第21話

    六十一



 結界内に発生した悪曇を取り払うために、祷が捧げたものが、宇宙の恒星が出すエネルギー波で集約されて、玉手箱に届いていた。


 創世主である感性が出した答えというべきものが、ブラックホールが形成する境界線くくりを振動させていた。それ等の振動が音になり、音階メロディが生まれるのに不思議はなかった。音がその場から消えるのと、文字が揺らぎ消滅するのは、物理を学問とする地球上の科学に繋がっていることを、人間の記憶に留めている。


「人間が君臨する今にしても、突然終わりを告げるであろう。気付いた時に、席巻している生命体が変わっている事実だけが残る。それが、地球という生命体を管理する惑星である。神が非実体になったように、人間が非実体になるだけの現実は、とりわけ敏速に行われるのが、生命体を監督する星星の責務となっている。その管理下に、嘘に包まれた現実が真実である必要はないのである」

 その思念は、すべての生命体に響いていた。

 輪廻を避けるために造られた結界に住む住人たちは、その真実に触れて、内心に衝撃を受けていた。人間が自分勝手を主張した現実は、簡単に塗り替えられることを教えられたからである。

 それが現実と捕らえられない認識を持つ生命体にしてみれば、発明された文明を終わらせるのは、より高度な文明であると、どこかで願っているからだった。人間が歩み続けた時間ですら、無意味にしてしまう現在は、自然の力で風化させる矯正力が存在することを、魂だけが知っているからだ。人間が紐解けない記憶が、呪縛となるのだから、曰くがなくなることもない。

 人間が恐れる震災にしても、生命体に教えるために手心が加えられていることを知っている魂は、実体を失くすことで、制限のない宇宙空間を彷徨うからで、層に守られる地球空間の特殊を知っていた。地球上の科学が、宇宙で通用するはずもなく、基準にならない人間の不完全を魂が知っているのは、自由の本質を経験しているからだろう? 転生される時に受ける浄化で、その記憶の変わりに、実体を得るからなのだ。

 気休めとする音が、心に作用して安らぐのは、守るべきものを、犠牲にしない仕組みとなっていることを、魂理解しているからである。

 本来、産まれて直ぐに話せるはずの脳が、本能に従うほどの浄化を受けていることを判明することができないのは、実体を授かる時の皺寄せを引きずって産まれるからで、脳が皺深いのは、その時の名残でしかない。制限の解除に、個体差が生じることで、当たり前を境地として認識する脳だから、マンネリ化した日常を好むのは、目立たないことが安全を得る手段と刻み込まれているようだ。だから徳を積むことで帳消しとする悪意にしても、個人差に収める文化に馴染ませるための時間を必要として、その範囲を特定させないのが現実なのだ。誰か? 何者か? が、管理する現実は、水槽に入れられた生命体でしかないと、本能に刻みつけられている。その窮屈さを誤魔化すために、自由という言葉を乱用していることに気付いたとしても、民族性を自尊心にする教育で云い含められる現実に、目先を変えられて終っている。真実と虚像はることで着地を余儀なくされ、現実と空想の区別を必要としない結果を生む。想像から生まれた現実だからこそ、人間に区別がつけられるはすもないのである。それを知ってしまえば、現状を変えられるのが今生であり、この世の定めとなっていることにたどり着いて終うからだ。見えないものに怯える恐怖は、刻まれている真実を空蝉うつせみにされているのが現在なのだと、信じ込まされているからなのだ。

 うさぎは、結界内の住人に思念を送り、翻弄された心の保全を図っていた。真実が意味をなさない現実は、まやかしと感じて不思議もなく存在していた。だからかもしれないが、地に根を張る意識を、夢の中に迷い込ませて、幻想に想わせているのだ。その夢を大義にする日本人は、あやかしという悪意に導かれ易いのも、うさぎが想い悩む謂れとなっていた。神の居ない神宮に願いを捧げる風習や慣習も、誰か? という黒幕インフルエンサーの想う壺であることを知れば、表舞台に出ることのない誰かが抱いた悪夢に踊らされていることを理解できるはずである。

 金は天下の廻りものと云う観念を仕込まれている現代人は、本当に信じるべきものを見失っているから、うさぎが度々云うしるしを探す必要性が生まれるのだ。通過点を結果とする現代は、空蝉にならざるを得ず、それを拒む習性を持つ者たちを輩とすることで、謂れのない真実を闇に葬ったのだった。

 自分だけの人生を進むには、あかしを頼りに進むものだが、本当の自分に疑問を持たせる慣習にまごついてしまい、自分を見失って欲しくない想いは、物語風に綴るしかないのだった。他人ひとの振り視て我が振り直せ? という格言に従っていれば、本来の未来? への方向をずらされたことに気付かず、悪意の巣窟でもがき苦しむしかできないことを、うさぎは教えるつもりであった。



    六十二


 祷が、『世界で一番安全な場所』と云われた理由を導いたのは、実体と云う生身を宛がわれる疑問を紐解けなかったからだった。言葉を使えることが、すべてを承知しているという了見に至っている自分自身の心でも、その傲慢を勝手に持っていたことが、見えたからである。

 人が初心に帰る理由は、見えないまま進んでいると、みちを踏み外していることに気付かないからだろう? 言葉として簡単に発していたことに気付かないまま進み続ける人生は本来、注意して進むべきものだが、当たり前にして終った傲慢を、ひけらかしていることに気付かされた。

 盲点と云うべき点は、馴れ合いが生み出す傲慢を、自身が気付かないからで、歳を重ねた頃に記憶を忘れさせられて、謙虚にならざるを得ないのだ。それと同時に童心に返ることで、傲慢に接していた事実を塗り換えるのである。傷つき易い心を取り戻すことで、それまでの非道を詫びるているのだろう? それができない人間も居て、彼等に誰かが罰を与えなくとも、浄化という回帰を受けるのだから、にそれを受けることになる。聖職者と云うべき観念?とは、個人の境界線によるもので、聖域と呼ぶべきものは、あってないものなのは理解の範疇でしかない。力となる想像を制御されれば、魂の行動範囲が狭くなるしかなくなる。行動範囲が狭くなれば、輪廻する次の生が、生命体から遠退くばかりとなり、あられもないものになる? という事実を、うさぎは語らなかった。万が一にも可能性を秘める輪廻が、魂にとっての希望となるからである。その不安の蔓延はびこることを阻止するために、卑弥呼が上申して、結界が造られていた。輪廻から外される変わりに、非実体の神々に協力するのである。その選別方法は、悪意を封印して徳だけを積む、とされているが、降臨した心の居心地が良いからのようだ。その辺は、生命体により違うので、大余所おおよそでしかない。ひとつだけ云えることは、偉大なる発明よりも、命の重さを測るものではない、といえる信念を持つことだった。努力で強固にした辛抱に、揺るがぬ想いが育つからである。

 うさぎが、祷にその事を告げるのは、もうすぐだろう? と考えて、心が浮わついていることを見せているから、したりの笑顔が出るのであった。



    六十三


「神武天皇が矢面にさらされたのは、日の本の國に伝わる風習を意図もなく変えてしまったからだったのです」

 うさぎは云い、襟を正すために必要なのは、甘んじて受け入れる姿勢?で、身内だけを守る謂れ(情)を、別格にしたことを指していた。ただ、情がもたらす恩恵がイレギュラーとして生まれたことで、悪意を萎ませた事実が、結果往来に当てはめられたことは、苦肉の策として経過観察になっている。それにともない、反抗心がもたらす真実に、たみの同意が靡き、サムライの心情も高貴となり、悪に対峙する志も変化し極められた。一握りの賢者による継承が、想像により開花したという終着点に達していた。終着点にあった義侠心を育てた上杉謙信は、戦国時代に負け戦を残していない事実と、その類いまれなる迅速な思考回路が賜物だったとしても、継承に無頓着を極めたことで、相伝に関わるカラクリを見切ることはできなかった。それでも十二神将の上杉家がサビれた事実は、代を重ねて薄まる記憶を、色濃くするすべを、避けたからであった。自分自身で変えてしまう人格を、悪意の顕れと見定めたのは、争いがもたらす悲惨が、未来の彩りを奪う、という曖昧な境界線を、きっぱりと引いたからである。家督の存続よりも、民の安らぎを尊重した家訓は、非の打ち所がなかったのだ。心に残す感情は、人間の生気を奪うものと考えたようだ。生気をろうそくに例えるうさぎの信念は、過去を引きずる悪夢の現影で、生気のために共食いすることよりも、争いで殺し合うことを最恐に想っていたからだった。

 生み出す可能性と、悪意のふくらみを天秤にかける生命体は人間の大半を占め、その理念が、命の尊さを最優先にしているからである。現実と空想があいまみえるものが未来であることを定めとできなかったのは、感性の優柔不断が原因であった、だから、今生の定めとなっていないのだ。人それぞれの感性は、唯一無二の実体に情を絡ませる現実を見定めなければ、昼間の青空でさえ、暗黒の闇に映って終うからだ。見えている現在を空蝉にされた現実も、苛み続ける心が穴を開けて終うのは、その優柔不断に関係しているから生きる屍を造り出し続け、人間は現実逃避を常用手段にするしかなく、弱い民ばかりを犠牲にしてきた。人間が持つ悪意ばかりが、日差しにさらされて終ったのだった。それを理解できる者は彩りを奪われ爪弾きとなり、未来への希望を絶たれて終った。それが、うさぎであると共に、信教心が、紛い物という汚名を着せられたのだった。悪意のない心が放つ言葉の矛先が研ぎ澄まされてゆくのは呵責を意識しないからで、独り歩きしていることに気付くのが、赤の他人様という悪循環であるのは、責任の所在が行き場を失くすからである。

 非実体にされた神々は反論すらできず、生け贄に命を宛がわれるように仕向けられ、悪魔と混同されてはずかしめを受けて終った。悪意が造り出した悪魔は言葉を武器に変え、苦なくして勝利の雄叫びを発し、人間を魔人に変えた悪意は今も増長を続けていた。その魔人を押さえ込める武器はなく、傲慢が地球上を席巻した現在は、浄化のない地獄と云うしかないのだった。

 ひときわ光る星星の輝きは光陰を残さず、そのひたむきな進行を語ることもしない。見上げる人間に期待するよりも、その進行が証であり、自身の糧を証明しているからである。どこまで届く?という自己完結よりも、闇夜を照らす使命感で、果てまで届けるつもりなのだろう? 偉業とうそぶくことがないから、心に灯される蟠りを萎ませるのだ。

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