隣の魔王様 3
「席は浜路の隣が空いてるな。そこに座ってくれ」
「分かりました」
転校生、磨上 洋子は何食わぬ顔をして俺の方へ歩いてきた。俺はもう愕然として動けない。しかし磨上 洋子は何食わぬ顔をして、俺に頭を下げた。
「隣、よろしくお願いしますね」
俺は混乱する。俺の勘はこの女性が絶対アレだと、そう告げている。しかし、態度や口調はアレとは全然違う。一体どういうことなんだ。
しかし、転校生は席に座る直前、俺に流し目をくれながら声は出さずに口を動かした。そしてそのセリフは俺の頭の中に直接響いてきた。
『動揺するな阿呆。話は後ですることにしようではないか。勇者よ』
念話の術だ。俺は愕然とする。や、やっぱり、やっぱりこの女は……。
◇◇◇
生きた心地もしないまま昼休みになった。そこまで俺は隣から発せられるプレッシャーに耐えるのに精一杯で、授業なんて何にも耳に入ってこなかった。
授業間の休みでは磨上は多くのクラスメートに囲まれ、質問攻めに遭っていたな。磨上は如才ない笑顔で様々な質問に答えていた。何でも海外に暮らしていたんだけど、親の仕事の都合で日本に帰ってきたとか。純粋な日本人では無くクオーターなんだとか。俺の耳にも流れて来た。
そして昼休み、ガクブルしている俺の横に磨上が立った。
「ねぇ、浜路君。学校を案内してくれない?」
『おう、勇者よ。我とちょっと話をしようではないか』
キター!
俺は全身から冷や汗をダラダラ垂らしながら頷くしかない。クラスメートは大騒ぎになっていたけどな。男子達からは「なんだそれ!」「いつの間に!」「羨ましい!」なんて声が掛かり、女子からは「え?私が案内するよ?」「何も浜路なんかに案内させなくても」などという声が掛かった。なんだ浜路なんかにって。
「ありがとう。でも、この方と約束していたので」
『ふん。上手く正体を隠しているではないか。感心感心。勇者の力を悪用していたら成敗してやらなければならぬと思っていたのだがな』
副音声が怖いよ。俺と磨上は仕方なく連れ立って教室を出た。
俺たちは歩いて体育館裏まで来た。……不良の喧嘩場所の定番だな。告白の定番場所でもあるけど、こいつが選んだ理由は明らかに前者だろう。決闘だ。
俺は人目が無いことを偵察スキルで確認すると、磨上に向き直った。
「どういうつもりだ! 魔王!」
そう。魔王。この女。磨上 洋子はあの最後の異世界行きで対決した、十六回目の転生だとか言っていた魔王に間違い有るまい。容姿といい、その甚大な魔力といい、その俺を小馬鹿にするような目線といい、明らかにあの魔王だった。
「ふむ。ちゃんと我を覚えていたのだな。感心感心。忘れていたならどうしようかと思ったぞ」
俺はキレた。
「忘れいでか! 俺はお前にやられたせいでレベルが2も下がったんだからな! どうしてくれるんだ!」
俺は全力で叫んだのだが、魔王は意外そうな表情を見せた。
「なんだ。僅か2レベルダウンで済んだのか。思ったよりレベルが高かったんだの。其方」
「な、なんだと?」
僅か2とはなんだ! 25から27になるには世界を少なくとも三つは救う必要があるんだからな! それを「僅か2」だなんて。
「何を勘違いしておるか。我は褒めておるのじゃぞ?」
「な、何だと?」
魔王はあの戦いの時を思い起こさせる、憐憫に満ちた表情で俺に言った。
「あのな。其方は死んだのじゃぞ? あの世界で我に消し飛ばされた。死んだ人間はどうなる? 普通は消滅するものじゃ。それがレベル2ダウンで済んだなんて僥倖じゃろう。そうではないか?」
……それは確かにその通りだ。
実際、俺がレベル25で死んだのだったら俺は計算上、もっとレベルが消し飛ばされて、2とか3しかレベルが残らなかった可能性がある。レベル20以下なら経験値が足りなくて、魔王が言うとおり消滅を余儀なくされていたかもしれない。
「勇者よ。転移者はうっかり異世界を現実でないと見做して、無謀な事に挑む傾向がある。しかし異世界もしっかり現実じゃ。死ねば普通は死ぬ。其方は運が良かっただけじゃ。それを心得よ」
お説教を喰らってしまった。しかし言っている事は至極真っ当だ。
「魔法無効術を解除してやった時、なぜ即座にテレポートして逃げなんだ。王城に撤退して戦略の練り直しを図るべきだったであろうに。魔法無効術が有効な3以上のレベル差はあの時点で確定だったのじゃ。それを無謀にも立ち向かおうなどと、愚かにも程がある」
うぐぐぐ。胸が痛い。確かに無謀だった。しかし……。
「お、俺は勇者だ! 勇者には勝てなくても戦わなければならない時というのがあるんだ!」
「その結果が無残な敗北と、守るべき人類の滅亡では世話は無いではないか」
全くもって正論でぐうの音も出ない。……って。
「あ、あの後あの世界はどうなったんだ!」
魔王は心底呆れかえったような表情で言った。
「見事我が滅ぼしたに決まっておろうが。人類は全て魔族化して、世界は魔界になった。めでたしめでたしじゃ」
「な、何という酷いことを!」
俺は思わず叫んだのだが、魔王の表情は呆れたような微笑みから一切変わらなかった。
「我にとって世界の魔界落ちこそ勝利じゃ。人間も魔族化して、魔物と人間の争いは無くなった。あの世界に平和が訪れたのじゃ。何処が酷いのじゃ」
……? ? ? ?
俺はちょっと脳がバグりそうになった。えーっと。魔王が勝って世界が魔気で覆われると、人間は死ぬか魔族化する。それは知っている。しかし、するとどうなるかまで、俺は考えた事が無かったのだ。
「魔物の世界は弱肉強食。故に弱い者は強い者に逆らわぬ。それ故強固な階級社会が出来るから、逆に争い事はほとんど起こらぬ。平和な世界じゃ。むしろ人間の方が無駄な争い事を起こすではないか」
……確かに、何処の世界の王様も、名君とは言い難かったものだ。自らの贅沢のために民に重税を課して民を困窮させ、魔王との戦いの最中だというのに宮廷闘争は絶えず、内戦まで起こしていた。人類に存亡の危機が迫っているのにそんな事をしている場合か! と何度も言いたくなった事は事実だ。
だ、だが……! 俺は頭をブルブルと振った。
「お、俺は人類を信じる。弱肉強食の世界より、人間が助け合って生きる世界の方が大きな可能性を秘めていると信じているからだ!」
俺が叫ぶと、魔王は切れ長の目を大きく見開いた。
「これはなんと。面白い事を言う奴じゃ。なるほどなるほど。道理で九回も召喚されたのに、人間側の勇者になる訳じゃな。とんだお人好しじゃ」
魔王は面白そうにククククっと笑った。
「わざわざ狙って転校してきた甲斐があったというものぞ」
なんだ? どういう意味だ? 驚く俺に魔王は自慢げな表情で言う。
「あの世界を滅ぼして元の世界に帰還したら、何と倒したはずの勇者の気配があるではないか。これは面白いと思ってな。親が日本に戻るというので、ちょっと色々いじってこの学校のあのクラスに転校出来るようにしたのじゃ」
……こいつくらいのレベルになれば、他人の記憶や情報をいじって操るなんて事もお手の物なんだろう。それで転校どころか座る席まで操作して俺の隣の席に収まったのに違いない。
不意に魔王は俺に歩み寄った。俺は身構えるが、魔王はそのまま俺の懐に入り込むと、俺の顎を細くて白い指で掴んで自分の顔を限界まで近付けた。唇が触れる寸前だ。き、キ……!
「まぁ、よろしく頼むぞ。勇者よ。我を飽きさせないようにせよ」
魔王はそのまま俺の横をすり抜けて、スタスタと歩き去って行った。体育館裏に寒風が吹き抜ける。俺は思わずへたり込んだ。
とんでもない、とんでもない事になった。
俺はそう思いながらも、なんだか妙に熱い頬とドクドクと波打つ胸に戸惑いを隠せなかったものである。
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