25.決勝トーナメントⅠ(1)

 杷がストーンのデリバリーに入ると、観客席から歓声が上がった。昨日の倍以上の客入りで、用意された移動式の観客席はほぼ埋まっている。

「ヤップ、ヤップ!」

 急いで、と無田が叫んだ。

 隣のシートからも同じような声が聞こえてくる。無田は負けじとさらに声を張り上げた。

「ウォー! ――ヤップ!!」

 少し行き過ぎたものの、なんとか誤差の範囲にストーンを止められた杷はほっとしてこめかみの汗をぬぐう。

3点勝っている状態で迎えた第7エンド、サードの杷が投げたストーンは真ん中のティーラインよりやや下にある相手のストーンにつける形になる。ハウスの中には他にこちらのストーンが2つ入っており、複数得点のチャンスだ。もちろんこれを阻止したい相手チームはダブルテイクアウトを狙うが、手前にあった1つを弾き出してその場に留まる。

「――」

 間嶋の的確な1投は無慈悲にもステイした相手のストーンを弾き、センターガードになっているストーンの後ろに回り込ませた。これを、相手は前のストーンから飛ばしてもう1つ中にあったこちらのストーンごとダブルテイクに成功。

 だが、間嶋は容赦なく反対サイドを使って杷が相手のストーンにつけたNO.1の斜め上にもう1つストーンを積み上げた。

「負けました」

 あと1投で密集しているNo.1、No.2ストーンの形を崩して3点取るのは不可能だと判断した青森の学生チームは潔く手を差し出し、コンシードが成立。各シートの後ろに設置されたホワイトボードに駆け寄った無田は第8エンドの空欄に斜線を引き、その隣の総得点欄に5:2と最終的なスコアを書き込んだ。

 

「決勝トーナメント進出やったね!」

 リンクから引き上げながら、無田は腕時計を確認する。

「次の試合が始まる前に急いでお昼を食べちゃおう」

「あ、じゃあトイレ行ってくる」

 杷が言うと、無田が「俺も行っておこっと」と言い出した。

「忍部と間嶋で弁当引き取っておいてよ」

「任せとけ」

 気楽に引き受けて鞄を背負い直す忍部の後ろで間嶋がもの言いたげな顔をする。無田と連れ立って手洗いに向かった杷は奥の個室を指さした。

「あのさ、俺あっちだから。済ませたら先戻ってて」

「わかった」

 空いていた個室に入って鍵を閉め、大きく息をついた。蓋をしたままの便座に腰を下ろし、ズボンの裾をまくり上げる。サポーターを外すと、膝頭に大きな内出血の跡があった。

(夜中に事務所前で転んだところ、やっぱりあざになってる)

 軽く膝を動かしてみると、曲げ伸ばしする際に鈍い痛みが走る。杷はため息をつき、念のために患部を固定しておこうとポケットにしのばせてあったテーピングを取り出した。

(勝手にベッドを抜け出して怪我をしたなんて無田たちに言えるわけないよな。あの時――)

 ビッ、と音を立てて引っ張ったテープを膝の左右で交差させ、上下を挟み込むように向きを変えて巻いていく。

(間嶋が変な態度をとったから、そっちが気になって足元がおろそかになったんだ。あれ、本気で言ってたのかな。同情がほしいとか。そんな風には全然見えないけど)

 ――もし本気だとしたら。

(さすがにその気持ちはわからない!)

 杷は爪でテープを切り、捲り上がった端っこを肌に撫でつけると残りを元のように巻き取った。

(わけわかんないこと悩んでる暇があるなら、もっと歩み寄る努力をしろって感じだよな。そもそもあれだけ隙のない間嶋のどこに同情できるところがあるのかわかんないんだけど。俺だってあいつには気おくれすることあるくらいだしさ。ああ、でも)

 残ったテープをポケットにしまい、サポーターをもとの位置に戻すとついでだからと用を足しながら思い返す。

(よだかになれないってのはそういうことなのかな。そりゃ、あいつがひとりでいたってはぶられてるなんて誰も思わないよ。ほんとは悪いやつじゃないのに。いいやつかと言われると困るけど――)

 水を流して、手を洗いに鏡の前に立つ。

 ――背負わせろよ、お前を引っ張り込んだ責任くらいは。

「…………」

 濡れた手を払い、跳ねている寝癖をちょいちょいと直す。

(……まあ、こっちから歩み寄ってやるのもたまにはいいか。大会終わったら突っ込んで話聞いてやろ。その前に天樹に電話しなきゃだけど)

 天樹が僅差で金メダルに届かなかったことを、杷は会場前で張っていた地元紙の記者に教えてもらった。ジュニアの頃から世話になっていた冬季スポーツの担当者だ。彼は遠慮する杷から天樹の結果に関する感想と本大会に臨む意気込みについてのコメントをもぎ取ると、「応援しているよ」と激励して他のチームの取材に移っていった。

(さらに大事になってきてしまった……)

 だが、いまはとにかく大会に集中することが大事だ。

 よし、と気合を入れて控室に戻る。使っているのはEとFグループの選手で、それぞれのチームでまとまって昼食をとっている最中だ。

 空いていた間嶋の隣に座ると、小声で聞かれる。

「調子は?」

「あざになってるだけ。ちょっと腫れてるけど痛み止め飲んであるし、全然大丈夫」

「…………」

 既に弁当をあらかた片付けていた間嶋は何か言いたそうな顔をしたが、結局は口をつぐんだ。

「無田は? 先に戻ってるはずなんだけど」

「2位チームのLSDを見にシートに行った」

「ああ、そういえばGいわてがいないな」

 割り箸を割りながら部屋をぐるりと見渡す。特徴的な濃藍色のユニフォームの不在にはすぐに気がついた。

「勝ち上がってくるかな?」

「さあな。LSDは運もからむから、わからない」

「そっか」

 杷は話を合わせつつ、弁当の3分の1の面積を占めるアジフライにかぶりついた。衣がぱりっとしており、つけ合わせに添えてあるきゅうりの塩干しが箸休めにちょうどよい。半分ほど平らげたころ、スタッフが入室してあらかじめ用意されていたホワイトボードに決勝トーナメント出場チームを記入していった。


●決勝トーナメント 11:00~ 第1~第4シート


・盛岡工業大学カーリング部(岩手) vs 大根王子(北海道)

・チーム兎沢(秋田) vs 八つ手(岩手)

・ゴールデンピラフ(福島) vs チーム無田(岩手)

・本宮SCスポーツクラブ(岩手) vs LOLzエルオーエルズ(東京)


「Gいわての名前がない?」

「運がなかったか」

 ペットボトルの烏龍茶に口をつけながら忍部が言った。

「あそこが出てこないなら結構本気で優勝を狙えそうじゃないか? 要注意なのは東京のLOLzと常連の――」

 忍部が言いかけた時、ちょうどGいわての面々が引き揚げてきた。

「哉ちゃん、どうだった?」

 鶴見に声をかけたのは出入り口の方で円座していた40代から50代にかけての中年男性ばかりのチームだ。「あれが常連の八つ手やつでっていうチームだよ」と忍部が教えてくれる。

「みんな商店街の旦那さんたちで、経歴は20年以上。八つ手ってのは彼らの胸に入ってる天狗の団扇みたいな葉っぱのトレードマークのことだが、4人で8本の手っていう意味もあるらしい。優勝回数は最多の5回。子ども時代の鶴見選手にカーリングを教えたのもあの人たちなんだ」

 それを裏付けるように、気安く微笑んだ鶴見がメンバーを連れて挨拶をしにいった。順番に紹介して、握手をする。

「いい線はいってたんですが、残念ながら2センチ差で脱落です」

「せっかく地元に帰ってきたっていうのに、予選落ちとはだらしないねえ」

「腕がなまってるんですよ。よかったら後でやりますか? 負けた方が奢りで」

「俺らと握ろうってかい、上等だ! そっちが勝ったらうちで焼き鳥食べ放題でいいぜ」

 彼らが話に花を咲かせている間に無田も席に戻ってきた。

「Gいわてとの再戦はなくなったな」

 忍部が話を振ると、無田は頷いて弁当の包みを開ける。

「残念だけどね。でも、ミニゲームのホストができるからかえってよかったって言ってたよ」

「ミニゲームってどういうのやるんだ?」

 杷がたずねると、無田はテーブルの上に指先で円を描いた。

「ハウスに色んなパターンのストーンを置いて、ショットの精度を競うんだ。投げたストーンの位置がハウスの中央に近いほど多く得点をもらえる。去年は忍部が結構いい線まで行ってなかったっけ?」

「ああ、景品にスポーツウォッチもらったよ」

 忍部が頷き、思い出し笑いをする。

「去年は予選リーグでLOLzにぼっこぼこにされたからな。今年はリベンジといきたいところだね」

「LOLzって東京の?」

 杷はトーナメント表を見ながらたずねた。そういえば、間嶋が東京からも強豪チームが遠征してくると前に言っていたような気がする。

「そんなに強いんだ?」

「去年の優勝チームだよ。当たったのは予選リーグの2戦目で、5点差がついた時点でコンシード。まだ間嶋が入る前、俺がスキップとして最後に投げてた時の話」

 杷は新入りにフォースを明け渡したスキップの気持ちを考えて口をつぐんだ。だが、無田は少しふてくされたように吐息して杷の想像を修正する。

「そりゃあ、俺にだってスキップのプライドはあったけどさ。勝てる武器を使わないで負ける方が嫌でしょ。間嶋にはフォースをやる代わりにバイススキップは別のやつにしろって条件を出されたんだけど」

「なんで?」

「…………」

 無田はちょっと黙り、間嶋がごみを捨てに席を外したタイミングで言った。

「久世くん、もしも君がブラシを指示した位置に俺が投げなかったらどうする? それも、君以外のメンバーはそれを了承している上で」

「――」

 杷はすぐには答えられなかった。

 それは、チームメイトに対する最大級の侮辱ではないだろうか。もちろん無田はそんなことをしない。やったのは間嶋の古巣である花巻CCのメンバーなのだろう。彼は間嶋がスキップに代わるフォースでありながらバイススキップを兼ねていない理由を遠回しに伝えたのだ。

「まあ、おかげであいつは俺たちのチームにいるんだけどね。それにスキップのくせにリードだからって侮るなかれ。ガードストーンなら目をつぶってでも置けるよ俺は」

 昼食を終え、シートに戻った無田は手袋をつけながら言った。1回戦目の相手であるゴールデンピラフを6:4で勝ち抜き、準決勝戦に進んだ杷たちは大会が始まってはじめて、いつも練習をしている正規シートに足を踏み入れた。

 LSDはチーム無田が50cm以上の差をつけて後攻を取り、代わりにストーンの選択権を得たLoLzはチームカラーと同じ赤いストーンを選択した。

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