第21話

「お待たせ、ちとせちゃん」

「大丈夫、待ってない」


 思った以上に早く現れた花音かのんに驚いていると、彼女は「行く?」といてきた。


「どうしよう……」

「まあ私はちとせちゃんに任せるけどさ」


 他人事のせいか花音は遊び場所を選べとでもいうようなトーンで委ねてくる。

 私はそんな簡単に決められないのに……。


「どうやって確かめたらいいかもわからないし」

「別にもう確かめるもなにも家行けば終わりだとは思うけどね。すぐ行かないならなんか飲んでいい? 私喉乾いちゃって」


 彼女は私を後ろを指した。

 ああ、丁度いいかな。

 少し休めば考えもまとまるかもしれないし。


「あ、うん。いいよ」

「二人でーす。個室って空いてます?」


 花音が店員と話す声を聴きながら案内された席に座る。

 腰を下ろしただけなのに、どっと今までの疲れが降ってきた気がした。


「ちとせちゃん何飲む?」

「アイスコーヒー、氷少な目で」

「おっけー。私は――」


 メニューを楽しそうに眺めている花音を見ながらどうしようかと考えるが、まったく何も浮かばない。

 まあまだ二人が私に内緒で連絡取ってたってことしか知らないから当たり前か。

 なんかたったそれだけのことで花音まで呼んで騒いでると思うと、我ながら嫌になる。


「それでちとせちゃん。これからどうするの?」

「どうするって……」

「手、またやったでしょ? 傷ついてる」


 花音はさっきついた傷跡を優しくなぞる。

 あの後軽く洗ったから大丈夫だと思っていたけど、やっぱダメだったか……。

 それに、今は私の傷とか関係ない。

 今一番大事なのは二人のことだ。


「手はどうでもいいじゃん……」

「まあいいんだけどさ、その傷久しぶりに見たなーって思って」


 花音は真面目に取り合う気がないのか、可笑しそうに口元を押さえて笑う。

 ただ、どんなに笑われても私としては全く面白くない。


「ごめんごめん。そんなにらまないでよ」

「ねえ、花音ってどこまで知ってるの?」

「どこまでって?」


 彼女はニコニコとした笑顔を崩すことなく尋ね返してくる。

 なんで今日に限って花音の笑顔でこんなにイラついてしまうんだろう。

 血が垂れるんじゃないかというくらい強くこぶしを握り締める。

 私は精一杯平静を保ったまま話した。


「そのままの意味だよ。花音が私に隠してること全部教えてよ」

「全部、ねー……。私が知ってるのは真保まほちゃんの元カノがあの人ってことだけだけど」

「え? 何言ってるの?」


 真保の元カノがなぎ

 そんなのありえないでしょ?

 なんで?

 二人ともお互いの知らないって言ってたのに……。


「何って、事実だよ。相談のってた時のLINE見せるよ。ちゃんと『凪』って言ってるでしょ?」


 花音が見せてきた画面には確かに凪と書かれていた。


「いや、けど別の凪って名前の人の可能性もあるじゃん。凪沙なぎさとか咲凪さなの愛称として凪って呼んでるとかさ……」

「まあ可能性として否定はしないけど、ちとせちゃんと同じ学年に凪の字が名前入ってる人いる? 同じ高校の先輩って言われたんだけど」

「それは今は思いつかないけど……、けど……きっと……探せば一人ぐらい…………」


 どんなに脳みそをフル回転させても名前に凪という文字が入った知り合いは出てこない。

 それは逆回転させても一緒だった。


「大丈夫、いるって……」


 何とか声を出しながら頭を抱えると、花音は私の耳元でささやく。


「現実見よ? ちとせちゃん」


 その声は相変わらず回り続けている脳にこびりついて、動きを止めるくらい粘度が高かった。


「ねぇ、……冗談って言ってよ。冗談なんでしょ?」


 すがるように彼女を見上げるが、彼女は冷たい目を携え私を見下ろしてくる。


「ちとせちゃんだってわかってるでしょ、冗談じゃないって。だからそうやって必死に否定しようしてる」


 そんなことない。

 きっと。

 何度首を横に振ろうが、花音は止まる気配を見せない。


「まあ元カノだろうが違かろうが二人が一緒にいたところ見たんでしょ?」

「それはそうだけど……。けど知ってたならもっと早く教えてよ……。私言ったよね彼女の名前」

「聴いたけど、真保ちゃん傷つけた人にそこまで教える義理はないよ」


 なにそれ?

 なんで……。


「意味わかんない」


 大きなため息をつくと手で顔を覆った。

 ただどんなに表情を見られたくないと思っても彼女には通じないみたいだ。

 彼女は無理やり私の顔を起こし、顎をつかむと目を見つめてきた。


「……なに?」

「けど今は助けてあげる。ちとせちゃんはどうしたい?」


 どうしたいって……。

 どうしたらいいの?

 凪との関係は崩したくない。

 だからって真保ともギスギスしたいわけじゃない。

 

「仲のいい元カノの部屋に行ってなにも起きないといいね」


 彼女は気味の悪い笑顔を浮かべながら、私を見つめ続ける。

 なにも起きないといいねって……。

 なにもしないでしょ。

 しないよね?


「ねぇ花音は本当にどこまで知ってるの? 絶対二人が恋人だったってこと以外も知ってるでしょ?」

「そんなに気になるなら自分で確かめなよ。二人に訊いた方が早いよ、きっと」


 花音は鉄仮面を被ったかのように眉一つ動かさず伝えてくる。

 二人に訊けたらどんなに楽か……。

 それに今まで隠してたなら素直に教えてくれるわけ。

 ていうか凪だって私と付き合い始める前に真保と付き合ってたって教えてくれてもいいじゃん。

 先に言ってくれれば気にしないのに。


「どうせ、二人になに訊いても教えてくれないよ」

「まあそうかもしれないけどね。それより癖出てるよ、ちとせちゃん」

「え? ……ああ、ごめん」


 彼女が指さした先を見ると、私の爪は赤く染まっていた。

 気が付くとはっきりとした痛みが腕から脳に伝わってくる。

 誰かに見られたら騒がれそうだけど、幸いにも腕から垂れるほど血が出ているわけではない。


「けど久しぶりに直接その癖見た気がする。たしか高校入学してからやめたよね?」

「そうかもね……」


 前は誰にもバレないよう隠していたつもりだった。

 ただ花音にだけは気が付いていたみたいで、「腕きれいになったね」と言われたのは覚えてる。


「まあ受験の時と近い精神状態ってわかるのは私としてもありがたいんだけど、もしまた真保ちゃんに当たったらわかってるよね?」


 花音は光のない目を向けてくる。

 その瞳の中には私に向けられたナイフが入っているような気がした。


「それぐらい私だって……、もう真保には当たりたくないよ」

「よかった。けどまあ私も気持ちわかるよ。元カノと連絡取られるとムカつくよね?」


 彼女は明らかに作り笑いとわかる笑顔を向けてきた。

 ただその笑顔の中にどんな感情が混ざっているかまでは読み取れない。

 花音は何を想ってそんなこと言うの?


「わかるって、花音誰かと付き合ったことあったっけ?」

「付き合ったことはないけど、それより最悪なことなら今も続いてるよ?」

「そう、なんだ……」


 花音に付き合うより最悪なことが起きてるなんて知らなかった。

 けどどうせまた訊いたところで詳細は教えてはくれないんだろう。


「で、どうする凪さんと別れる?」

「え? なんで、そんな話してなくない?」

「まあしてないけど、じゃあちとせちゃんは今までのことに目をつぶって付き合い続けられるわけだ」


 彼女は可笑しそうに笑いながら肩をすくめた。

 そんなことできないと思ってるくせに。

 けど実際付き合い続けられるかなんてわからない。


「それは……、自信はないけど」


 それどころかどんな顔して二人にあったらいいかすらも。


「なら、どうするか決めたほうがよくない?」

「そうかも知れないけど、今そんなこと……」

「別に今じゃなくてもいいとは思うけど、取り返しのつかなくなる前に決めなよ」

「取り返しがつかなくなる前って……」


 もう充分取り返しはつかなくなっている気はする。

 ただどうしたらいいかまではわからないけど。


「それとも今すぐ二人に会ってどうにかする? もともとその予定だったし」

「ごめん、やめとく。テスト終わってからでもいい?」


 自分勝手な選択かもしれないけど、テストを前に二人に会いに行くなんて器用なことはできる気がしない。

 多分どっちも手につかなくなって、最悪の結末を迎えてしまうだろう。

 それに解決できたとしても、もしそのあとでテストに失敗したら?

 勉強ができなきゃ私に価値なんてないんだ。

 どんなに頑張っても価値のない人間のそばになんていてくれないだろう。

 それだったらテストが全部終わってから向き合った方がましだ。


「いいよ。けど恋人の代わりになれる人はいても、姉の代わりになれる人はいないってのだけは忘れないでね」


 花音はそのほかにもなにか言っていた気がしたけど、その言葉だけが嫌に頭に残っていた。

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