第30話


 姉妹の一時が終わり、私は再び一人になった。一秒一秒を数え、時間の流れが緩やかになった。


(あと少し)


 扉がいつ開けられるのかを、高鳴る心臓を撫で下ろしながら待っている。

 人前に出るなんてとっくに慣れたはずなのに、胸を締め付ける緊張感が呼吸を短くさせる。


――コンコンコン。


 その音に体が飛び跳ねそうになった。

 いよいよ、その時が訪れる。


「どうぞ」


 乾いた喉で声が僅かにかすれている。

 気にする余裕も与えられず、ノックをした人物が部屋の中に入った。

 彼は一言も発せずに、ゆっくりな足取りで私の前まで歩いた。


 久々に会った彼に、喜びも羞恥も緊張も全部混ざり合う。

 だけど同時に、彼がこの部屋に入った瞬間から感じる違和感がある。その正体を確かめるために、首を傾げながら見上げると、ようやくその理由に気付いた。


「ふふ、今日の旦那様は白ずくめですね。……似合っていますが、いつもととても違って、違和感が拭えません」


 私の感想に同感したかのように、彼は両目を閉じながら頷いている。彼の仕草は更に私の笑顔を誘う。

 いつもの彼は黒か灰色、茶色など目立たない色を身に着けている。おそらく、本人も落ち着かないだろう。


「君こそ……重そうだな。動きづらそう」


 まさかの感想に私は目を大きく開いた。

 そして、腹部から何かが込み上げてくる。口がでそうなそれを隠すために、手で持っているリュゼラナのブーケに顔を埋めた。鼻から甘い香りが広がるが、嫌な気分にならなかった。


 声が出ないように奥歯を噛みしめているが、震えている体はもうどうしようもない。

 ウェディングドレスを着ている女性に普通、そのような感想になるのだろうか。今までの経験からすると、着飾る時は大体人は「綺麗」とか「お似合い」とか褒めてくれたのに。


 だけど、彼の着眼点はあまりにも彼らしい。

 そう思うだけで、付きまとう緊張感が和らいだ。


「ど、どうした?」

「ふ、ふふふ……あ、いいえ、いいえ、大丈夫ですよ。旦那様らしいなぁと思っただけです、ふふ」


 ブーケを下ろし、目に溜まった涙を指で拭う。

 危ない、危ない。皆様が気合を入れて施してくれた化粧を守らないとね。


「これはまだ軽い方ですよ? 昔、フルメニアで舞踏会に参加する時はもっと布を重ねたドレスを着ていましたよ? ほら、アクイラ様のウェディングドレスもこれよりも重そうではありませんか?」


 彼は顎に手を当てて、考える身振りをした。

 ああ、どうしましょう。彼の動作一つ一つは私の笑いを誘う。

 笑いの波に負けず、彼に右手を差し出す。


「ですが、今日は久々にドレスを着ましたので、転ばないようにエスコートしてくれませんか?」


 我ながら、らしくないことを口にしてしまった。

 そんなことはないのになぁ。一年近く着なくても、幼い頃から鍛えられた作法はそう簡単に忘れるものではない。


「ああ」


 彼は優しく答えてくれた。

 今日くらいは、大丈夫だよね。


 偽りかもしれないが、今日は私たちの結婚式だもの。






 無言で長い廊下を最後まで歩いた。

 緊張が彼に伝わったからなのか、私の手を握り締める力が僅かに強くなった。どういう意図だったのかわからないが、それだけで私は強くなれる。


 目前に佇む豪華な扉が開かれる。

 その先には、この宮殿の大広間。いつもなら王族が開催する舞踏会がここで開かれるだろう。


 中央に敷いてある青いカーペットの上を歩く。

 左右には知っている人も知らない人もいる。

 父、母、姉と弟が神妙な顔をしている。もう少し先に立っているのがファルク様だ。

 アベル様はゼベランの国王陛下の近くに立ち、私たちを見守っている。


 神官が待っている終着点に辿り着くと、儀礼が始まる。

 始祖の竜の物語から始まり、最後は私たちへの問い。


「病める時も健やかなる時も互いに一途な竜のように寄り添い、死がふたりを分かつまで始祖の竜に誓いますか」

「誓う」

「誓います」


 神官は淀みなく誓った私たちに微笑みかけた後、高々と宣言した。


「二人の誓いは確かに結ばれた! 始祖の竜の前で一つになった二人はどんなことであれ死以外分かつことができないだろう! 二人に幸あらんことを!」


 周りからの握手の音が鳴り響く。どこからともなく青い花びらの雨が降り注ぐ。

 その間から聞こえる、ゼベランとフルメニアの栄光を祈る言葉。

 それを受け止めながら、私たちは次の役目を果たさなければいけない。


 廊下の反対側に向かって歩く。今気付いたが、彼の歩みはいつもよりも少し緩やかな気がする。


(もしかすると、さっきそんなことを言ったから?)


 照れ隠しのつもりで言った言葉をそのまま受け止めた彼に、愛しさが増すばかりだ。なら、尚更だ。このリュゼラナ色のカーペットを歩く時に、それをできるだけ味わおう。これが終わったら、また彼とこうやって歩けるかどうかわからないもの。


 外を繋ぐ扉に近付く度に、寂しさが積もる。

 ああ、この時が永遠に続いたら、どれほどいいのだろうか。

 そう思うと、本当に今日の私は私らしくないな、と実感した。


 私の意思と関係なく、残酷なほどに扉が開けられた。

 そして、今度は大勢の人が同時に声をあげた。

 その中から聞こえるのは祝いの言葉、歓喜の言葉、希望の言葉。


 この風景を見て、今までのことには意味があると、そんな風に思えた。

 確かに、アーリャさんのような妄信を抱く人もいる。だけど、それは決して全員ではない。

 こうやって、笑顔で彼を祝う人達も沢山いる。


 見上げると、如何にも幸せそうに微笑む彼の横顔があった。

 彼の笑みも、私の幸せを呼び起こす。


 まさか、こうなるとは誰が思ってるのだろうか。

 彼の元に嫁いでから、それを何回も思い浮かべた。


 初めて出会っ時に、魔力に当てられて、恐怖で震えている。人間離れした造形をし、彼の呼び名はそれを煽った。

 嫁いだその日の夜、本当に屈辱だった。あんなに覚悟を決めたのに、説明もされてない理由で使われなかった。将来への恐怖が私を支配した。

 初めて彼と一緒に茶会をした日も今でもまだ覚えている。彼のわかりづらい気遣いに私は傷つき、初めて本心を口にした。


 あの日から、色々変わった気がする。


 徐々に増える二人の時間、彼への理解、私への理解。その日々がとても眩しかった。


(考えると、私は勝手に怒ってばかりだな……)


 自覚すると、罪悪感が募り始めた。だけど、同じくらいの感謝も積もっている。

 視線を感じるのか、彼は視線を周りの人から私に移す。


「どうした?」

「……いいえ」


 もう、この半年で慣れたはずなのに、何故だかいつもより頬が熱くなりやすい。


「ただ」


 身勝手で我が儘な私を受け入れた彼に、この言葉を言いたくて仕方ない。

 屈むようにと促せば、彼は素直にそれに従う。

 近づく耳に、秘密を打ち明けるように、


「とても、感謝しております」


 と小さく呟いた。


 彼の反応を見るにはあまりにも恥ずかしすぎて、思わず他者に見せるための笑顔を作った。

 いつも通り、私が逃げれば深く追及しない彼に内心感謝を告げながら周りに手を振る。


 そう、思ったのに。


「何故?」

「えっ?」

「……」


 手が強く握られた。まるで「逃がさない」と、そう告げられたように強く。

 どうしよう。言わなければよかった。


 例え手が届かなくても、好きな人の隣に居られたのはとても幸せ。間近から想っている人の喜んでいる表情が見られて幸せ。

 そうやって、幸せを与えてくれた彼には感謝しかない。


 そんなの、本人に説明するつもりは全くないのに。

 

 顔から血が引いた感覚がする。駄目だ、今は如何に幸せそうな顔をしないといけないのに。

 早く、早く言い訳を考えないと。早く平常心を取り戻さないと!


 そう思って、言い訳を口にしようとしたその瞬間。


「きゃあ――!!」


 鋭い悲鳴が聞こえる。

 心を不安にさせる音色だった。

 声の方向に振り向こうとすると、旦那様が強く私を抱きしめる。


 同時に、周りの祝福が悲鳴に変わった。


「人が、人が!!」


 もはや阿鼻叫喚。

 人々は声をあげながら叫び、落ちたガラスの破片のように散らばって逃げる。

 皆は後先も考えず行動したせいで、場が混沌と化した。


「旦那様、何があったんですか?!」

「……ルナードの王弟が誰かに刺された」

「えっ」


 ぶつかりに来る人達から私を守るために、彼は私を懐に入れながら説明した。

 まさか、そんなことが……。


「警備など強化したはずなのに……身内の犯行か? いや、先に君を避難させないと」


 刺された? 身内の犯行? 色んな出来事が一度に起きたせいで脳の処理が間に合わない。

 彼の言葉に従えばいい、そう思って頷こうとしたら――。


 彼が更に私を深く抱きしめる。


「っ!」


 彼は痛みに耐えるように顔をしかめている。

 首だけ動かせば、白い手袋に紅色が広がっている。その手は、何かを握っているように見える。


「なんで……どうして……」


 周りが異様に騒がしいのに、その声がはっきりと聞こえる。

 この声は、知っている。


「私、ルカ様をこの女から解放させようと思ったのに……だから、あいつらのいうことを聞いて、見たくもない結婚式に参加したのに! どうして!!」


 背後に色んな事が起きているが、それを構う余裕なんてどこにもなかった。

 私の意識は生々しく血を流している彼の手から離れられない。


「だ、旦那様、手が、手がっ」

「これくらいは大丈夫だ。気にするな。それよりも君の安全とあの女性を……っ!」


 急に彼は黙り、手で口を押さえている。

 そして、手の隙間から大量の血が吹き出した。


「……だんな、さま?」

「っ!」


 彼は私を突き飛ばした。背中が固い金属に当たって、とても痛い。


「おいおい、ルカ、お前は奥さんに何を……」


 青い空の下に、獣の遠吠えが鳴り響く。



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