15.予選リーグⅠ(3)



「…………」

 再び、鶴見が顎を触った。

 今のところ、ハウス内にはGいわてのストーンが1つ、チーム無田のストーンが2つだ。

「これさ、やばくない?」

 彼は隣に立つサード兼バイススキップの梅垣を見た。彼は忍部以上に背の高い男だが、彼に比べて圧倒的に幅がない。

「なにがです?」

 言葉とは裏腹にどこか危機感のない飄々とした態度のスキップを前にして、梅垣はどう反応していいのか躊躇っているように見えた。

「だって、ずっと後手後手に回ってるよ。相手のNo.1ストーン、こっちのNo.2ストーンがバッグガードになってて弾き出せないじゃない」

「宅の1投目が少し長めに入ってしまいましたからね。あれがティーラインより手前に止まっていれば随分違ったんですが。でも、まだ半分ですよ。取り返せます」

「お前はポジティブだねぇ。こういう風に相手のペースになっちゃうことがあるから、俺は後攻から入るの好きじゃないんだよ」

「鶴見さんがネガティブなんでしょう。普通、後攻の方が有利なんですよ」

 鶴見に悪気はないようだったが、これから投げる梅垣からすれば自分を信用されていないように聞こえたのかもしれない。彼はややむっとした様子で、ほら、とハウスの向こうを見た。

「早くしないと、皓平が待ってますよ」

 ハックの前でしゃがんでいるのは、真剣な顔つきで鶴見の指示を待っている青年だ。セカンドを任されている最年少の壬生皓平。

(高卒で企業チームか。結構思いきった進路だよな)

 例えば杷がやっていたフィギュアスケートなど、十代で結果を残しやすいタイプの競技なら話は別だ。だが、40代の現役も多いカーリングではめずらしい経歴だといっていい。

 彼は鶴見が10時方向にある石を弾き出すようにブラシを動かすと、大きく首を横に振った。

「ん?」

 気づいた鶴見が眉をひそめ、もう一度同じストーンを示した。再び、壬生が野球の投手がよくするように首を左右に振る。

「あ」

 途端に無田が嫌そうな顔になる。

「もしかして、こっちの思惑ばれてるのかな」

「思惑?」

 無田が唇だけをゆっくりと動かした。

(スチール狙い?)

 まさか、と杷は目を瞬いた。カーリングで盗むスチールというのは、圧倒的に不利な先攻が点を奪うことだ。

「じゃあ、先攻はわざと?」

「そう。こっちが後攻で点を取ってからじゃ警戒されるから、狙うなら最初しかないって間嶋が」

「いやでも、点とったら相手がまた後攻になってあんまり意味がないような……」

「だから、2点以上を狙うんだって」

「にて……」

 さすがに言葉を失う杷に、無田はひどく不本意そうな横顔で言った。

「相手がこっちを舐めてるうちならできる、だってさ」

 その時、壬生がハックを蹴り出した。

 ――早い。

 シートを移動しながら、杷はガードストーンがものの見事に弾き飛ばされて左右の壁にぶつかって跳ねるのを見た。

「早めに前を空けて、抜け出すベイルアウト作戦に切り替えたか。もう1回置くぞ」

 スイーパーの位置についた間嶋の手元で、ブラシがくるくると回転する。

「前がなくなったおかげで相手のストーンも丸見えだけど」

 あれらを弾き出せば、ハウスの中にこちらのストーンが3つだけという計算になる。だが、間嶋は即座に却下した。

「そしたら、次の梅垣にトリプルテイクアウトされてブランクエンド直行だな」

「……なるほど」

「自分で1回読んでるラインだ。簡単だろ?」

 ブラシの回転が停止して、氷の上に置かれた。

「うん」

 手袋をポケットにはさみ、素手でストーンのハンドルに触れる。無田のブラシが示すのは、最初に杷が指示したのと同じ場所だ。あの時とはお互いの場所を入れ替える形で、そっと手元のストーンを送り出す。

「――」

 間嶋と忍部がストーンとハウスを交互に見比べる。無田の「軽くクリーン!」という声かけに忍部は氷の表面を軽く抑えるような形でブラシを滑らせた。ストーンが曲がり始めてから幾度か擦ったきりで、ほぼセンターラインの上に止まる。

「ちょっと長い?」

 シート脇まで戻って来た間嶋にたずねると、彼は一拍を置いてから「ナイスショット」と言った。

「なんだよ今の間は」

「だから、長かった分だろ」

 ガッ、というストーン同士が強くぶつかり合う音に間嶋は顔を上げ、そのまま顎でハックを示した。

「もう1回」

 振り返れば、次の投手である梅垣によってさっき置いたばかりのガードストーンがなかったことにされている。

「またガードストーン?」

 シートの脇に退いた宅の隣に並んだ梅垣がつぶやいた。

「この状況ならつい、テイクアウトしにいきたくなるんだが……本当にただの高校生なのか? やけに落ち着いてるな」

「フォースは花巻CCのレギュラーだった間嶋だな。前のチームにいた時、県予選で当たったから覚えてる。あいつ、クラブは辞めたのか。正確なショットのできるいいサードだったけどな」

「は――? おい、花巻CCって何度か東北代表になったこともある強豪チームじゃないか。知ってたならなぜ先に言わない?」

「鶴見さんと皓平はちゃんと気づいてたぞ」

 宅はブラシの柄に重ねた両手を置き、呆れたように言った。

「お前、そんなんじゃ今投げてるのが誰かも分かってないんだろ。あれ、同姓同名のそっくりさんでもなけりゃフィギュアスケートで有名だった久世杷だぜ」

「は?」

「一昨年の全日本ジュニアチャンプだよ」

 宅は梅垣に自分のブラシを預け、かきあげた後ろ髪を手首にはめていたゴムでひとつに結わえ始めた。

「当時の冬季スポーツ雑誌でよく特集されてただろ。なんでカーリングなんかやってんだろうな」

 ぱちん、とゴムから手を放す宅の隣で、梅垣は折りたたんでポケットに入れていたプリントを取り出す。指先で対戦表に書かれた相手チームの名前をたどり、目の前で投げている人物と見比べた。

「本物?」

「通りで観客が多いわけだ。この大会、録画編集したのが夜に地方テレビで流されるからな。明日はもっと増えるぞ」

「でも、フィギュアスケートだって今シーズン中だろ。こんなところでカーリングしてる暇なんてないはず……」

「だから知るかよ。にしても、こうして実際に目の前にしてみると華が違うな。なにしろ冬季じゃ1、2を争う人気競技のスターだ。マイナー競技者としてはうらやましくて涙が出てきちゃうね」

「よせよ。スポーツ選手が強さよりも人気にこだわるなんて惨め過ぎるだろ」

「国際大会ですら地上波放送ないからな、俺たち。今日来てるカメラだって協賛の地元テレビ局だけだろ。それでも、チームを売り出すには貴重な機会ってわけだ」

「……十分な人気と知名度があれば、企業チームがオープン大会を荒らしに参加するような真似をする必要もない、か」

「そういうこと。ぶざまに負けるわけにはいかないが、大人げなく勝ちにいくのも体裁が悪い。俺たちはあくまでも協賛チームであって、この試合は接待も同然だ――っていうのが、オーナーと参加者の顔を立てるための建前ってやつだな」

「会社員のジレンマだなあ。で、本音は?」

「そりゃ、お前」

 2人が話している間にも、ハウスの中心へ至る道筋が再びガードストーンによって阻まれる。梅垣とともにハックの前へ移動する道すがら、宅はぼそりと真顔で言った。

「舐めてるガキに社会の厳しさを教えてやりたいね。俺たちからスチール? やれるもんならやってみろってんだ」

「宅……。でも、今俺たちがピンチになってるのって、お前の第1投が素で長めに入っちまったせいだよな?」

「それを言うなよ、もう」

 梅垣がハックに着く頃、杷は手を離したストーンが無事にセンターラインのほぼ真上に止まってくれたのを見て立ち上がる。

(ガードストーンを置き直しただけで俺の番、終わっちゃったけど……)

 次もピールしてくるだろうか?

 ハウスの中から指示する鶴見のブラシは彼から見て右手側のかなり端にある。大きくとった曲がり幅はテイクショットの時とは明らかに違った。

「ドローショット?」

「俺たちのストーンにつけてくる気だ」

 ブラシの上に両手を重ね、忍部が呟いた。

「もしぴったりつけられてNo.1ストーンをとられたら、今度はこっちがガードストーンを外して中を綺麗にしなくちゃならない。そうなったらスチール狙いから1点を取らせる作戦に変更だ」

「大事な一手ですね」

「ああ。だが、あっちのラインはまだ一度も使われていない。うまく読み切れるか?」

 忍部の懸念通り、ストーンが梅垣の手を離れていくらも進まないうちに「ヤップ!」の声が彼の口から上がった。

「――短い」

 ぼそりと忍部が告げる。

 とっさに、鶴見が叫んだ。

「皓平、ここまで持ってこい!」

「――ッ」

 向かって右側、渾身の力で掃き続ける壬生の激しい息遣いがここまで聞こえる。ハウスの中央を狙っていたはずのストーンは早めに曲がったことでセンターラインへ近づき、そこにあったガードストーンを僅かに押した。

ずらウィックした!?」

 弾かれたガードストーンは左へと流れ、ハウスの手前3から4の間くらいで停止する。10時方向にあるNo.3ストーンよりわずかに左寄りの位置だ。

「投げた方のストーンは――」

 ガードストーンと接触したおかげで軌道が変わり、反対側のハウスの縁にぎりぎり引っかかる形で入っている。

「直前でルートを変えた?」

「Bプランってやつだね。目標地点まで届かないから、次善の策に切り替えたんだ」

 忍部は言い、ハックについた間嶋を振り返った。

 手元でくるくるとストーンを回してから、間嶋は無言のままデリバリーの態勢に入る。危なげなく置き直されたガードストーンを、鶴見は梅垣がウィックしてハウスの前に残っていたストーンごと弾き出した。

 これでようやく前が綺麗に空いた。

 無田に呼ばれ、全員がハウスに集まる。

「ここかな?」

 無田のブラシが中心に当たる円の右上を指した。

「相手のNo.2ストーンよりぎりぎりで内側に入る位置。ここに置いて、中心への道をふさぐ。そうすると、たとえ10時方向にあるNo.3から飛ばされてNo.1を出されてもこのストーンが残るし、あるいは投げたストーンを残すようにしてこのストーンを出しても、その場合はNo.1が残るからいずれにしても1点はスチールできる」

「そのストーンに当てて、投げたストーンをNo.1に飛ばしてくる可能性は?」

 忍部の問いに無田が首を振った。

「リスクが大きすぎる。少しでも厚く当たったら終わりだし、このNo.2ストーンが壁になってるからさ」

 とんとん、と無田はNo.1の後ろにぴたりとくっついているNo.2になっている相手のストーンを示した。

「投げたストーンが点数になるような力加減だと、この強いNo.1を押しきることは難しいと思う。失敗すれば2点スチールだ。堅実にここへ置いたストーンだけを出してくると思うよ。こっち側のラインはあんまり使ってないから難しいショットになるけど、忍部のスイーピング力があれば――」

「それじゃ1点しか取れない」

 反駁の言葉と共に、無田のとは別のブラシがNo.1ストーンを叩いた。

「これを狙う」

 間嶋だ。

「厚めに当てて投げたストーンをハウスの中心に残しつつ、相手のNo.2を俺たちのNo.3よりも外側へ押し出す。そうすると……」

 彼は投げたストーンが停止すると予想される位置にブラシを置いて顔を上げた。

「No.1からNo.3までが俺たちのストーンになる。その上、No.2が後ろの壁になってNo.1はまず出せない」

「ば――」

 無田は怒鳴りつけるかのように大きく口を開きかけ、慌てて声をひそめた。

「ばかなの? ねえ、間嶋。こっちが有利な状況なんだよ? どうしてわざわざ自分のNo.1を自分で動かしにいくんだよ。もし少しでも強かったらスチールどころか相手に複数点入るかもしれない」

「短い分にはお前が言った通りの場所に止まるだけだろ。俺はそこへ向かって投げるから、あとはスイーピングで伸ばせば問題ない」

 間嶋は忍部に「できるだろ」、と振る。

「言ってくれるねえ」

 ブラシの上に肘を置いた忍部は嘆息しながらも「まあね」と請け負った。

「ただし、短い場合のみだ。長いとスイーピングじゃどうにもならない」

「14.5、6秒くらいか」

「今日のアイスは少し重いからね。それくらいだろう」

 無田が嘘だ、とつぶやいた。

「普通にやれば確実に1点取れるのに……久世くんは? どう思う?」

「えっ」

 唐突に意見を求められ、それまで黙って彼らの相談を聞いていた杷は自分に注目が集まっていることに戸惑った。

(無田の言うことはもっともだし、スキップの作戦を無視したら司令塔の意味がないんだけど……)

 ごめん、と心の中で無田に謝りつつ、一票を投じる。

「投げるのは間嶋なんだから、本人ができるっていうならいいんじゃない?」

「決まりだな」

 さっさと間嶋は背を翻し、向こうのハウスめがけて滑っていった。

「あーもう。どうなっても知らないよ、俺は」

 無田はぶつぶつと文句を言いながらも、ブラシを縦にして目標地点に立てる。投げる方のハウスへ向かう途中で忍部がつぶやいた。

「それじゃ1点しか取れない、か」

 振り返る杷に、彼は苦笑しながら言った。

「俺は間嶋が末恐ろしいよ。今はまだいいけど、そのうちにこっちが対応できないレベルのことを要求されそうでね。君が乗ったのは意外だったな。どちらかというと無田の味方をすると思ってた」

「いや、俺は単に――」

 言いかけたところで、間嶋がデリバリーに入ってしまう。慌ててブラシを持ち直してストーンの後を追った。

(勝ちたかったらたぶん、1点じゃ足りない)

 フィギュアスケートでもそういうことがある。まだ滑っていない選手がいる場合は得点が出ても暫定何位という言い方をするのだが、自分の得点が最終的に上回るかどうかは不思議と分かるものだ。今、1点では足りないというのはそういう意味だった。

「6.5」

 ストーンが間嶋の手を離れた瞬間、忍部が叫ぶ。

 ハウスの中心を横切るティーラインを7として、そこから円の最も外側が4、ホッグラインの手前が1だから、6.5は中央の円にかかるかかからないかくらいの位置だ。

(ジャスト……!)

 ぞっとするくらい正確なショットに、ブラシを持つ手が震える。

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