揺らぐ決意を結び直して

『とまぁ、今のがお主らをここへ呼んだ二つ目の理由だな』


 未だ呆然とする俺たちを他所に、飄々ひょうひょうとした調子で話す。だけど、目の前で起こっていたことに頭が付いて行かず、何から聞いて良いのかも分からなかった。


「そ、の……いや、全然……何がなんだか……。えっと、今のは……」

『碧蓮より聞いておったであろうが、そこな坊にりついておったのは、今より百年前に訪れた邪悪な者の残した呪いの残滓である。それをはらう為、拙僧はこの場にお主らを呼んだのだ』

「じゃあ、今ので博の呪いは……」

『無論だ。天才に不可能は無い。と、言いたいところだが、坊に憑りついておったのは、我らの住む場所とは全く異なる世界からやって来たもの。そして今拙僧が用いたのは、我らの世界で信奉される神仏のことわりを借り受けた術だ。強い力であるが故、今回は運よく祓えたが、事と次第によっては結果も違っていたであろう』

「で、でも、今はどうにかできたじゃんか‼ 次だって上手くいくんじゃないのか⁉」

『難しいだろうな。彼の者の残した呪いは強大にして狡猾こうかつ。仮に次が上手く祓えたとて、元より本質が異なるもの同士では次第に効果も薄れる。生前ならばいざ知らず、肉体が滅び、魂だけの存在となった拙僧の力では、それが限界であろう』

「肉体が滅び……魂だけの存在って……じゃあまさか、お、おっさん、ゆ、幽霊なのか⁉」

『うんまぁ、そう言って相違無いが』

「う、うわぁぁぁぁぁ⁉ な、なんまんだぶなんまんだぶ‼ どーまんせーまん‼ アーメン‼ ラーメン‼ ちゃんぽん麺‼」


 蒼蓮さんが魂だけの存在だと知るや否や、和洋折衷というか神食折衷というか、そんな例えようの無い意味不明な呪文と共に、例の土下風ヨガのポーズを取る。


『……なんだ、その珍妙不可思議な真言しんごんと姿勢は……。そも、真言で拙僧を祓おうなどと、あまりにも無礼では……。いや、最早怒る気にもなれぬわ……』


 肩をすくめ、呆れた様子の蒼蓮さん。元々顔が青白いことも相まって、げんなりとした表情を浮かべたその顔は、正に死人のように見えた。


「おい大地、落ち着けよ。お前、寺で俺に言ったじゃないか。この旅行に来てからずっとおかしなことばっかりだったって。だったら幽霊が出るくらい、そんなの今更ってもんだろ?」

「おぉ‼ それもそうだな‼」


 一秒かからずに立ち直りやがった。どれだけ単純な思考回路なんだよこいつは。そんなに早く立ち直れるなら、最初からビビってるんじゃねぇよ。


「あー……、えっと、色々聞きたいことがあるんですけど。まず博のことですが、これからどうしたら良いんですか?」

『うむ。今し方ああは言ったが、坊にかけたのは大層強い術だ。例え先の影が寄って来ようとも、明王様の結界が守ってくれる。数年の内は問題ないであろう。ここを出たなら、碧蓮にその後の旨を相談すると良い。それにな、怪我の功名というのも気が引けるが、坊がかの名状し難きものと触れたのは、この場において運が良いと言わざるを得ぬ。何せ、苦痛龍を葬り去る為に一番危惧しておったところを気にせずとも良くなったのだからな』

「怪我の光明? それに、危惧していたことって?」

『それを説明する前に、まずはこれを見よ』


 そう言うと、碧蓮さんが手を翳したその場所に、一冊の和綴わとじの本が現れた。


「それは?」

螺湮城本殿らえんじょうほうんでん写本しゃほん。かつてしんの国より伝わったとされる、邪悪な神々の事柄や、あらゆる禁忌や禁術、儀式の数々が記された古代の書物だ。これこそが、かの憎き苦痛龍を葬る為の最大の鍵となる』

「苦痛龍を葬るって……それってやっぱり、俺たちが……」

『左様。この書は強大なれど、魂だけの存在となった拙僧が使っては力を出し切れぬ。苦痛龍を葬るには正しき魂と、それを囲う堅牢な肉体が不可欠。すなわち、今この場にてお主らにしか頼めぬことなのだ』

「……俺たちが、苦痛龍を……」


 ここへ来る前、確かに俺たちで苦痛龍を倒し、村の人たちを、青瀬を助けようと決意した筈だ。けれど、あの恐ろしい存在感を放っていた苦痛龍を、大人の手を借りずに俺たちだけで倒さねばならないのだと思うと、どうしても決意が揺らぎそうになる。


『そう身構えるな。実を言えば、苦痛龍を葬る為の支度は既に九分九厘くぶくりん終えておる。お主らはただ最後の準備を整え、ここな書に記されている最後の術を唱えるだけで良いのだ』

「ふーん。でもさー、たかが本だろ? たったそれだけでどうにかなっちゃうもんなのか?」


 不安を感じている俺の隣で、緊張感の欠片も無く大地が言う。だけど、そう言われるとその通りだ。本一冊なんかで、今まで誰も倒すことができなかった苦痛龍を、本当にどうにかすることなんてできるのだろうか。


『たかがなどと、決して侮ってはならぬ。ここな書物に書かれている術の一つを紙一枚にでも記したなら、その紙は魔力を帯び、命ある生き物にさえなり得る。それ程に力を持ったものが幾枚にも数を重ねて一つの書と成っておるのだ。事実、生前この書の持ち主であった拙僧とて、この書の半分を知ることも叶わなかったのだからな』


 真剣な表情で語る蒼蓮さんを前に、俺の中に生まれた疑念は、苦痛龍とは別の不安へと変わっていた。それはどうやら大地も同じであったようで、半信半疑さを隠そうともしていなかった顔には緊張の色を浮かべている。


「それであの、最後にその魔導書を使って苦痛龍を倒すっていうのは分かりましたけれど、その前の準備っていうのはどうすれば良いんですか?」

『うむ、それはな――……ッ、くっ、やはり駄目か……。すまぬが、それを拙僧の口から伝えることはできないようだ』

「言えないって、どうしてですか?」

『三百年前、決着をつけるべく苦痛龍の元へと赴いた。しかし苦痛龍に戦いを挑もうとした折、拙僧らは苦痛龍の守護者に阻まれて敗北した。拙僧は生き永らえ、どうにか苦痛龍を封印することだけは叶ったが、敗走する折、苦痛龍の守護者に呪いを掛けられたのだ。その呪いとは“口無しの誓約”。すなわち、彼奴等きゃつらを葬る術を語って聞かせることができぬというもの。肉体が滅びた今ならば、誓約から解放されたやもと考えたのだが……』

「それってつまり、準備の方法に関する大事な部分は教えてもらえないってことですか?」

「し、しかも、苦痛龍を倒す前に、僕たちはその守護者も乗り越えて行かなくちゃならないんですよね?」

「どうすんだよ⁉ それじゃあ苦痛龍を倒すどころじゃないじゃんか‼」

『案ずるでない、手はある。さて、それでは本題に戻るとするか。靉靆の坊、こっちへ来い』


 蒼蓮さんは博へ向かって手招きする。さっきから言っていたあいたいとは、眼鏡のことなのだろうか。呼ばれた博は、俺たちに目配せをしながら、不安げな表情で蒼蓮さんの前まで歩いて行く。


「あ、あのぅ、な、なんでしょうか……」

『今からお主にこの書を託す。苦痛龍を葬る術の呪言じゅごんは坊、お主が唱えるのだ』

「そ、そそそ、そんな‼ そんな大役、ぼぼ、僕には無理‼ 絶対に無理ですよ‼」

『いや、できる。かの名状し難き黄衣の王の片鱗に触れたお主の中には、魔に通ずる術を行使するのに必要な機構が芽生えている。それは坊、お主の中にしか無いもので、苦痛龍を葬る術を使うのに不可欠なものなのだ。しかし案ずるな。この書を持ってさえおれば、何をすべきかは全てこの書が教えてくれる』

「で、でも……でも、やっぱり僕なんかには……」

「じゃあ俺がやるよ。別にそれでも良いんだろ?」

「だ、大地……」

「だってよ、苦痛龍を倒す役なんて、そんなの超かっけーじゃん‼ なぁ博、だから俺にやらせてくれよ」

「う、うん……大地が良いなら、勿論、僕は――」

『いや、それはならん』

「な、なんでだよ⁉ 俺の国語の成績が悪いからか⁉」


 なんて、相も変わらずすっとぼけたことを言う大地。さっきから事ある毎に真剣な空気をぶち壊しにしてるのだが、恐らくこいつはいたって真面目に発言しているつもりなのだろう。何故なら、誰が聞いたってふざけているとしか思えないアホ丸出しな発言をした今も、こいつの顔は真剣そのものだからである。


『いや、そうではない。そうではないが……どうにも拙僧はお主のことが心配でならん……。んん! 良いか、魔の術とは元来心身に負担がかかるものなのだ。それこそ苦痛龍を葬る為の大掛かりな術ともなると、生半なまなかなことではない。しかしそこな坊の中には、術を行使する為の機構が芽生えておる。それは言い換えるならば、術の反動に対する耐性。大がかりな術を行使するともなれば、尚更にだ』

「でも……‼ …………、もし、それでも俺がやるって言ったら?」

『死ぬぞ』


 蒼蓮さんは短く言い放つ。けれどその言葉は今までのどれよりも重たくて、それが俺たちに包み隠しようの無い事実であることを告げているようだった。


『これはお主ら三人が一人も欠けることなく元いた場所へ帰る為に決して避けて通れぬこと。もしも坊の中に術の機構が芽生えておらなんだら、誰か一人が犠牲になっておったであろう。友を思えばこそ、考える余地など無いのだ』


 蒼蓮さんの言っていることは至極真っ当だ。俺や大地が術を使ったなら死ぬ。ならば、俺たちがその役を担う必要なんて無いだろう。けれど、大地はともかくとして、もしも俺が博の立場が逆だったなら、苦痛龍を倒すのに一番重要な役割を押し付けられたなら、はい分かりましたと即答なんてできやしないだろう。


 必要だから仕方ないとか、俺たちにはできないからやるしかないとか、そういうことじゃない。博のことを思うと、そんなこと絶対に――。


「僕がやるよ」


 できる筈がない。そう思った瞬間に博が口を開き、ハッとして俺は顔を上げる。すると、今まで怯えた顔をしたいた博の表情からは、何か強い決意のようなものが感じられた。


「博……?」

「ずっと、思っていたんだ。この旅行に来てから……ううん、本当はその前からずっと、僕は二人の後ろの隠れてばかりで何もしてこなかった。二人はいつも、何も言わずに僕を助けてくれていたのに……。だから今度は、ぼ、僕が二人を助ける番なんじゃないかな」

「……――ッ‼ な、何言ってるんだよ! 森の中、化け物に立ち向かって、動けなくなった俺を助けてくれたのは博じゃないか!」

「そうだぜ‼ それに、寺で苦痛龍を倒そうって最初に言い出したのだって博だったじゃんか‼ なのにそんな、何もしてないなんて言うなよ‼」

「隼人、大地、ありがとう。でもそれは多分、僕の、本当の僕の意志でやったことじゃなかったんだと思う。実はここへ来るまでずっと「苦痛龍を倒せ、苦痛龍を倒せ」って、僕じゃない何かがそう耳元で話しかけてきていて、僕はただそれに従っていただけだったんだ。だけど、今は違うよ。苦痛龍を倒して、村の人たちやしゅうちゃんを助けたいって思うし、全部終わったら三人で家に帰って、残りの夏休みを精一杯遊んだら、最後はちゃんと笑ってお別れをするんだって、僕自身が考えてそうしようって決めたんだ」

「「博……」」

「だからね、さっきは驚いて大地に任せちゃいそうになったけど、僕がやるよ。それにほら、僕、大地と違って国語は得意だからさ」

「ひ、博お前ぇ‼ お前まで俺をアホだって言うのかよ⁉」

「確かに。大地がやるより、博がやってくれた方が安心だよな」

「そうでしょ?」

「な、なんだよお前ら二人してよぉ‼ そんなの、人面・・侵害ってやつじゃねぇのか⁉」

「人権侵害だろ、アホ大地」

「ねぇ大地」

「うっ……。…………、うー……うぅぅぅ~……」


 真っすぐに大地の目を見据える博。すると大地は唸りながら大げさに考える素振りを見せた後、納得したような顔をして言う。


「うん‼ ま、しゃあねぇか‼ 本当は俺がヒーローになるチャンスだと思っていたけど、今回は博に譲ってやるよ‼」

「うん、ありがとう大地。あっ……で、でも、ど、どうしよう。なんか、そんな大役をやるんだって思うと、す、凄く不安になってきちゃった……」

「大丈夫だ‼ 俺も隼人もいるぞ‼ 俺たちは一人じゃねぇ‼ だから安心しろって‼ な、隼人?」

「……だから、お前はいちいち恥ずいんだって」


 大地の肩を小突いて、緩みそうになる口を固く結びながら、これからのことを考える。責任の重圧。失敗したらと思う度に頭を過る焦燥しょうそう。苦痛龍に対する恐怖。そんなものを前にして、不安じゃない訳がない。だけど、勇気を振り絞ってみせた博や、俺たちは一人じゃないという大地のその言葉を前にして、俺の胸の中で恐怖に負けないだけの勇気が湧いてくるのを感じていた。


 ただ、それと同時に――。

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