ぐうたら剣姫行~亡国の姫とろくでなし女剣士の逃避行~

シルバーブルーメ

001 脱出


 鐘の音で目覚めた。

 激しく打ち鳴らされていた。

 尋常ではない勢いだった。


「緊急! 緊急! ! !」


 叫ぶ声にレントは飛び起き、外の様子をうかがった。


 深夜。普段なら闇。しかし明るい。

 炎が上がっている。

 大規模に。


 声が聞こえてくる。

 大勢の、尋常ならざる激しいわめき声。絶叫。断末魔。

 殺し合っている。


 血の気が引いた。

 ここは戦場ではない。

 王宮である。


 大国、カラント王国の、王都の、王宮。

 その中でも最も奥まった場所。


 優秀である上に家柄の良い者でなければ入団できない、王宮を守る近衛騎士団。

 その中からさらに選りすぐられた、王族の方々をお守りするための親衛騎士団。

 その営舎。


 そこでとはどういうことか。


 レントは親衛騎士ではなく、その従者である。

 一応貴族の血筋に属するが、王宮に上がることは許されない程度の位階にすぎない。事実、父親は田舎の村の村長だ。

 しかし縁があって従者としてついた騎士が出世し、自分も一緒にこの王宮内の営舎に起居できるようになった。


 即座にあるじのもとへ駆けつけようとして――踏みとどまった。

 普段からためこんでいた携帯食料や金、衣服の予備などをまとめて荷袋につめこみ背負って、さらに厚手のマントを羽織り予備の武器も身につける。長距離行軍に備えた支度だ。


 もうこの部屋には戻ってこられないのではないか。

 そんな予感に襲われたのだった。




 レントの主人、騎士ガイアスは、レントの同輩の従士に甲冑を装着させているところだった。


「遅い!」


 怒鳴られたが、レントは気にせず主の身支度を手伝い始める。


 レントの風体を騎士ガイアスは怪訝けげんそうに見下ろした。


 何かを言われるより先に、鋭い笛の音がして、よく通る声が営舎内に響いた。


『傾聴! 傾聴!』


 全員が動きを止め、部屋の扉を開けて耳をすませる。

 王宮の最奥部から魔法具で伝達される、騎士団総長からの指示だ。


『王宮に侵入者! 敵は軍勢! ガルディス殿のご謀叛むほん! くりかえす、ガルディス殿下のご謀叛! 敵は軍勢、少なくとも千人以上! 内部からの手引きにより、全ての城門は開かれ、平民兵士が乱入しつつあり! すべての装備の使用を許可する! 最高軍装にてただちに集合し応戦せよ!』


「な……!」


 騎士ガイアスもレントも、他の者たちも絶句した。


 ガルディス。

 この国の王の、長男にして王太子。

 第一王子ガルディスが、王宮に攻めこんできたというのだ。


 ……予兆は、ないわけではなかった。


 このカラント王国は、長い間、王族およびいくつかの貴族家の者が支配し続けてきた。


 多重の婚姻で家系をあみの目のようにからみあわせた貴族階級があらゆる要職を占めて、その血筋につながらない者には出世の道はなかった。


 そのせいで、実力ある下級貴族、実際の仕事をする平民たちの間に不満が蓄積しており……その声に応じていたのが、第一王子にして王太子たるガルディスである。


 今までこれでやってきたのだからこのままでよいとする国王および年配の大貴族たちに対して、王太子ガルディスは、身分にとらわれずに能力ある者も出世させるべきと主張し、対立していた。


 実際にガルディスは、自分にまかされた領地では身分を無視した人材登用を行っており、若く優秀な平民たちが彼の幕僚となり武将となり専属魔導師となり、平民兵士たちは熱狂的にガルディスを支持し、出世の道が閉ざされている他領の者たちがガルディス領へ逃げこむ事態も幾度となく発生していた。


 とはいえ、時を待てば自然とガルディスが国王となり、自分の望む体制へと変革できる――そのはずだったのだが。


 国王は、五十歳を越えなお壮健そうけんであり続けた。

 すでに七人の子がいる上で、若い女官に手を出し、妊娠させた。


 長男であるガルディスは三十五歳となり、その子も成人し、妻を迎え、先日孫が生まれた。


 そして、この国の伝統である貴族制を乱そうとする王太子ガルディスよりも、その下の弟、優雅な貴族を体現している第二王子レイマールの方が国王にふさわしいのではないかという声が王宮では大きくなっていたのだ。


 ゆえに――王太子によるクーデターというこの事態も、誰もまったく想像していなかったというものではなかった。


 だがまさか、実際に行われ、王宮が陥落寸前となるとは!


「急げ! 絶対に賊を通すな!」


 レントは騎士ガイアスに従って王宮をひた走った。


 自分たちが守りについたのは、広大な王宮内に八つ存在する離れのひとつ。

 王の末子、第四王女カルナリアの居住する小宮である。

 騎士ガイアスは第四王女の親衛騎士、それも筆頭騎士だ。


 門から遠いその建物はまだ静謐せいひつだった。

 しかし空気は恐ろしいほど張り詰めている。


 突然、巨大なの声が上がった。

 王宮の、中央殿の方から。

 数百どころではない、数千を超える人の口がいっせいに叫んだ、地鳴りのような響きが夜空をどよもした。


「こっ、国王陛下っ、お討たれにっ……!」


 血まみれの役人が駆けてきて伝えた。

 全員が色を失った。

 この国が終わった瞬間だった。


 続いて、王弟が、王女が、王子が。

 十三侯家――この国の中核を成す大貴族の当主たちが。


 討ち取られたという悲報が次から次へと伝えられてきた。


 守備につく騎士たちから表情が消えた。

 自分たちの確実な死を受け入れ、名誉のためだけの絶望的な戦闘に身を投じる覚悟を定めた静けさが場に満ちた。


 だが。


「脱出する!」


 騎士ガイアスが指示した。


「姫を守り、この場を逃れる!」


 彼がこの場では最上位の指揮官である。

 そのため先ほど、従士のレントは入ることを許されない、第四王女カルナリア姫の住まう奥の区画へひとり招かれていた。


 恐らく王女に面会してきたのだろうが――戻ってくるなり命じたのがそれである。


 命を投げ出すと決めていた騎士たちの、すさまじい目つきが集中してきた。

 だがガイアスは、それ以上の凄絶な気配をもって怒鳴った。


「カルナリア様がおられる限り、カラントは滅びぬ!」


 そこには個人の名誉をはるかに超えた、より巨大で崇高なものに身を捧げた戦士の気迫が満ちていた。


 ガイアスは、後に残って反乱軍の目を引きつける役目の者を指名する。

 彼らは確実に死ぬ。容赦なく殺される。

 それがわかっていて命じなければならなかった。


 だが、命じられた者たちは満面の笑みを浮かべて剣を掲げた。

 親衛騎士の本懐であった。

 逃れる側に指名された騎士の方が、うらやましそうに彼らを見つめた。


 炎上する王宮を逃れ出て、夜明け前の王都を抜け、西へ向かう。


 西――カラントの西の隣国バルカニアには、今、第二王子レイマールがいる。


 以前バルカニアに嫁いだカラント第一王女ヴィシニアが、高齢でありながら三人目の子供を産んだことで、表敬に訪れていた。

 それゆえに、この惨劇を逃れていた。


 このような大逆非道を行ったガルディスを、次代カラント王と認めることは絶対にできない。

 レイマールこそが、真の次代カラント王。

 そのもとへ、妹姫のカルナリアを逃す。

 それによりカラント王家の正統性は保たれる。


 騎士たちは自分たちの任務の重大さを骨身に染みて理解し、全力を尽くした。


 陽が昇り、背後が明るくなる中を、一行は闇に向かってひた走った。



 ――レントが騎士ガイアスに特別な命令を与えられたのは、その日の夕刻である。


 強行軍のさなかの、小休止。

 誰もが疲れ果て、少しでも体を休めようとする中で、比較的元気でみなに水や携帯食を配って回っていたレントは呼びつけられ、他の騎士たちから離れたところに導かれた。


 あるじは言った。


「追っ手が迫っている。精鋭だ。こちらは一日走り続けたが、やつらの方が速い。この後、夜を徹して進んでもなお、明日には追いつかれるだろう」


「それは……!」


「ガルディス殿下、いやガルディスは反逆者だが、決して無能ではない。剛毅ごうきに見えて繊細に、周到に手を打ってくる人物だ。王宮を逃れる者が出ることは当然計算に入れて、王都を囲む網を張っていることだろう。この道の先、最も近い街には、ガルディスの息のかかった商会が拠点を置いていたはずだ。呼応して動き出した平民どもが、領主を討ち取り城門を閉ざしている可能性はきわめて高い。……先行させた偵察が、いまだ戻らぬ。魔導師も、前方に敵意の雲を感じると言ってきた」


「まずいですね……」


 王宮では死ななかったけど、ここで死ぬなとレントは思い定めた。遺書を書いたとしても、故郷に届くことはないだろう。心の中で両親や兄たち、懐かしい顔に別れを告げた。


「ゆえに、賭けることにした」

「賭け、ですか?」

「私に?」

「従士たちの中でただ一人、最初から旅支度をしてきたお前――その、目端が利き勘のいいお前に、私は、を賭ける」

「全て……?」


 ガイアスは無言で横合いに目配せした。


 暗がりから人が現れた。

 大と小――長身の女性と、小柄な女性。

 どちらも動きやすい服装をして、頭からフードをかぶっている。


「お前は、このを連れて、逃れよ。手段を用いても構わぬ、西へ逃れ、レイマール殿下のもとへお連れするのだ」


 休憩しているようにしか見えない表情のまま、ガイアスはとんでもないことを言った。


 レントの血の気が一気に引いた。


 お二方、とガイアスが言った時点で察してしまっていた。


 長身の女性。

 顔も名前も知っていた。

 エリーレア・アルーラン。

 名家の出。第六位の自分よりはるかに位階の高い、第四位の貴族令嬢。

 カルナリア王女付きの侍女のひとり。


 ということは、隣の小柄な女性は――この華奢きゃしゃな少女は。


「カ……」


 名前を口にしかけて、ぎりぎりで自制した。

 反射的にひざまずきかけたのも、止めた。


 遠くから姿を見たことしかない、第四王女、カルナリア姫がそこにいた。

 おん年、十二歳。


「わ…………、ですか?」


 思わず問うた。抗命と言われても仕方のない態度。


 だが主人たるガイアスは、静かにうなずいた。


「我々が追っ手を引きつける。これ以外に手はない」

「しかし……! せめて、他にも誰か……戦える者を……!」


 騎士ガイアスは、レントが見たことのない、すさまじい汗の玉を額に浮かべた。


「聞け。私以外は誰も知らぬ」


 声を限界までひそめ、しかし無限の重圧をこめて、ガイアスはレントに言った。


「――姫様は、『王のカランティス・ファーラ』をお持ちであらせられる」


「…………!」


 血の気がひくどころではない、レントは心身すべてが凍りついて奈落に落ちてゆく心地に襲われた。


王のカランティス・ファーラ』。


 そのひたい飾りは、このカラント王国の、王の証。


 代々の国王に、数百年にわたって伝えられてきた神具。


 この神具を額に装着し、こめられた魔法を発動させ輝かせる者こそがカラント王。

 これを持たぬ者は王たり得ず。

「装着の儀」を行い神具の色を定めぬうちは、神々も王をお認めになることはない。


 常に王と共にあったはずの国宝、唯一無二の至宝が、ここにあるという。


「命と引き替えに、お届けになられた」


 誰が、とは聞くまでもない。

 国宝を管理する、最高神祇じんぎ官。


 反逆の王太子ガルディスが最優先で確保するつもりだっただろうこれを、王の命が失われた上でもなお守り通し、恐らく唯一生き残った王族のカルナリアに託したのだ。


 カルナリアがこれを届けることができれば、兄のレイマールが確実に次代の王となる。


 一方のガルディスは、父王を討ち王宮を焼くという暴挙に出たというのに、これを得られなければ国内の各勢力が彼を新王と認めてくれない。


 騎士ガイアスが、王宮守護の名誉を放り出して逃亡を命令した理由がわかった。

 絶対に、これをガルディスの手に渡すわけにはいかないからだ。


 だが――ガルディスがいかなる犠牲を払ってでも狙ってくるそれを持つカルナリア王女を、自分ひとりが守って、隣国バルカニアへ逃れるというのは。


 駅舎や中継所を万全に利用できる騎乗の伝令が、平穏な時期でも十数日かかる道のりを、王宮しか知らぬ幼い王女と、上級貴族の侍女を連れて……?


 普通に考えて、無理だ。不可能だ。


 だが――レントの頭の中で、絶望とは別なものがめまぐるしく回転していた。

 どんな時でも色々考えてしまうのがレントという人間だった。


 ――可能性は、


 このまま騎士たちに守られつつ西へ突っ走っても、捕捉される未来しか見えない。


 だがここで、護衛の騎士たちすら知らぬ間に王女が別行動を取るならば――平民に偽装して遠ざかるならば――わずかながら、逃げきれる可能性がある。


 王家に忠誠を誓う貴族は各地にいる。

 これまでの秩序、これまでのやり方に従う民もまだ多くいるだろう。


 きわめてか細いが、道はある。


「……お引き受けさせていただきます。必ず、バルカニアへ」


「頼む。………………!」


 レントは、他の騎士に気づかれないように、静かに敬礼した。


 この厳しくも良き主との、永遠の別れだった。





【後書きと予告】

かくして、王女の逃避行は始まった。

この国において、まさか王女ともあろう者がほぼ単身で逃れるなどとは誰も思わない。追いすがる平民たちですら。だからこそそこに唯一の活路がある。

次回、第2話「捨て身」。逃亡する者たちと追う者たち。残酷な描写あり。

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