15.ゴンッ

 心臓がバクバクうるさい。そう、うるさいのは私の心臓。そして、いつの間にか吹き出した強い夜風。

 いつの間にか、王妃様の声もスヴェン様の声も聞こえなくなっていたけれど。

 これは大変なことを聞いてしまったのでは!?


 ――アンネマリー様が、王位の簒奪を、陛下の暗殺を考えている。

 しかもそれに白銀騎士団の一員であるスヴェン様を利用しようとしている。


 どうするの、これ。誰に言えばいいの。いいえ、言ったところで信じてもらえるの?


 そしてもうひとつ気になる事。

 スヴェン様がアンネマリー様と幼馴染、古い知り合いだったというのなら。スヴェン様の妹であるカタリーナだって、顔見知りの可能性が高くない?

 もし、本当に顔見知りだったとしたら。私がヴァイオリンを弾けることを伝えて、演奏を勧めてくることだってできたかもしれない。


 カタリーナが純粋に、私の応援をしてくれて、それで紹介してくれたなら嬉しいよ。そうであると信じたいのだけど。


 スヴェン様とアンネマリー様は今夜のあの瞬間まで何年も話していなかっただろう雰囲気なのに。

 カタリーナのほうはアンネマリー様と今も仲良くお喋りしていた、なんてことがありえるだろうか。


 こっちの二人の関係も険悪だってほうがしっくりくる。さっきの襲撃が茶番だっていうなら、カタリーナを連れ去ったのだって意図的なものかもしれない。


 壁にもたれかかったまま、動けない。

 びゅうびゅうやかましい夜風のせいで体が冷えていく。

 そして、木立の向こうを人影が横切っていくのが見えた。


 建物から届く灯りのせいで良く見えた影は、黒づくめ連中のそれ。


 ここで再びの不審者ですか!? 不審者に遭遇ですか?

 息を呑んで、身を縮める。同時に相手と目が合った。


 覆面の隙間から見える目が光る。

 あっという間に距離を詰められて、口の中にぐっと何かが押し込まれた。声がくぐもる。ぐるりと布が回される。これは本気の猿ぐつわだ!


 そのまま担ぎあげられた。ひえええ、他人の肩の上って高い。怖い。だが黙って運ばれるわけにもいかない。

 ヴァイオリンケースを抱きかかえたまま、ジタバタと脚を動かす。

 ええい、ちょっとくらいぶつかってもいいじゃないか。あわよくばキン●マにでも当たってしまえ!


 そんな抵抗も意味が無かった。

 黒づくめの足音も私の暴れる音も、夜風に負けて、周囲に響いていかない。

 そのまま運ばれた先では、下ろされるなり、あっさりヴァイオリンケースを取り上げられ、両手を背中に回された。

 痛い痛い、肩が痛い! 外れちゃったらどうするのよ!


 縛られて、地面にあっけなく転がされる。木と木の隙間に押し込まれた形になって、私は周囲を見回した。

 まだ王宮の敷地にはいるらしい。月をバックにした尖塔が見える。この見え方からすると敷地の北寄りかもしれない。王宮本体からは少し離れている。

 背は高くないけど、葉が多く茂った木に囲われた一角だ。私が普段行く庭園とは違う場所に思う。

 逃げるなら、尖塔を目印に進んでいく感じかな。


 もっとも…… 逃げられるなら、だけど。

 周囲にいる黒づくめは6人。見た感じ、手を怪我している人――スヴェン様に手を切り落とされた人はいない感じだ。

 黒づくめは総勢何人いるんだろう。逃げるというのは、これを全員振り切って走っていくってことだ。


 ――どうしよう。やれるかな。


 このままじっと捕まっているのは好みじゃない。だけど、戦闘のプロに勝てるほど足が速いわけではないんだよね。

 それに、できることならヴァイオリンを持って逃げたい。

 それにここまで来たなら、カタリーナがどうなっているか知りたい。もし逃げたほうが良いなら、一緒に逃げたい。


 きょろきょろ視線を巡らせる。


 唸って考えているうちに、視界の端に灯りが見えた。

 月でも星でもない灯り!


 思いっきり木の幹を蹴る。木がしなる。風の向きとは違うしなり。


「誰かいるのか?」


 やった、気が付いてくれた!

 こちらに向けられるランプ、暗がりで目立つ白い人影は四人。白銀騎士団だ!


 白銀騎士団が掛けてくると同時に、黒づくめたちも動き出す。また一気に乱戦になった。

 ギンギンいう金属音は怖い。怖いけれど。


「ロッテ!?」


 ひょこっと木立の間を覗き込んできたのは、アルだった。

 ああ、もう。さっきからなんでこう、タイミングよく表れてくれるの、あなたは。


「何やってるんだ、あんた」


 何やってるって、囚われのお姫様ごっこです。なんちゃって!

 冗談も言えず、うーうー呻く。涙が出てきた。


「俺の姫君は捕まっちまうほどやんちゃなんだな」


 なのに、アルはくくっと笑った。手が頭の後ろに回されて、猿ぐつわが外される。

 あー、二度とされたくない。これが絵になるのはヒロインだけです。モブじゃない。


 ――そうだ。


 アンネマリー様とスヴェン様のこと。どうやって話をしよう?

 いい言葉が出てこなくて口をパクパクさせたら、頭をくしゃりと撫でられた。


「頭脳派といっても戦うことを知らないわけではないんだ。ちょっと待ってな」


 ああ、そうか。黒づくめたちをなんとかするのが先だ。

 立ち上がる彼を見上げて、ふと横を見て。白い上着の人がもう一人いるのに気が付いた。


 スヴェン様だ。


 夜の闇の中、表情は見えない。でも。

 背筋がすうっと冷えた。


 木の枝が踏まれて、折れる音。じりっとスヴェン様が寄ってくる。

 怖い空気を纏ったスヴェン様が。


 ――人質がいて戦えなくなるとかしないよね?


 ここで負けたら、間違いなくバッドエンドその1だ。

 唾を呑み込む。

 幸い足は縛られていない。ということは立ち上がれる。走れる!


 ジタバタもがいて立ち上がる。一歩踏み出す。よし、いけるいける! その勢いで二歩目を踏み出したら足先が、つん、と何かに引っかかった。


 目の前にまっくらな地面が近づいてくる。

 ゴンッ、と鈍い音を聞いた。

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