49話 使命


 

 朝読書が始まる三年生の教室前は、閑散としていた。

 模試の結果を受け、助走をつけ始める時期だからだ。各々が目指す大学に達する学力をスキマ時間に高める雰囲気がこの三年フロアには充満していた。

 いくら部活動が盛んとは言え、スポーツ推薦が叶わない者も沢山いる。

 その為の保険として勉学を営むのは間違えのない選択だ。

 オレも来年には殺伐とした雰囲気を発する受験生の顔を見せているかもな。


 と、少し考えたくない妄想をしながらため息をつくと、一番奥にある三年一組の教室へと辿り着く。お目当ての先輩に用があるからだ。


 チラッと教室の中を開いているドアから確認するも、どうやら居ないよう。

 中にはただ、黙々と参考書を開きながら解く者と、問題を出し合いながら楽しげに勉強する者に分かれていた。

 

「……、まだ十分じゅっぷんあるしな」

 そう自分の心の整理のために出てしまった言葉を中へと入っていく先輩女子が振り返って、オレのネクタイを見るなり、口を開いた。


「二年生? 用事あるなら、その人呼んでこよっか?」

「……すみません。……熊谷先輩は?」出した固有名詞には特段驚かず、教室内を見回すもいない事を確認して、答えをくれた。

「多分、今の時間は生徒会室にいるよ。朝読書の残り五分前にいつも来るから」

「そうなんですね……ありがとうございました」オレは、感謝を伝えて駆け足で生徒会室へと向かった。


 

 朝の時間に、ここに居ることは知らなかった。

 つくづく、この人は生徒会長になるべくしてなった人なのだと思った。

 特段、朝の時間に生徒会室へ寄る必要もないだろうに。


 そんな些細な習慣に色々と思案しながら向かう中、生徒会室の階へと着く。

 角を曲がって一番奥にある生徒会室まであと十歩のところで、中から一人の男子がニヒル顔で扉を閉めて歩いてきた。ネクタイが黄色なので一つ下の学年である。ポケットから黒の何かを取り出そうとしたが、オレを見るなり戻した。


 オレは、何も言わずその男とすれ違って生徒会室をノックする。

 朝の挨拶習慣の時には見ない顔だから、おそらく生徒会のメンバーではないだろう。今から生徒会に入りたいってのも、この時期だったら遅い気がするし。

 少し気になるが気にせず、中から返事が聞こえたので入ると、いつもの席から立ち上がった熊谷先輩がこちらを見ていた。いつもとは違いメガネをかけている……。


「おはようございます」

「……おはよう」元気がない挨拶の理由は来客者がオレだったからか。

「朝は、ここにいるんですね」

「……歴代の生徒会長は、ここで学生の悩みを聞く事を慣習にしているようだから、しているだけよ」

「さっきの人も……?」

「えぇ……それよりも、もう、ここには来ないって言ってなかった?」

 自分が熊谷先輩に告げた言葉を覚えていたようだ。まぁ、あんな小っ恥ずかしい捨て台詞は嫌でも覚えているか。

「はい。……では、外にいますね」オレはそれだけを言い残し、生徒会室を出る。

 壁に背凭れて生徒会長が出てくるのを待つ。

 

 本来は、ここへ入らずに、こうやって待ち伏せをしておけばよかった。

 だが、それを破ってでもオレは扉を開く必要があった。

 先輩の心の準備をさせるという意味もあるが、それよりも熊谷睦月がオレ以外の生徒へ向けるために装う表情を見ておきたかったからだ。


 朝の挨拶週間で振りまいていた圧倒的に輝く生徒会長の面影はなく、無理して口角を上げていた。それは、その席を座る威厳なのだろう。


 オレを見るなり顔を変えていたが、それが見たかった。

 要するにこのまま、何もなかった風を装って学校生活を営もうとしている。

 

 何もなかった、と。


 

 生徒会室から出てきては、鍵も閉めずに、こっちを見て『で、何か用なの?』と問いてくる。

 部屋のドアに背凭れた先輩は、切り替えたように凛とした表情になっていた。

 オレを意識しているが故に、どう行動してくるか伺っているのだ。


 そんな熊谷先輩は、遠目でもわかるほどに目の下にはクマができていた。おそらく、隠すためにメガネをかけている。寝れてないのだろう。

「あのあと、大丈夫でした?」 

「……そういう話なら、話す気はないわ」

 オレの言葉を聞くなり、目線を外してトコトコと自分のクラスへ戻るために歩き出した。

 二人の足音がやけに響いた。


「わかってます。オレが安易に踏み入れてはいけない関係だって」

「……」足を早めて廊下を歩いていく。

「先輩がやっとの思いであの場所に来たのに」

「…」階段を登っていく。

「噛み合わなくてすれ違いをしてしまったことに」

「………………」踊り場まで登って立ち止まる。

「でも、ふたりともが悩みを_________」


「やめてよ」下に向かって小さく言い放った。


 それは、明確な拒絶。

 クルッと振り返って、続けた。

 現れた表情は、橘の告白を一身に受けていた時の辛くて逃げてしまいそうな表情だった。

 逃げたい、避けたい……脳裏をよぎるマイナスな感情を断ち切って、あの場に留まった熊谷睦月はそこにいた。


「あなたに何が分かるの? 私がどれ程までに自分勝手で、あの子を傷つけて苦しませて生きてきたか分かる? もう三年も私はあの子に呪縛を与えているのよっ」今度は、オレへ歩み寄ってくる。

「だから、それを解こうとあの場所に来たんですよね?」

「そっ、それは……」

「先輩は変わろうとした。橘も変わろうとしています。だから__________」

 目を伏せた熊谷先輩の手は握り拳を作っていた。


「そんな女の子に告白されて、私はどうすればいいのよ……」


 初めて、熊谷睦月が漏らした葛藤。

 いつもは、誰かの悩みという葛藤をほぐして解消させる役目だった。

 人一倍葛藤しながら生きてきた人生だったから、多くの学生にとって良き相談相手となっていたのだろう。


「もう一度、話し合いの場を設けませんか?」


 拒絶しても尚、今もこうやってオレの話を聞いている理由。

 ないがしろにしたくないのだ。

 生徒会長としてとかではなくて、一人の人として、橘理央に向き合いたいのだろう。


 分からない、怖いといった未知の感情を橘は一歩前へと進んだ。

 その感情が『恋』とわかった時、彼女は初めて言葉にした。

 だから、熊谷睦月も前へ進む必要がある。

 勿論、彼女も進み始めていた。

 だけれど、彼女が進んだ一歩は遠回りだったから、橘に誤解を招いてしまった。

 そのために、もう一歩熊谷睦月は、踏み出す必要がある。

 歩み寄る必要がある。

 自分が過去に下した決断と、自分に課した掟に向き合う時が来たのだ。


 そんな二人の一歩を進めてしまったオレは、見届ける必要がある。


 この終わり方が、辛くて、哀しかったとしても、彼女の中にわだかまりだけは無いものにしたい。


 次への一歩を踏み出すのが臆病にならないようにする。


 それがオレの使命だ。


 彼女は、ゆっくりと唇を内側に入れて、うんと頷いてくれた。

 オレ達はひとつだけ約束をして、その場を後にした。

 

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