私たちが選ぶ道

さくら

第1話 孤独

目覚ましが鳴る。

少しまだ肌寒い朝を、ジリジリと鳴り続けるアラーム音が切り裂いていく。


今日から新学期だ。

でも、夜遅くまで家庭教師の指導が続いていたせいか、だるさが残っていて起きられない。

もう少しだけ、と思っていたところに、ちょうど声がかかる。


「お嬢様。失礼いたします……お嬢様。茉莉お嬢様!」

「んー……もう少しだけ寝かせて頂戴……」

「ダメです。そろそろ旦那様も起きていらっしゃいます。お嬢様も早くご支度ください」


入ってきた侍女――早苗に、重い瞼を指で開けられそうになり、観念して体を起こす。

お父様より遅れてしまうと、また小言をいただいてしまう。


「はぁ。分かりましてよ。起きますってば。髪を梳かすの手伝ってくださる?」

「承知いたしました。こちらへおかけください」


私の酷い癖毛に丁寧にブラシを入れる彼女は、幼い頃から私付きの専属として働いてくれている。

早苗はお母様くらいの年齢だとは思うのだけれど、どう見ても30代前半くらいにしか見えない彼女といると、よく姉妹と間違われてしまう。

私が幼いころから、本当によく仕えてくれている、かけがえのない人物だ。


「ねぇ早苗?今週の大きな予定はありまして?」

「今日は特にございませんが、週末に系列企業の重役を招いた食事会がございます」

「またありますのね……」


思わず愚痴がこぼれてしまう。

週末となれば、必ずと言っていいほど開催される食事会。

当然、東堂家の長女として、私が出ないわけにはいかない。


「これも次期総帥の務めでございますから」

「……分かっていてよ早苗。愚痴を言ってみただけです」


確かにこういった、いわゆる接待という場に顔を出すというのは、グループを束ねる一家としては、欠かすことのできない役割だろう。

まして、私がお父様の次の総裁に内定している今、私の顔を売っておくことには、大きな意味があるのも理解している。


ただ、せっかくの大学生活でもあるし、こういった家絡みのことだけで、私の貴重な学生時代を終えたくない、と思うのは、当然ではないだろうか。


私の家のこともあり、友人と言える友人もおらず、大学でもほとんどの時間を一人で過ごしている。


「…息が詰まりますわ全く」

「お嬢様……」

「大丈夫でしてよ。きっとそのうち慣れますわ。さ、参りましょう」


少し心配そうな顔をしている早苗を伴って、食堂へ降りて行った。





あの後、お父様に小言を言われることなく、大学に出発することができた。

大学には早苗はついてこないが、代わりにSPが私の見えないところで警護している。


万が一に備えて、ということは理解しているし、過去に何度か危ない目にも遭ってきたから、私という人間には欠かせないことなのだろう、と割り切っている。

だから、常に見られていることへの抵抗感は、もう感じなくなって久しい。


これも仕方ないこと。


そう、仕方ないことなのだ。




2限目が終わった教室で、私は早苗が持たせてくれた弁当箱を開ける。


「今日も一人の食事、ね」


ほかの学生が出て行った後の、がらんとした大教室に一人で残り、弁当を食べる。

周りには誰もいない教室で、私はいつもこうやって過ごしている。


こちらから問いかければ質問には答えてくれるものの、友人という存在が私にはほとんどいない。


東堂という名は、周囲にはあまりにも重いものらしかった。


私は周囲の反対を押し切り、一般入試で国立大学へ進学した。

両親や親族、とりわけお父様は、良家の子女が通うエスカレーター式の学園への進学をずっと勧めていたが、どうしても自分の力を試したかった私は、そこを蹴り、苦しい受験を経て、晴れてこの大学に入学することができた。


もちろん家族や早苗たちの支えもあったが、それもあって、合格できた喜びは言葉で表すことができなかった。自分の力で成し遂げることができたという自信が、私という自己を肯定させてくれた。


でも現実は思うようにはいかなくて。


家に縛られない、ただの「東堂茉莉」として受け入れられるかもしれないと思っていた予想は、見事に裏切られることとなった。


結局は今までと同じことが繰り返されるだけで、まるで珍しい動物でも見ているかのような視線が、ここでも浴びせられ続けるのだった。


「……仕方ないわね。わたくしがもう少し社交的な性格なら、違っていたのかしら」


そう独り言ち、食べ終わった弁当箱を仕舞った。





今日の授業が終わり、大学の構内を歩いていた時だった。

足元を見て歩いていた私は、ふいに誰かにぶつかってしまった。


「きゃ!」

「わ!ご、ごめんなさい!」


相手に謝るために立ち上がろうとしたら、その人はすっと手を差し出してくれた。


「あ、ありがとう……それと、ごめんなさい。わたくしったらよく見てなくて」

「ううん、私も急いでてぶつかっちゃって……ごめんね」


伸ばしてくれた手を取って立ち上がる。


黒のブーツに、厳(いか)ついネックレスやピアス。

おまけに髪の毛も白に近い色に脱色しているその人は、一見するだけでは性別が分からない。

背も高くて男性かと見間違えそうだったけれど、女性的な柔らかい表情やきれいな顔立ち、そして声質で、女性だと思われた。


「……?ど、どうかしました、か?あ、ひょっとしてどこか痛めましたか!?」

「あ、ご、ごめんなさい、ジロジロと。だ、大丈夫ですわ」


あまりにもぶしつけにじろじろと見てしまい、そのことにハッとして何かお詫びをしなければと思っていると、スマートフォンがけたたましく鳴り始める。名前を確認するとSPからだった。


「お嬢様、大丈夫でしたか?」

「大丈夫よ。ぶつかっただけ。二人ともケガはないわ。だから余計な真似しちゃだめよ」

「ですが……」

「切りますわよ」


私にも非があることであっても過剰反応しがちなSP達から、予想通りの言葉が続く。

いつものことということもあり、続きの言葉を無視して切った。


「あの……」

「失礼しましたわ。お詫びに何か差し上げるか、当家にお招きするかしたいのだけれどいかがかしら?」

「い、いやいや、わ、私も悪かったからいいって!」

「そういうわけには参りません。東堂家としても申し訳が立ちませんし」


あまり家の名前を出すのは好きではない。

とはいえ、こちらに非があることだし、無下にするわけにはいかない。

そう思っていると、その人はあまりよく理解できていない様子の表情を浮かべた。


「あの、東堂家……って?」

「……ひょっとして、ご存じありませんの?」

「ご、ごめんねー、なんかそういうの疎くて」

「ふむ……なるほど」


私のことを知らないのか。


そう思うと、妙な安心感があった。

色眼鏡で見られないということに、嬉しさを感じたのかもしれない。


とりあえず、やはり家に招いて詫びをしなければ。


そう思い、改めて提案しようとすると、その人は「じゃあ代わりに」とこう続けた。


「お詫びなんて堅苦しいものはいいからさ、私のバイト先に遊びに来てくれないかな?今日さ、これから時間あったりする?」

「え、ええ。大丈夫ですけれど……」


こうして私は、少々強引な彼女の誘いで、ぶつかった相手のバイト先に行くことになった。

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