宇宙が堕ちてくる日、遠く彼方の君に、逢いに行く

司之々

第一話 きっとみんな愛のため

1.あなたは神さまです

 加々実かがみゆうは、困惑していた。


 視界が、仔馬の尻尾ぽにーてーるわえた長い黒髪と白い肌、同じく白い小袖こそで緋袴ひばかまめられていた。


 定冠詞「The」がつきそうな巫女みこが、あざやかな葉桜はざくらを背景に、間近まぢかにたたずんでいた。


 十六歳の健康な男子高校生には、まったく、なんの他意がなくても、あらがいがたい吸引力を発揮する美人だった。ぴしりとまっすぐに立って、引きまった表情でゆうを見つめていた。


 中学の頃よりも、ちょっと流行はやりを意識して整えたくせの黒髪に、身長はクラスで低い方、顔立ちはおとなしめ、制服の紺色こんいろブレザーにグレーのタータンチェックのスラックスと、注目される覚えの欠片かけらもない、やっぱり定冠詞「The」がつきそうな普通人間のゆうとしては、ぼけっと見つめ返すだけだった。


「あなたは神さまです」


 巫女みこが、そう言ってゆうの手を取った。ゆうより、少し背が高かった。


「ええと……お客さま、ってことですか?」


 ゆうの、顔もが抜けていれば、言うこともが抜けていた。ただ、それは巫女みこもどっこいだった。


比喩ひゆの表現ではありません。宇宙と生命を創造なされた偉大な存在にして、下僕しもべたるわたくしが全身全霊をささげる……」


に合ってますっ!」


 さすがに我に返って、ゆうは、巫女みこの手を振り払って逃げた。学校からの帰り道だった。微妙に離れた先の方で、他人の顔をしているクラスメイトたちのところへ、全力で逃げた。



********************



 太平洋の海岸線と、ぎりぎり関東の山並みをのぞむ地方工業都市、井之森市いのもりし県立井之森第一高等学校けんりついのもりだいいちこうとうがっこうは、海沿いの景観が美しい大通りに面していた。


 それなりの進学校で、電車通学の生徒も多い。放課後の時間帯、最寄もよえきまでの歩道を、各々のセンスで制服をアレンジした少年少女が、さざめき歩いていた。


「最近の神社って、積極的なんだな……ゆう、高校の合格祈願に、どんだけ奮発ふんぱつしたの」


「いや、そんなわけないって」


 ゆうの横で、友達甲斐ともだちがいのなかったクラスメイト三人の筆頭ひっとう凡河内おおしこうち幹仙みきひさが感心していた。


 のっぽで、みどりがかったつやの無造作ヘア、いつも眠そうな雰囲気の割に、なぜか女子受けがいい。制服のタイやえりがゆるいのは、単に着崩きくずれているだけだった。


下僕しもべとか、全身全霊をささげるとか、なんかエロっぽかったし」


「やめろっての、幹仙みきひさ……!」


 つけ加えて、無神経だった。ゆうが慌てたが、だいぶ手遅れだった。


「うん、なんかエロっぽかった! すっごい美人さんだったし! どうなってんのよ、もー、加々実かがみくんってばさー!」


 明るい声が、あからさまにおもしろがっていた。


 友達甲斐ともだちがいのなかったクラスメイト三人の二人目、浅久間あさくまゆいだ。栗色くりいろのショートで、ゆうたちと同じ制服の紺色こんいろブレザーにベージュのニットベスト、少し短くしたグレーのタータンチェックのスカートと、リボンタイを外したシャツの胸元が、女子的に健康的で開放的だった。


 優の狼狽ろうばいに、拍車はくしゃがかかる。ゆいの認識が、多分だが、ゆうにとって緊急事態だった。


「ち、違うって! 知らない人、全然! その、あ、あさ、浅久間あさくまさん……っ!」


ゆいでいーよ」


「え?」


浅久間あさくまって、言いにくいよね。最初の、あ、が変に力入っちゃう感じでさ。今も、どもってたし」


「そういうわけじゃ……でも、そ、それなら……」


 緊急事態が転がって、もっけのさいわい、大チャンスになった。


 ゆいは、クラスでもとりわけ目立つ女子だった。はっきりした綺麗きれいめの顔立ちなのに、小動物みたいにくるくると動いて表情豊か、男女どちらにも物怖ものおじしない。好感を持つにしろ、苦手意識を持つにしろ、無視だけはできないタイプだった。


 ゆうは前者だ。高校入学、教室でふと視線が合ってからおおむね三週間、この距離感が長いのか短いのかわからないが、同じ電車通学でタイミングが合えば駅まで会話する程度のクラスメイト、から一歩近づける、奇跡きせき僥倖ぎょうこうだ。


 そんな無駄なことが脳裏を駆けめぐっている間に、幹仙みきひさが、さらっと入り込んだ。


「じゃあ、ゆいちゃん。よろしくね」


幹仙みきひさ! なんて言うか、その、遠慮しろよ、少しくらい!」


ゆう、めんどくさい」


「あはは! めんどくさーい!」


 ゆいの笑い声は他意がなさすぎて、ゆうに痛かった。幹仙みきひさは、どこ吹く風だ。


「俺の名前も、そんな感じだからさ。わかるんだよね」


「あー、凡河内おおしこうちくんは、上も下も難しいよねー」


ゆうには、ボンカワって呼ばれてた」


「……中学の最初だけだろ、そんなの」


「おー! いーね、それ! よろしく、凡河内ボンカワくん!」


「ちょ、ちょちょ、ちょっと、ゆい!」


 友達甲斐ともだちがいのなかったクラスメイト三人のもう一人、御山みやま葉奈子はなこが、どことなくゆうに似た慌て方で、ゆいにしがみついた。


「ちゃんと遠慮したよ、あたし。御山ミャーちゃんは、名前で呼ばせてもらえばいーじゃん。ねえ?」


「ん。幹仙みきひさでも、ボンカワでも」


「あ、あ、あたし、御山みやま、は、はな……っ!」


葉奈子はなこちゃん、だよね。クラス同じで、もうすぐ四月も終わりで、なんか改まって変な感じだけど……よろしくね」


 さらりと言う。幹仙みきひさの、万事に無関心そうな印象とは違う、こういうところが男女ともに好かれる。ゆうも、ぐぬぬと認めざるを得ない。


 葉奈子はなこは、もうそれどころではないのが、傍目はためにもわかった。


 意外ときっちりめた制服のリボンタイとギャップの、校則ぎりぎりを攻める茶髪のセミロングとピュアカラーのリップが、あわあわとゆれる。こっちも傍目はためにわかるドヤ顔で、ゆいが鼻息を吹いた。


「どーよ? 気がくでしょ、あたし?」


「ああ、でも迷う! み、幹仙みきひさくん、も鼻血やばいけど、凡河内ボンカワくん、の仲良し長い感じも、なにそれ、うらやましい……っ! ゆいのアホーっ!」


「うんうん。御山ミャーちゃんの、そういう口から全部こぼれるところ、好きだよー」


「すごい……めんどくさいのに、めんどくさくない」


幹仙みきひさ、遠慮しろって」


 もう気が抜けた感じで、ゆうも苦笑する。


 自分をたなに上げて、他人を見るのは楽だ。ゆうのヘタレ心理を見抜いたのか、おもしろがっている続きなのか、ゆいのドヤ顔は少し上目遣うわめづかいになって、ゆうを逃がさなかった。


「え……?」


「んー?」


 心音しんおんね上げながら、会話の流れを脳内で再確認する。そうか、と思いついて答えるまでに、ゆうは顔から耳から赤くなっていた。


「あの……ゆう、でお願いします」


「あたしとゆうくんの名前、仮名かなでもアルファベットでも、一字違いだね」


「そう、だね。言われてみれば」


「なんか気持ち悪いよね! あ、ごめん。自分を呼んでるみたいで、ってこと」


「どう返事するのが正解なのかな、それ……?」


 軽く途方とほうれるゆうの情けなさに、葉奈子はなこが、ちゃっかり幹仙みきひさとなりでため息をつく。


加々実かがみくん。ゆいの言うことに、いちいち振り回されてちゃ駄目だよ? まあ、そんなとこにクラッとしちゃう男子、多いんだけど。応援するから、こっち側にみ出してこないよう、しっかりお願いね! 絶対不可侵条約ぜったいふかしんじょうやくで!」


御山みやまさん、本当に全部、口からこぼれてるよ。幹仙みきひさも、ゆ、ゆいちゃんも、すぐ横にいるんだからさ」


「あたし? なんで? あたしは気にしないよー。御山ミャーちゃん、いっつもこうだもん」


「俺のことは、その、気にして欲しいんだけどね」


ゆう、めんどくさい」


 葉奈子はなことそろって、幹仙みきひさもため息をついた。

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