんなことしてるんや! なんのために!」

「なんのため? ハハ、決まっているだろう。路頭に迷った息子たちを雇用することで手先を増やし、その上で得た魔力を使って自らの魔術を極めるためだ! 魔術師として高みを目指すことは当然だろう?」

「他にもやり方があるやろ! ふざけやがって……!」

「さぁ? とにかく、私は本気だ。全力で戦おう」

「……」

 話の通じない相手というのは往々にして現れる。そういう相手には、拳で分からせてやるしかない。

 若宮は少し考えた後で答えた。

「やるわ。あんたを倒せばいいんやろ」

「それでこそ面白い。よし、幻獣共、もっと行け! 奴を食い殺せ‼」

 主の命令に応えて、幻獣は再び若宮に襲いかかった。獅子やら狼やら様々な種類の怪物が雄叫びを上げて、突進する。

「はあああっ!」

 若宮は幻獣の群れに向かって駆け出した。

 彼女の速さは常人の目には映らない。 若宮は誰よりも速く、強く、幻獣共を蹴り倒すと決めた。

 若宮は駆け出して、幻獣に迫っていく。時に、獅子や狼に身体を噛みつかれる。血が吹き出す。しかし、なんてことはない。肉を切らせて骨を断つ。その要領で、若宮は幻獣を蹴り飛ばしていった。

「……!」

 幻獣を倒しながら、若宮はルックロビンの元に迫った。ストッキングは穴だらけで、ところどころ出血している。すでに傷だらけだ。しかし、ルックロビンの元にたどり着いた頃には、手負いの彼女に襲い掛かる幻獣はもういなかった。すべて、その辺に死骸として転がっている。

 若宮は大胆不敵な笑みを浮かべると、大きな声で言った。

「どうや? 文字通り、幻にしてやったわ!」

「……………………貴様ァァァァッ!」

 ルックロビンは憤る。最も恐れていた『死』がすぐそこに見える。どうしてうまくいかないんだ。まだ死にたくない、その苛立ちと恐怖が声となって、叫びとなって、投げ込まれる。

 しかし、ルックロビンはまだ知らない。若宮牡丹は自分を殺さない。余裕がある限りは決して、命を奪う真似はしない。ならば、彼女はどうして『魔術師狩り』などと呼ばれているのだろうか。

 答えは、若宮の持つ必殺技にある。

「終わりや……!」

 立ち尽くすルックロビンに向かって、若宮は不敵な笑みを浮かべた。絶対に勝つ。しかし殺さない。そして、彼女は両手で魔方陣を作った!

「魔術師狩り──まさか、貴様ァ!」

「はぁぁぁぁぁ! 『魔力封印』──‼」

 そう叫ぶなり、魔方陣から眩しい光が放たれた。当然、単に速度を上昇させる魔術を『虚属性』とは呼ばないし、若宮もそのことは百も承知である。

 しかし、『魔術師狩り』には最強の必殺技があった。魔術師から魔力を奪う。かつて中国で自分の陰部を切り取られる──去勢されることは死にも勝る屈辱として捉えられてきた。魔術師にとっても同じで、魔術師としての生命線である魔力を吸い取られ、それをくみ上げる組織までも破壊されてしまうことは、死にも勝る屈辱なのである。

「ぐああぁぁぁぁぁぁ‼」

 膨大な魔力を使って解き放たれたそれは、ルックロビンを包み込んだ。辺りにルックロビンの悲鳴が響き渡る。光に紛れて、御札のようなものが彼の身体を縛り上げた。御札は地面から水を吸い上げるがごとくルックロビンの魔力を没収する。

「…………くっ……殺せ……こんな目に遭うのなら……死んだ方がマシだ……!」

「あほ言うな。うちはあんたを殺すつもりはない」

「なんだと……⁉」

「あんたがやった事は許されへんけど、あんたが死んだところで何にも変わらへん。いいか、うちは魔術師を殺す訳やない」

 若宮が喋っている中、パトカーのサイレンの音が近づいてきた。近くでこの戦いを見ていた人が通報したようだ。

 その音を聞いて、若宮は口角を緩めながら言った。

「うちは『魔術師』そのものを殺す。覚えとき」

 やがて御札に締め上げられ、魔力を吸い尽くされたルックロビンは、そのまま意識を失った。魔力を失った賢者の石は、ただの指輪と化した。警察がルックロビンの組織を摘発してからというもの、彼がどうなったか、定かでは無い──。

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