第3話

「……そして、気がついたら、ここに来ていたというわけなのだ」


 どうしたことだろうか。私は、見知らぬ女に、自分のいきさつを説明する羽目になっているのだ。

 あの美しく手入れをされた広場にて、私は見知らぬ人間に囲まれていた。それこそ市場でも立つ日のように人通りがあったにもかかわらず、私が必死に助けを乞うても、


「えっ、ヤッバ、なにかのイベント?」

「いや、ちょっと、ごめん、何なのかわからないし」

「ここどこって、いやいや、いいってもう、なりきりは」

「いくら美人でも、大学でコスプレは、ちょっと……」


 などとヘラヘラ笑う輩ばかり。

 そのうち、見張りの者だろうか。騎士にしては装備も薄い、年かさの男が近寄ってきた。上下ともに青い制服らしきものを着用していることから、この寄宿舎に雇用されているものなのだろう。


「そなた、この寄宿舎の警護を引き受ける者だろうか! 私の名はシャーロット! 現在、非常に困っているところだ! どうにかお力添えを願いたい!」


 そう声を張り上げたところで、その初老の男性は、にこにこと穏やかに微笑みかけるばかり、ゆっくりとした足取りで、まるで危機感もない。


「あー、キミね、何回生?」

「……何回生? 回とはなんだ? レベルのことか?」

「ここね、大学やからね、自由であることはもちろん大事なんやけど、さすがにね、そのかっこうで騒がれると、オジサンも偉い人に怒られてまうからなあ」


 ゆったりと、子どもに言い聞かすような口調だ。


「ダイガク? ダイガクとはなんだ? いや、たしかに私の身なりは、その、周囲のみなからすればみすぼらしく見えるだろう。それは申し訳ない。だが私とていきなりこの場に出てきてしまい、非常に困惑しているのだ。どうにか元の、オーエ山に戻る方法を教えてほしい」

「大江山? それならねえ、ホラ、出町柳から京阪電車に乗っていかないと」

「ケイハンデンシャ? それは、なんだ? それがあれば、オーエ山に行けるのか?」


 私がその初老の男性の肩につかみかかり、食い入って話を聞こうとしたところ、だ。


「あ、ごめーん、お待たせ!」


 初めて見る女性が、私のその手を外させて、私の体を引っ張ったのだ。


「もー、こんなとこで、ナニやってんのー。警備のおじさんも、スミマセン、私の友達ですー。ちょっと、悪ふざけしてもうて……」


 ケイビのおじさんと呼ばれた男は、いいよ、いいよと鷹揚にうなずいている。

 私の手は、その女性にしっかりとつかまれたままだ。


「じゃ、そういうことでー!」


 私はその女性に連れられるまま、今、ここ、ショクドウとやらに来ているわけだ。

 広場から引きずられるようにして出た私は、黒い道へと出た。馬車が行き違えるほどに広い道だ。きれいに固められた道は見たことがない黒い物質で平らにならされている。石でも、土でもない。あえていえば、冷えて固まった溶岩に似ているかもしれない。


 その道路を見るだけでも、このあたりが貴人の住まう地区だとわかる。美しく整えられた道には、汚物どころかチリすらも見当たらず、非常に清潔だ。


 にもかかわらず、道なりに見える建物はどれも、大きな前庭があるわけでもなく、見上げるような屋敷でもなく、きれいではあるが小ぢんまりとしている。


「キミ、私をどこに連れていくつもりだ!」

「エエから、エエから。あんた、あのままやったら、捕まってまうやろ」

「捕まる? 私は何も罪を犯していないぞ? それよりも、私はすぐにでも元の世界に戻らねばならぬのだ。待たせている者がいる」

「うん、わかった、わかった。とりあえずその話を聞くから、私に付いてきてな」


 まるで子どもをあやすような口調だ。私はそれに少々の不満を覚えたが、しかし今はこの女性に頼るしかない状況だ。なにしろ右も左もわからぬ場所に来てしまったのだ。やむをえず、指示に従うこととする。


 女性は、サチコと名乗った。珍しい響きの名前だ。高級品である眼鏡をかけていることから、彼女も貴族の子女なのだろう。長い髪を結いあげるわけではなく、こざっぱりとひとつにまとめている。派手なドレスではなく、実用的で男性のようなズボンスタイルの服装をし、一見はおとなしそうな印象を受ける。が、汚れのない清潔な髪や肌、労働の形跡のないきれいな手、栄養状態のよさそうなつややかな肌から、あきらかに富裕層だ。それに、この言動だ。地味な外見に反して、どうにも中身は強引で、なかなかにしたたかそうだ。


 ショクドウとやらは、まるでダンスホールのような広さの空間にある。そこでは着飾った男女がダンスをするわけではなく、広間全体を使って長机がいくつも整頓して並べられている。サチコと似たような服装をした男女は、思い思いの場所につき、だいたいは一人で黙って食事をしている。その食事はというと、壁際にカウンターがあり、そこで給仕を受けるシステムとなっているのだ。


「なんか食べたいものはある?」


 サチコは私にそう尋ねた。

 私はとっさに、それどころではないと反論しようとした。が、調理された食べ物の良い香りが充満しているのだ。それが否応にかかわらず、私の鼻腔にも届く。脳に直接、ガツンと刺激される。私の理性がいくら耐えようとしたところで、私の生理現象は自動的に屈服した。止めるべくもなく、私の腹は盛大に音を鳴らしてしまったのだ。


「学食くらいおごるよ。たぶん、日本のオカネもないやろし、安いもんやから大丈夫。お腹もいっぱいになったら、アナタ……シャーロットも、少しは気持ちも落ち着くやろしね?」

「落ち着いている場合では……」

「何が起こったかは今から考えるとして、まずはお腹を満たさなな。腹が減っては戦はできぬって言うやろ」


 サチコがまるでことわざのように言ったそれ、『腹が減っては戦はできぬ』。私にとっては初耳だ。だが説得力がすごい。

 なるほど私たち冒険者は、それを身に染みて実感する機会などいくらでもあるのだ。特に今は山越えの最中だ。荷物がなるべく多くならぬよう、携帯食も軽くて食べやすいものを選び、現地調達も当て込んでごく少量に抑える。途中の山村や山小屋などでの補給を見越していたにかかわらず、地図通りの場所に存在しないことなどザラにあり、……つまりここ数日ほどは腹いっぱい食べることなどなかったのだ。


 行軍が予定通りに進めば、次の街に入って身も心も休め、腹を満たすことができる。だがそれまでの道のりは、疲労と空腹との戦いなのだ。

 そしてよもやの遭難、迷走の果てに、弱った冒険者が、たいして強くもないモンスターに破れ、その命を落としてしまう。そんな悲劇など、腐るほどにママあることなのだ。


「……すまぬ、恩に着る」


 ジタバタしてもしかたがない。私は腹をくくった。

 まずはサチコに頼り、現状を整え、把握することに努めるべきだ。

 ショクドウという場所では、セルフと呼ばれるシステムが採用されているらしい。各々がトレイを手に取る。さまざまな食材を用いられた料理が取り揃えられている中、食べたいものの皿をそれに乗せ、自身でじゅうぶんだと判断した量を確保すれば、会計をする。そして、好きな席に着き、食事をはじめるというわけだ。


「……このように、大量の食料を、それも肉、魚、野菜、穀類、それぞれをいく種類もの調理を施してあらかじめ準備し、給するなど……なんと贅沢な……」


 私があまりの天上の待遇に恐れをなし、トレイを持ったままぶるぶると震えていると、サチコは優しく私を空席に誘導しつつ、


「ここは医学部にあるからな、食べてる人も医学部か薬学部の学生か、お医者さんがほとんどや。そういう人はおとなしくてお行儀の良い人が多いからなあ。シャーロットみたいな変わった人がいても、注目はされるやろうけど、絡まれたりはもちろん、騒がれたり追い出されたりはせえへんやろーって思って」


 と説明をしてくれた。


「な、なるほど、ここは医師、薬師の学び舎なのか」

「そういうこと」


 ところどころ私にはわからない単語が含まれるが、それをすべて聞き返していては時間がいくらあっても足りない。

 私はひとまず、目の前の甘辛い味付けのしてある焼いた豚肉や、炊いた白いコメ、それに根菜とイモをほろほろになるまでに煮たスープ、材料がなにか見当がつかないが刻んだ青ネギの乗った白くてプルプルと震える四角いカタマリ、揚げたイモ、それから驚いたことに、生野菜……。


「野菜を生で食べるのか⁉」

「え? うん。新鮮でおいしいで?」


 サチコは、何を言っているんだこいつ、という目で私を見ている。


「まさか、サチコは知らんのか? 畑でとれたものだろうが、山から取ってきたものだろうが、食材は必ず火を通さねばならん。寄生虫がついていたり、病気を持っていたりするのだ。それに虫やヨゴレなどもついている。そのまま食べれば、腹をこわすのだ。単にくだすだけならまだしも、場合によっては命にかかわることもあるのだぞ?」

「あー、そっか、そういえば海外からの留学生とか、外国人観光客の人も、生野菜にビックリしてはること、あるなあ」


 サチコはひとりで納得したようすで、うんうんとうなずいた。


「野菜だけでなく、生のタマゴとか、刺身とか、日本にいてると普通に食べるけど、わりと食べへん国のほうが多いみたいでなあ。いややったらエエで、残しとき」

「あ……いや、せっかくの食料を食べずに残すなど。ただ、火を通せばいいというだけで」

「そうは言ってもなあ、食堂のオバチャンに、サラダを持っていって、コレ焼いてっていうても、困らせるだけやろうしなあ」

「……困らせるのか」


 私は煩悶した。

 見知らぬ土地で、見も知らぬ若い女性に食事をごちそうになること。これは命を救ってもらったにも等しい恩だ。心の石に刻み、それこそ、この命ある限り報恩せねばならないことだ。

 だというのに、私の主張は、彼女を困らせているらしい。


「エエよエエよ、残すんがいやなら、私が食べるし」


 サチコは言うが早いか、私の目の前にある生野菜が入った透明な器をひょいと持ち上げ、それを自分の前に持っていこうとする。

 なんということだ。食事を与えてくれただけではなく、私の「食べたくない」という意向まで重んじてくれた上に、危険な食物を、私の代わりに口にしようというのだ。

 サチコの精神の高潔さに、私は自身を恥じた。


「いや! 私がいただこう!」


 私は器を取り返した。意を決し、フォークを手に取る。茶色の液体がかかった緑色の葉にさし、たとえサチコが止めようとしたところで割って入れないほどの早さで口の中に放りこんだ。

 無我夢中で咀嚼し、飲み込む。

 そして私は、ぽかんと感想した。


「……おいしいな」

「でしょ?」


 シャキシャキした歯触りの、瑞々しい食感。たっぷりと水分の含まれた野菜に歯を立てれば、さながら口の中をシャワーで洗うかのようにしぶきが散る。噛んだ瞬間に葉物特有の苦みが走ったかと思えば、噛めば噛むほどにじわじわと、後から甘みが滲みでてくる。野菜もかみしめれば甘いなど、初めて知った。これは火を通さないからこその風味だろうか。そこにゴマの香りが高い液体がまろやかに調和する。苦みも甘さもまるごと大きく包み込むような度量のその液体に強く食欲を刺激され、次のひとくちが待ちきれずに嚥下する前からもうフォークを残りの野菜につきたてる始末だ。


「……なんということだ。生で食べる野菜が、これほどおいしいとは」

「おいしいって言うたやん」


 サチコはおかしそうに笑っている。


「いや、本当に、恩に着る」

「ええって。まあでも、元の世界に戻ったら、そっちでは生野菜は食べへんほうがエエかもなあ。なんでも、郷に入っては郷に従えってヤツやし」

「ゴウにイッテハ……? あ、いや、それよりも、そうだ、元の世界に戻る方法だ! サチコ、なにか知らないだろうか! 転移魔法を使えるような高位魔法使いに心当たりなどは!」

「あ、ごめん、わかれへん」


 あっさりと希望は砕かれた。


「いや、もう少し、考えてみてはくれないだろうか」

「考えるも何も」


 サチコはサっと居住まいをただした。背筋を伸ばして笑みを引っ込め、考えるようなそぶりを見せるだけで、彼女の雰囲気はガラリと変わった。にこやかで親しみ深い、おせっかいなほど親切な女性は、どうやら根っこの部分では、意固地なほどに自分の考えをはっきりと持っているようだ。


「シャーロットが別の世界から迷い込んできたというのは、百歩譲って信じようと思う。なんでかというと、ウソをついているようには見えへん。演技にしたら迫真にせまりすぎやし、そもそも私とふたりきりで学食で向かい合ってるトキまでキャラになりきる意味ないやろし。かといって、妄想に取りつかれてるとか、酒や薬で酔っ払ってるとかにしてはまともに会話も成り立つし、ゴハンもちゃんと食べる。服装かって、異世界から来たというんやったら納得するわ。というわけでシャーロットがその、ドラゴンとか魔法とかがある世界から来たというのは、私は信じる」


「……待て、サチコ。その言い方だと、もしかして……」


「そうや。この世界には、魔法はあらへん。せやから転移魔法とかも、使える人なんておらんねん。戻る方法いうてもなぁ、わかる人はどこにもおらんと思うよ」


 どこにもいない。

 一片の迷いもない、断言だ。

 私は頭を石斧で殴られたかのような衝撃を受けた。事実、目の前は真っ暗になり、体は平衡感覚を失ってくらりと揺れ、倒れかけた。心臓は音を立てて早鐘を打ち、汗が噴き出すくせに、手足が氷のように冷えていく。指が、腕が、そして背筋がガタガタと震えはじめ、言葉を紡ごうと口を開けば、くちびるが痺れて感覚が消えていることを知る。


「私は……戻れないのか?」


 ……ライオネル。私はそなたを救いに戻れないのか。

 ああ、理性ではわかっている。本当はわかっている。ドラゴンと対峙してから、すでに時間がたちすぎている。たとえ戻れたとしても、もうきっと、手遅れなのだ。


 しかし、だが、救えないとしても、だ。


 せめて、そなたの屍が無残に野にさらされたままにならぬよう、弔いに向かいたいと、……それすらも、私には望むことができないのだろうか。


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