第19話:かなり毒されている自分を発見

 石造りの城は、堅牢であるがゆえに融通が効かない。頑丈すぎて、必要に応じて改造するのが難しいのだ。つまり、大きな工作機械を持ち込むか高出力の法術師を連れてくるかしなければ、改造もままならないということだ。だから、地元住民から集めた情報が、そのまま活かせる可能性が高い。


「ねえアイン、心当たりはあるの?」

「とりあえず、前回入った部屋に入ってみようと思う。何かしらの資料が残っているかもしれないからな。その道中の部屋も、色々調べて回りたいが」

「前回って、アインが言ってた、解剖する部屋みたいなところ?」

「……ああ、そうだ」


 さすがに表情が引きつるエルマードだが、「……うん、分かった」と存外素直にうなずく。


「何かあっても、こっちの手元にはこいつしかない。強行突破はできないから、俺のいうことをよく聞いて行動してくれよ?」

「ボクのこと、足手まといって思ってるの?」

「さあな」


 腰に提げたエンフィールズ拳槍ピストール。敵国の兵から奪った頼りないこの火力が、俺たちを守る最後の砦。使ってしまえば、もう後戻りはできない。使わずに済ませるに越したことはない。


「戦場で、女が辿る末路を、俺は嫌というほど目にしてきた。お前まで、そんな目に遭わせたくはない」

「……アインは、ボクのこと、女の子って思ってくれてるの?」

「当たり前だろ」

「ボクのこと、ナマモノなんて呼んでたのに?」

「なんだ、気に入ったのか?」

「ちっ……違うもん」


 頬を膨らませてみせるエルマードの頭を掴んで、ぐしぐしとかき乱す。だがもう諦めたのか、特に文句は言ってこなかった。


 道中、いくつかの部屋に立ち寄ったが、特にこれといってめぼしい情報は手に入らなかった。ただ驚いたのは、エルマードの能力だった。ネーベルラントの言葉はもちろん、アルヴォイン王国・ヴェスプッチ合衆国の言葉も、そしてこれは十分に検証したわけではないが、ガリア王国の文字も理解できるようだった。これには本当に驚愕した。


「この箱? ええと……オチキス・ムデル922、フューズィ・ミトラィエール……要するに『ホチキス922型』の機械化マシーネン歩槍ゲヴェアって書いてあるよ」


 違う、そうじゃない。

 俺が知りたかったのは、その箱の中に何が入っているかだ。

 ホチキスmle922の機械化マシーネン歩槍ゲヴェァが、ガリア王国の法術ザウバー火槍バッフェだということは、俺も知っている。


 それよりもだ。箱自体は空っぽだったのだが、彼女は箱の中身を確かめるのではなく、箱の印字を読んだ。

 つまり、彼女はガリア王国の言葉も読めて、訳せるということだ。どこまで読めるのかは分からないが、少なくとも三か国語を理解できる彼女は、相当な教養を積んでいるということになる。


「……エル、お前、本当に、何者だ?」

「ボク? ……ボクは、ボクだよ?」


 あの、まっすぐに俺を見つめる、あの目。

 その奇妙な一瞬の間のあとで、恥じらうように誤魔化してみせたエルマード。

 やはり、何かを隠しているのだろう。このに及んで隠すということは、彼女にとって、譲れない秘密だということだ。問いただしたところで、彼女の離反を招くだけに違いない。


 だが、お前がこちら側にいて、俺の役に立ってみせるというなら……利用させてもらうだけだ。お互い様、という奴だ。




 長い廊下というのは、身を隠す場所が無い。隠密行動をするにあたって、できれば避けたい場所の一つだ。ゆえにこれは、どうにも難しい局面だった。以前、脱出するときにはここを走って切り抜けたが、その逆、つまり侵入しようとなると、長い廊下の先に警備兵がいるというのは、本当にやりにくい。


 ここまでは警備が比較的ザルだったから、思ったよりも容易にやり過ごしてこれた。つまりこの先にはまだ、重要なものが残っているということなんだろう。だからこそ、まだ、ことを荒立てたくなかった。


 だからといって、交代まで待つというのも現実的ではない。そもそも、いつ交代するのかも分からない上に、悠長に構えていたらこちらが別の人間に発見されかねない。


「ねえ、あの人たちがいるから、アインは困ってるんだよね?」

「それはそうだが……」

「じゃ、ボク行ってくる。お話、してくるよ!」


 言うが早いか、彼女はヘルメットを脱いだ。ややくせっけのある、淡い金色の美しい髪が、ふわりとあふれ出す。思わず見とれたその瞬間、微笑んでみせたエルマードが、止める間もなく飛び出していく!


『止まれ! 何者だ、止まらんと撃つぞ!』


 ……ああ! 廊下の向こうから声が聞こえてくる! 彼女の足音が止まり、駆け寄ってくる足音が近づいてくる!

 打ち合わせもなしに飛び出されてしまったが、彼女が囮として連行されている間に、前進しろということなのか?

 前回の襲撃のあとなのだ。間違いなく気が立っている連中に、彼女がどんな目に遭わされるか!

 ……ええい、くそっ! あのバカ娘!


 舌打ちをして俺も飛び出そうとしたが、様子がおかしいことに気が付いた。

 駆け寄ってくる荒々しい足音は、しかしすぐに穏やかになった。聞こえてくるやりとりも決して不穏なものではない。むしろ、不気味なほど静かだった。


 遠ざかっていく静かな足音に、意を決して慎重に廊下を覗いてみると、二人の兵と一緒に、廊下の向こうに歩いていくエルマードの後ろ姿。しかし、捕まって連行されるといった様子ではない。なんなら、スキップすら始めそうな彼女の足取りなのだ。頭の中に、無数の疑問符がわいてくる。


 アテラス駅でも、エルマードは警備兵相手に話しかけて、たやすく情報を聞き出した上に通行を許されてしまっていたことを思い出す。あのときは作業員として紛れ込んでいたが、ここはそんな場所じゃない。


 なぜ──と思って、すぐに気が付いた。

 簡単な話だ。

 彼女は、ゲベアー計画で見出された「特甲種」なのだ。つまりは貴重な選別品。無碍むげに扱われるようなことはないのではないか。もしかしたら、あの目立つ、見たことのない淡い金色の美しい髪は、その目印なのかもしれない。


 エルマードたちは、廊下の突き当たりを曲がって姿を消す。俺は急いで廊下を駆け抜け、彼らの姿を追った。




「あ、アイン! えへへ、なんか大事なものがある部屋の場所、教えてもらっちゃった」


 にこにこと笑顔のエルマードの背後で、どこか虚ろな目で何かぶつぶつと言っている、王国の警備兵が二人。


「アイン、こっち。ちょっと遠回りだけど、こっちから行けば、怖い人がいないんだって。早く行こう?」

「ま、待て、エルマード。どういうことだ、これは」

「優しいおじさまたちが、教えてくれただけだよ?」


 くりくりとした目で見上げてくる彼女は、まるで駄菓子屋でおまけをもらった少女のような無邪気な表情だ。


「アイン、早く早く。ねえ、ボク、先に行くよ?」


 エルマードが手を引く。


「……分かった。だが、常に安全を確かめながらだ」

「大丈夫って教えてくれたのに?」

「罠かもしれないだろう?」

「そんなことないよ、きっと大丈夫」


 自信満々のエルマード。こいつのこの自信は、いったいどこから湧いてくるものなのだろうか。




「……ええと、この角を曲がって……あの部屋かな?」


 本当にこの部屋まで誰にも遭遇しなかったことに、俺は頭を抱えたくなった。

 エルマードは、王国兵から一体どうやって聞き出したのだろう。恐るべき才能というしかない。女を口説いて回っては浮き名を流すフラウヘルトもなかなかのものだと思うのだが、エルマードはそういう次元の話じゃない。


「鍵がかかっているぞ?」

「えっとね、ここを……こうやって……叩く! ……ほら、開いたよ」

「なんで開くんだ」

「知らない。さっきのおじさまが、鍵が壊れかけてるからこうすると開くって、教えてくれたよ?」


 斥候のディップが聞いたら、泣いてしまいそうだ。ひょっとしてエルマードの奴、天性の男たらしなんじゃなかろうか。

 とりあえず誰かに見つかる前にと、素早く部屋に滑り込む。

 高い位置にある小さな明かり取りの窓から差し込む、わずかな光が頼りの薄暗い部屋。そこには大量の書類が納められていた。棚に収まりきらない分が、床から山のように積み上げられているくらいに。


「……これを調べるのか」


 やはりもう一人くらい欲しかったと恨めしく思いながらも、とりあえず手近な草皮紙の束を手にとる。当然のように王国語のため、読むのに手間取る。


「エルマード、読めるか?」

「うん、だいじょうぶ! アインは?」

「あんな小さな、明かり取りの窓からの光が頼りではな……」

「アインって、目が悪いの? ……いたいっ! もう、ぐりぐりはやめてってば」


 とりあえずエルマードにお仕置きをしてから、紙の束を読み進める。読めないわけではないが、暗くて読みづらい上に、頭の中で言葉を変換しながら読み解かねばならないところが、実にもどかしい。


 何かの仕様書、学術的な論文のようなもの、法術の解釈論や研究書類など、呼んでいると疲れて頭が痛くなってきそうなものばかり。この膨大な文書の中から目当てのものを見つけるのは難しい。


「……ねえ、アイン。見つかった?」

「お前はどうだ」

「だめ、よくわかんない」


 そう言いながら、紙の束の上に突っ伏す。


「……そう簡単に、都合よく見つからないか」


 ため息をつきながらそう考えていた時だった。


 ──足音!


 エルマードも気づいたらしい。だが、胸に抱えていた紙の束をバサバサと取り落としてしまい、それを慌てて拾おうとする。

 ──馬鹿! 隠れるのが先だろうが!

 俺は慌てて彼女の襟首をつかむと、抱えるようにして隅の棚の陰に走る!


「えへへ、アインの懐、あったかい」

「馬鹿。黙ってろ」


 近づいてくる足音も、これで何度目だろうか。そろそろ、そんなくだらない言葉も出る余裕が出てくる。とはいえ、見つかればおしまいだ。こんな狭い部屋では、すぐに見つかってしまうのだから。


 足音からすると、少なくとも三人は連れ立っているようだ。その足音が最大限に近づいてくると、やはり緊張する。


 ──通り過ぎろ。こちらに気づくな。


 息を殺して待つ。すでに何回か、足音は通り過ぎて行った。今度もそうあってほしいと願う。

 だが、今度ばかりは勝手が違った。足音が止まったのだ。

 ──頼む、立ち止まるな、早く行ってくれ!

 俺は祈りながら、床に身を伏せる。


 だが、無情にも祈りは届かなかった。

 ガチャ。

 ──開けやがった!


『……おい、鍵が開いていたぞ』


 不審げな男の声に、一気に緊張が走る。

 エルマードの頭を胸に抱え込むように抱きしめる腕に、力がこもる。

 頼む、気づくな……気づかないでくれ!


『前の奴が鍵をかけ忘れたんだろう?』

『簡単に言うな。上官に見つかれば、ドヤされるのは俺たち全員だぞ?』


 男たちは、何やら部屋の入り口付近に紙の束のようなものを持ち込み、ドサドサッと積み上げていく。


『これでおしまいか?』

『ああ。これで終わりだ。やっとこんな冷たい石の牢屋から撤収できる』


 うんざりしたような男たちの声。


『あとの処分は法術師がなんとかしてくれるんだろう?』

『そうなっているはずだ。最終処分までオレたちにやらせるなんてことは、さすがにないだろう』

『どのみち、あのときに予備の弾薬までキレイに吹き飛んじまったからな。オレたちにできることなんかないさ」

『今攻め込まれたら本当に危なかったけど、結局、なんの追撃も来なかったしな。全く、何がしたかったんだ、あの連中』


 男たちはぶつぶつ言いながら、部屋を出ていく。

 バタン……ガチャリ。


 足音が遠ざかっていくのを聞いて、俺たちは息を吐ききるくらいの長いため息を漏らすと、互いの顔を見合わせて、小さく笑った。


「……重いよ、アイン」


 そして気がついた。

 少しでも見つかるリスクを減らそうと、彼女の小柄な体を強く抱きしめたまま、床に伏せていたことを。


「あ……ああ、すまない」

「えへへ、アインに抱きしめられて押し倒された時は、ボク、ついにアインのものになるんだって思っちゃったけどね」

「そんな減らず口が叩けるなら、もっと絞め上げても大丈夫そうだな」


 わずかに身をよじったエルマードだが、はにかむように微笑んでみせる。


「……いいよ? アインにならボク、もっと、ぎゅうってされたいから」


 ……そうきたか。ええい、クソッ。罰が罰になってないじゃないか。だったらこうしてやる。


「えへへ……ねえ、アイン。もっと頭、ぐりぐり、して? ボク、分かったよ。アイン、これ、照れ隠しにしてるんだよね?」


 ……この小悪魔め。ため息をついて、身を起こす。


「あ……。ねえ、アイン。もっとして」

「罰にならないなら、する意味がない」

「うーっ……」


 こちらを見上げて頬を膨らませたエルマード。「ボク、アインに触ってもらえるの、好きだよ……?」と、胸に顔をこすりつけてくる。

 思わず抱きしめてその頭をなでると、彼女は嬉しそうに俺を見上げて微笑んだ。

 子犬のような奴だ──それを可愛らしいと思ってしまう自分に気づき、すでに彼女にかなり毒されている自分を発見する。


 ──彼女は危険な存在だ。その真の目的が不明なうちは、気を許してはならない。


 そう自分に言い聞かせるのだが、しかしエルマードとのやりとりを楽しんでいる自分もいる。というより、もはや後者の方が主になりつつある、と言ってよかった。

 ……まあ、なるようになるさ。



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