遠くて近い


 空は夕焼けに染まり、建ち並ぶ廃ビルを暗い闇へと誘いつつあった。


 男は屋上でこの世界を、そして自分を憂い嫌う。

 世界を自分を憎み、憎悪の中やり場のない怒りが湧いていた。


 過去を振り返ると吐き気がし、現実を直視すると苛立ち、未来を想像すると死にたくなる。

 だから

 立ち行かない男は自らの命を絶つ事で全てを終わりにしたかった。

 けれど――


「あんたね、死んで終わりにするとか、逃げじゃない?」

「……」

「私だって死にたくなる事いっぱいある。でも、死んだらそこで終わりじゃん。かっこ悪くても生き続けなきゃ、幸せはやって来ないんだよ」

「るっせぇッ!」

 男は怒りをぶつけた。そして屋上の柵を越えると、勢いのまま飛び降り――


 腕を握られる感触。嗚咽とともに滴る女の涙。


「バカ……野郎……。死ぬ覚悟があるなら、全力で幸せを掴みなさいよ」

「……」

「あんたのね、そこが嫌い。でも、昔の私を救ったのは紛れもなくあんたなの。私にとってあんたはヒーローなんだよ。たった一人の……」

「離せッ!」

「いい加減目を覚ましなさいよ!」

 女の小さな涙が落ち、その一つが男の手に触れた。



◇ ◇ ◇ 


 教科書が無くなることも、上履きを隠されることも私にとってはよくある話。

 いつの間にか標的となり、いつの間にか当たり前になっていた。友達はそんな私から離れていった。多分みんなイジメられたくないから――。


 夏休み明けの始業式、憂鬱で重い足取りを学校へ向け歩いていた。昇降口の靴箱には、声にしたくないほどの暴言が刻まれていた。それもやはり私の心を抉るような痛みを伴って、しかしそれでも、私は泣き出しそうな顔を必死でこらえていた。


 教室に入ると私は空気。挨拶をしても返っては来ないし、誰一人として私に近付こうとする友達はいなかった。多分みんな私のことをもう友達とは思ってないかな、と。私はそのまま席に向かった。


 イジメのリーダー格の女が言う。

「○○、死んでくんないかな(笑)」

 私に聞こえるように、いや、みんなに聞こえるように大声で言う。そして取り囲むメンバーが声を上げて笑う。

 そこに――


 椅子から立ち上がった、青年。イジメのリーダー格に近付き無言で思い切りぶん殴り、そして

「お前ら、朝から胸くそ悪いわ! お前らが死ねや!」

 と言い放った。


 ………………


 私と青年は一ヶ月の謹慎処分。学校にはしばらくこないように、とのことだった。私も? という疑問はあったがとりあえず受け入れた。

 イジメのメンバーは停学処分だそうだ。


「始業式からついてねぇ。ま、夏休み延びたし、まあいいか」

「あんた、けっこういい男だよね」

「忘れたのか? 俺だよ俺」

「は? 新手の詐欺?」

「違うわ!」

「冗談(笑) 木村きむらでしょ?」

「なんだ、覚えてんじゃん」

「でもなんで殴ったの?」

「いや、なんかいやじゃん。イジメとか。見ててむかついちゃって(照)」

「照れるな。でもありがとう。嬉しい」

「俺もな」

「?」

「深い意味は無い」

「えっ? もしかして――」


 二人は笑顔で笑い合う。けがれを知らない純粋な、心からの笑顔で楽しそうに笑っていた。

 二人の心には小さな恋が芽吹くのであった。



◇ ◇ ◇ 



 男の命を繋ぐのは女の意志だった。救いたいという気持ちが男の腕を掴む理由だった。


「女はね、泣かせるもんじゃない。愛した女は一生かけても守り抜けええええええええええッ!」


 女が平手打ちをすると、男はもう抵抗するような気配も失せて、ただ呆然ぼうぜんと座り込んでいた。


「ごめん」


 男はかすれた声を発した。そして反省の言葉を延々と述べると、涙を流し「俺、本当は生きたいんだと思う」そう力無く言った。


「あんた、昔はいい男だったじゃない。何があったか知らないけれどまあいいわ。今日からあんたは生まれ変わったんだから、さ」

「俺、間違ってた」

「死んだって幸せにはなれないのよ。全力で幸せを掴みにいきなさいよ。その方が何千倍もいいに決まっているわ」

「分かった……」


 街は既に闇の中。屋上から月がよく見える。


 あんなに遠くにあった月が今日はとても近い。

 あんなに遠くにあった愛が今日はとても近い。

 あんなに遠くにあった君が今日はとても近い。



 遠くて近い、そんな今日の日。



2023年09月30日

少し改稿




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