第20話 祈り。


 私は、きっと愚かで身勝手で汚い人間だ。


 毎週日曜日の夕方、二階堂さんへ通話をかける。そのかけるまでにいつも三〇分前後かかる。恥ずかしいや緊張するっていう感情では無い。


 私が清らかであると思い込む為に。


 聖女でありたいと思って生きてきた。

 悪いことには悪だと言い、間違っていれば、間違っていると正し、自分の意見を突き通し過ぎずにみんなの意見を取り入れるそんな聖女に。


 昔から、物語が好きだった。

 シンデレラや白雪姫、ラプンツェル。


 子どもの頃からグリム童話を読み聞かせられた。勿論、大人になるにつれて、グリム童話が本当は怖いお話だってのは知っている。でも、それは関係ない。


 昔のあの物語に私は憧れていたし、それが私を作ったのだから良いのだ。あの物語が私を物語の虫にさせたし、清らかな人であろうとさせたから。


 元々、外で運動を控えられていた私は、家のこたつテーブルに本を置いて読んでいた。ドアを開けて外へ出なくても、本の中にはハラハラドキドキの冒険が待っていた。自分の感性では想像付かない表現や世界が広がっていたから苦痛でも何でもなかった。


 友達は大きくなれば、すぐに出来ると思っていた。物語のみんなも大変な人生を歩んでいるけど、仲間と共に最後はハッピーエンドで笑っているから、私もそうなるんだと思っていた。


 だから、其の為には清らかじゃないとダメだ。


 体が虚弱な私は、其の為に病院に入院している間、頑張った。

 学校の皆が、運動会や遠足、宿泊学習、修学旅行へ行っていている間、頑張った。


 清らかな世界は、私には眩し過ぎた。

 でも、本の世界は私にその眩しさを薄めて教えてくれた。

 楽しい事も辛い事もある。それでも最後は清らかな心を持った彼ら彼女らが幸せを掴む。


 だったら、私は頑張る必要があった。


 自分の体の弱さを憎まず、病院生活の日常を赦し、世界が私をほうって進める日常を大事にした。


 そんな生活を五年ほど続けた時、私は退院することができた。


 父と母は、大喜びした。

 勿論、お兄ちゃんも。お兄ちゃんに至っては……土砂降りの雨みたいな涙を流しながら私に抱きついてきた。

 五歳も離れていて、もう高校生になるんだけどな。って思って頬をぽりぽり掻いて苦笑いを浮かべていたけど。


 私の涙を代わりに出してくれた気がして嬉しかった。

 お兄ちゃんの背中をポンポンと叩くともっと涙が出てきてどうしようと思ったくらい。


 だから、私は自分の泣かない涙を慰めるように兄の背中を摩った。



 高校に入学すると世界は澄んでいた。


 見渡す限り、深い色で、沢山の人がいて、整った建物があって、綺麗な世の中だと思った。

 やっと、私は世界に棲むことができた気がした。


 だから、みんなと会う時は、清らかでいた。勿論、私も人間だからムスッとしてしまう事あるけど、綺麗な心でいた。


 そうする事で、みんなと楽しめることが出来た。今まで味わうことができなかった体験や学校生活、遊び。私にとっては、物語が現実に降りてきたような感覚だった。



 事故に遭った、と連絡を受けた時は、耳を疑った。


 お兄ちゃんが事故に遭った時の状況や状態を知った時、不自然だった。明らかに、雪山を登山する格好ではなかった。ただ、兄が意識不明で重体だったこともあって、それどころじゃなかった。


 私は、手術の際も集中治療室で戦っている間、必死で祈った。

 どうか、私の願いを叶えてください、どんな苦難も今後、立ち向かいますから。

 どうか、どうか、お兄ちゃんを助けてください、お願いします。


 其の願いは、叶った。


 辛い時期が過ぎるまで、私はできる限り横にいた。

 みんなにはお兄ちゃんが怪我で入院したから、部活を休む事が多くなるかもって伝えて。


 お兄ちゃんは私が入院していた頃、頻繁に学校帰りに寄っては、中学校の本を私の名前で借りてきては持ってきてくれた。高校生なのに。だから、今度は私の番だった。


 一人でいる事が悲しくて、寂しい事を知っていた。

 それにお兄ちゃんは記憶喪失で、もっと世界から隔絶されたように感じていると思ったから。



 三月の頭ぐらいに家へ帰った時、ポストの口に一枚の手紙が挟んであるのに気づいた。いつもなら、ポストに注目なんてしなかったのにこの時ばかりは何故か気づいた。


 手に取ると、封筒は燻んだ白で、ふちは、床屋さんみたいに赤と青の螺旋構造のような色合い。その宛先は英語で書かれていた。


「ふたりとも英語できないからなぁ〜」

 両親の中学英語の記憶はすっかり抜け落ちているのだ。それを、中学受験の時に知った。やっぱり、使わないと忘れるみたい。 


 だけど、私は、英語に関しては結構自信があったので自室に戻って訳を即興でしてみることに。


 いつもどおり自室は、十二畳ほどのホワイトに基調され、淡いピンクのカーテンや小物で包まれていた。真っ白の椅子へ腰掛けて、置きっぱなしだった昨日読んだ小説を棚に戻して、机の上に手紙を置く。


 差出人はスカーレット・ミラーの母、オリビア・ミラーと恐らくアメリカの方からの手紙で、宛先はウチの兄、暁大輔宛だった。


「お兄ちゃん……外国の人と関係が? それにわざわざ母親って書くのも引っかかる」


 気づけば、私は、カッターを取り出し、蓋の部分に入れ込んだ所で手が止まった。


「……何してるの、わたし」


 人の手紙を無意識のうちに見ようとしていた自分に驚いて、カッターを落とす。


 手が汗ばんでいて、呼吸が乱れる。

 今日は、テスト最終日で部活もなく早く帰ってきたから家は静寂に包まれていた。誰もいない、家に私一人。


 お兄ちゃんは、記憶喪失。だったら、開けて私が訳をして言ってあげればもしかすれば記憶が蘇ってくるかも知れない。だから、開けても……。


 其の時の私は、何かに取り憑かれたように無言でカッターを再度手に取り、ゆっくりと切っていく。それが私の罪の始まりになるとは知らずに。


 A4サイズの手紙が入っていた。三つ折りになっていたので開くと、英文がつらつらと綴られていたので、読んでいく。ざっと見た感じ難しい英語もない。恐らく日本人の兄に配慮してのことだろう。


 だが、所々の単語で引っかかる。


「die、unforgibable、marriage、grief、kill……」悲しい言葉と痛烈な言葉が使われている。それに文章も明らかに語気が強い。


 そこで、やめておくべきだった。見ないとくべきだった。


 だけど、私のお兄ちゃんが誰かに恨まれる人ではないのだから、何かの間違いだと思ってしっかりと其の文章を頭から追うことにした。


 私が読んできた文章とは何もかも違った。


 兄を呪うだけのための文章。

 兄と娘であるスカーレットさんの恋仲を否定する文章。

 娘、スカーレットさんがテロに巻き込まれ、死んだという文章。

 兄が頼んでいたお土産のお店で殺されたということ。

 あなたを赦さない。絶対に赦さない。許さない。


 私は、座ってた椅子が急に軽くなったように感じて転げ落ちる。


 肘から落ちたけど、その痛みは感じられない。

 だって、心がこんなにも燻んで、ナイフで心臓を抉られたように痛いんのだから。


 水彩絵の具の色を交換する為に、水入れに筆を差したように一瞬で染まる。それも赤みがかった黒、朱殷しゅあんのような血生臭い色が私を染め上げた。


 ピンクのカーテンや小物がその時は、真っ赤に感じた。


 転げ落ちて起き上がる気力が無くなった私は、そのまま床に背中を預けた。


 魚眼レンズを通した歪んだ天井がこちらへ押し迫ってくるように感じる。

 ぼーっと、視線を下げた。


 机の上には、刃がしまっていないカッターナイフがキランと光っている。もしも、今地震が起きれば、小刻みに振動し、私の脳天を突き刺してしまうだろう。


 だけど、私にはもうどうでも良かった。


 体を動かすこともできず、押し迫る天井を見て、口が自然に開いてしまう。


 何、この結末。


 兄がやっと愉しそうに微笑むのが増えたのに。なぜ、神様はまだ兄にこんな苦しめを与えるの? ハッピーエンドで兄とスカーレットさんが結婚すれば良いじゃないか。私は、スカーレットさんなんて知らないけど、きっと祝福してたよ。


 だって、自慢の兄が選んだ女性なんだから。


 なぜ、兄に苦難を与えるの? 

 私にしてよ、神様。

 私だったら、失うものないんだから。


 ねぇ、神様、やめてよ、私から何も奪わないでよ。



 存在する筈もない神へ祈っていた。

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