第5話 彼女の浮気

「なんやこれ? めっちゃメッセージ入ってるやん」


 最初はメルマガかと思ったが、それにしては数が多すぎる。不審に思った私は、アプリを起動させてメッセージの送り主を確認してみた。


 一人は東京で仕事をしている親友の田中からの連絡だった。写真が何枚も添付されているのか、メッセージの件数がかなり多い。もう一人は東京にいる彼女からの連絡が入っていた。


「田中からの連絡なんて珍しいな」


 田中とは高校の部活で知り合った私の親友だ。進学先は違うが、私と同様に野球の特待生として東京の大学に進学し、社会人になった今でも頻繁に連絡を取り合う仲でもある。


 しかし、私はメッセージの件数の多さに違和感を感じていた。田中と連絡を取る時は殆ど電話なのだ。メッセージもたまには来るが、いつも「今、電話出れる?」といった短い文面が多い。


 用件が気になった私は、シャワーを浴びに行く前に、田中からのメッセージを確認する事にした。たくさんの写真が表示された為、私は首を捻りながら画面をスクロールしていく。どの写真もどこかの駅で撮られたものだった。


 私は画面をタップし、一枚目の写真を拡大して見てみた。大勢の人間が行き交う、ただの風景写真というだけで特に変なところは見当たらない。


 だがしかし、田中が意味もなく、ただの風景写真を送りつけるわけがない――そう思った私は、絵本のウォーリーを探すかのようにスマホを少し離し、俯瞰するように画面を見続ける。すると、左端に写っていた女性に目が留まった。


「この女性……もしかして、俺の彼女?」


 ボーダー柄の夏用カーディガンを肩から羽織ったショートヘアの女性が、人混みに紛れて見知らぬ男と歩いていた。ほぼ後ろ姿なので表情までは分からないが、どことなく楽しそうな雰囲気が伺える。


 一瞬、浮気という言葉が頭に浮かんだが、私は掻き消すように頭を左右に振った。この写真を送ってきた田中の意図は大体読めたが、この画像だけは私の彼女だという断定はできなかった。


「ま、まったく! 田中のやつ悪い冗談やで! 今は梅雨やし、エイプリルフールちゃうんやからさ……」


 強がってみるも、残り八枚の写真を見る勇気は私にはなかった。写真を確認しないまま、震える指でメッセージ画面の一番下までスクロールしていく。すると、一番最後に「お前、彼女といつ別れたん?」という短いメッセージが添えられていた。


 私は思わず画面を暗転させ、スマホを胸に抱き寄せた。ドクリ、ドクリと心臓が大きく脈打った後、身体中からじっとりとした嫌な汗が噴き出てきた。


「大熊、どないしたん?」


 虎杖が私を心配する声が聞こえてきたが、返事ができなかった。

悪い冗談だと信じたい。けれど、写真に写っている女性は自分の彼女と酷似していた為、不安な気持ちの方が勝ってしまっていた。


「た、ただの友達やんな。だって、そんな素振り今まで全然なかったし。そもそも、この写真に映ってる女性が、俺の彼女やって確定したわけやない。世界には自分と似てる人間が三人いるっていうし。人違いっていう可能性も十分あるよな……」


 動揺しまくっているのか、視線があちこちに泳ぐ。残りの写真を確認するのが怖かったが、彼女の事を信じた私はようやく覚悟を決めた。


「田中の事は信用してるし、信頼してる。でも、今回に限っては絶対に勘違いや。そうじゃないと、俺が仕事を頑張ってきた意味がなくなるやん」


 震える指でスマホの画面をタップすると、八桁のパスワードを要求された。私はいつものように画面に並んだ数字を一つずつ押していく。しかし、自覚している以上に緊張しているのか、画面には楕円形の汗の跡がくっきりと残っていた。


 残りの写真をタップし、田中から送られてきた写真を確認しては、横へスライドするを繰り返す。すると、現実を直視できなくなってきたのか、だんだん涙が盛り上がってきた。


 あぁ、もう駄目だ。今日は写真を見るのを止めよう。このままでは、明日の仕事に支障がでてしまう――そう思った私は、最後の写真を見る前に画面を暗転させようとした。だが、手汗で操作を誤ってしまい、見知らぬ男と自分の彼女が笑い合っている写真が、画面一杯に拡大された状態で写し出されてしまった。


 写真を見た途端、頭が真っ白になった。心臓を掴まれているかのように、ギュッと胸が痛くなる。持っていたスマホを落としそうになったが、どうにかギリギリのところで握り直した。


 私の見間違いではないかと思った。もう一度、勇気を出して画面一杯に映し出された写真をチラ見してみる。しかし、私の期待も虚しく、手を繋いでいる男に笑顔をふりまいているのは、間違いなく私の彼女だった。


「はは……ははは……」


 肩から羽織っている夏用のカーディガンは私とのデートで着ていた物だ。持っている鞄も、靴も、アクセサリーも全て見覚えがあったから、写真に写っている女性は彼女で間違いないだろう。


「ふぐっ……うぅっ。おぇぇっ……」


 ほぼ黒だと悟った私は、ショックのあまり膝から崩れ落ちた。今度は胃がひっくり返ったみたいに、吐き気が込み上げてくる。視線を床に落とすと、大粒の涙が床にポタポタと落ちていくのが見えた。


「お、おい。いきなり、どうしたんや」


 二人が焦ったように声をかけてきたので、私は自分のスマホを見せてみた。二人は私のスマホに映し出された写真を見た途端、引き攣った顔に変化した。


「……もしかして、浮気か?」


 虎杖の言葉に私はゆっくりと頷いた。


「初めて付き合った彼女やったんや。野球を引退した後は引越のバイトでコツコツ稼いで、デート代も全部俺が出してたんや。この会社に受かった時も、めっちゃ喜んでくれてな。俺の事をいつも応援してくれてたんや。でもさぁ……好きな男いるなら、早く言ってくれよっ!」


 私は自分のロッカーに拳を思いっきり叩きつけて、おいおいと泣き始めた。悔しい、苦しい、腹が立つ――いろんな感情が混ざり合い、無意識のうちに床に拳を叩きつけていた。


「おい、静かに着替えろや! 何時やと思ってるねん! 騒がしくしてたら、皆が寝れんやろうが!」

「やっば……牛尾さん、めっちゃ怒っとるわ!」


 象島は慌てて、部屋の外にいる牛尾さんに頭を下げに行ってくれたが、私は取り乱したまま泣き続けていた。


「グスッ……俺ちゃんとやってたよな? お前の要望通りに毎日連絡してたし、一日一回は必ず声を聞いてから寝てたやん。俺はちゃんとしてたはずなんや……不満があるんやったら、もっと早く言って欲しかったわ」

「あ、あのさ大熊。それは本人の口から聞いたわけじゃないんやろ? 角度によっては手を繋いでるように見えてしまっただけかもしらへんで?」


 虎杖の言葉にハッとした私はすぐに顔を上げた。


「そ、それもそうやな。すまん、めちゃくちゃ取り乱してしまった」


 早速、彼女に聞こうとメッセージを作成しようとしたが、手に握っていたスマホがブルッと小さく震えたので、私は画面を覗き込んでみる。新着メッセージが一件入っていた。送り主は田中でも彼女からでもなく、大学時代の野球部の主将、渡辺からの連絡だった。


 渡辺には申し訳ないが、とてつもなく嫌な予感がした。そう思ってしまったのは、彼女を紹介してくれたのが渡辺だったからかもしれない。


 私は涙で濡れた目をゴシゴシと擦った後、新着メッセージのお知らせをタップした。渡辺のメッセージには写真が添付されていなかったから一安心したものの、今度は書かれている内容が全く理解できなかった。何度も読み返しては頭で考えるを繰り返し、理解に努めようとしたが、最終的に考える事を放棄してしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る