ID:old liberty ~記憶持ちハーフウィッチ少女は平和な世界に歌声を響かせる~

尾岡れき@猫部

chapter1 花の半魔女は思いがけず再会をする


 ――私ね、君が好きなの

 ――君がね、好きなの


 メロディーは憶えている。目を閉じたら、すぐメロディーが流れてくるくらいには、聴き込んでいた。

 問題はその通りに歌えるかどうか。


 しゅこー、しゅこー。


 携帯酸素濃縮器の音が耳障りだ。


 歌うことはずっと禁止されてきた。心臓に負荷がかかるのもそうだけれど。私はずっと病院暮らしだった。他の患者さんだっている。自由に踊って歌うことが許されるはずなんてなかった。


 そもそも、ドクターストップ。

 思い出すだけで、息苦しい。


 だから、空想のなかで踊った。歌った。

 でも、ようやく――。


 てぃぃぃぃん。

 人指し指で鍵盤を押せば、まるで澄んだガラスを鳴るように、ピアノが音を紡ぐ。


 それすら新鮮で。

 私は、深呼吸をする。


 退院して、やっと三週間。ようやく通学の許可が出た。短時間の登校だ。昼休みにようやく、抜け出して、私は音楽室の前にいる。


(開いてなかったら、どうするの?)


 そんな心配を余所に、ドアを力任せに開ければ――施錠はされていなかった。


 深呼吸。

 もう一度、深呼吸。


 しゅーこーしゅー。


 酸素ボンベの音が、お昼休みを満喫する生徒の声をかき消してくれる。


 てぃぃん。

 もう一度、ピアノの鍵盤を適当にはじく。


 合っているか、どうかさえ分からない。

 ただ、憶えている音階のまま。

 私は、無造作に口ずさんだんだ。



▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥


赤い糸

指に巻き付けて

たぐり寄せて

引き寄せて


ごめんね。

待ってばかりじゃいられないの


私、君が好きなの

誰か任せの運命に

身を委ねるほど

悠長に構えていられない


▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥ ▧ ▦ ▤ ▥



 COLORSカラーズの「運命の赤い糸」

 何度も聞いた。


 何度も繰り返して。

 鼓膜がすり減ったんじゃないかって思うくらい。


 歌詞なんか見なくても、そらで歌える。


 振り付けだって、赤色担当の朱音あかねちゃんのパートなら、目を閉じていたって歌える。あんな風にステージで歌えたら。あんな風に、お客さん達の歓声を独占できたら。


 違う――。

 朱音ちゃん、一人じゃない。


 みどりちゃんも。蒼司あおし君も、真冬まふゆ君も。あの四人がCOLORS。私の大好きなCOLORSだった。


 サビが終わって。

 息がもたない。


 酸素ボンベの同調器が、もっとしっかり息を吸えと、警告音を鳴らす。

 そんなことを意識していたら――音程がずれた。


 やっぱり、想像のなかのステージで歌い踊るのと。現実に、歌うのでは、あまりにギャップがありすぎた。


 息が苦しい。

 私は、朱音ちゃんにはなれない。

 そんなこと、分かっていた。

 でも、それでも――。



 がたん。

 音がする。


 ドアが開いて、顔も知らない男子生徒が私を呆然と見ていた。


(聞かれた?!)


 頬が熱い。

 息ができない。慌てて、駆けようと――逃げようとする私から、カニューレが外れて。そして、酸素ボンベが弱々しく倒れた。それでも、お構いなしに私は全力で駆けようとして――。


「……今の曲って?」


 彼が何かを言った。

 聞こえない。


 私は、何も聞こえない。


 唇が乾く。

 酸素を求めようと、手をのばして。


「あ、う、あ――」


 もっと綺麗な声で歌いたかった。

 当たり前のように、歌って。


 踊って。


 拍手と、歓声が欲しかった。

 それなのに。


 私は、派手に階段から転げ落ちて。

 痛みよりも。


 むなしさよりも。

 情けなさよりも。


 ただ、上手に歌えなくて。

 朱音ちゃんのように、歌えなかった私が、ただただ情けなくて。

 そんな思考ばかりが、堂々巡りをしているうちに。


 私の意識は途絶えたんだ。






■■■





「どこかでお会いしたことありますよね?」


 記憶の再生が終わる。まただ。また、私は前世の記憶に囚われたらしい。


 私は、目をパチクリさせて、彼のことを見やる。


 ガヤガヤとした喧噪がよみがえる。また、記憶が勝手に再生したのか。スラム街寄りの露天バザール。魔法国家リエルラで、五本指に入る危険な場所だった。


 無防備に放心して良い場所じゃない。それなのに――。

 石化したかのように、彼を食い入るように見つめていた。


 ここは魔法国家リエルラ。


 私がいた、あの場所と違う。前世とは出で立ちもまるで違う。あの時は、黒髪。今の私の髪は深紅で彩られていて。原色の髪は、魔力を宿す――魔女の証だった。ただし私は、人間の血を宿した魔女の娘。半魔女ハーフウィッチだ。


 半魔女は、むらに入ることも許されない。


 この魔法国家リエルラでは、魔力の強さ。学術的知力の高さ、法術の筆致さを何よりも価値とする。


 そんななかで、芽吹かせ、花を咲かせるだけの魔法は、無価値にも等しいの――に?


 私は、はっと我に返る。

 彼に、その手を掴まれていた。


 酸素濃縮器がないと、呼吸ができないワケじゃない。

 病気という名の爆弾は、もう抱えていない。

 何より、前世の面影は、何一つない。


 それなのに、それなのに――。


(どうして……?)


 異世界からの旅人。


 光の勇者パーティーの一人、大賢者サトシ・オノ。その見覚えのある学生服に、私は頭がクラクラする。


 賢者は、私を見て心底嬉しそうに微笑んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る