第8話 謎の人、料理がとっても得意みたい

 どういう参拝客なのだろう。そう思った三秒ほど後、ルネの全身に羞恥が回ってきて、急いで顔をそらした。


 ——男の人が着替えてるじゃない!


 衣擦きぬずれの音だけが聖堂の天井に高く響く。

 気づけば叔母はその場から離れていた。性格が常人と異なるとはいえ、そういう良識はあったらしい。


 ——わたしの良識が、配偶者持ちの人を気持ち悪いくらい追いかけ回してついには奪った叔母さまに劣っているって……!?


 ルネはさらに恥ずかしくなり、逃げ出さなければいけないところを、足から崩れ落ちてしまった。って聖堂の外に出ようとする。


「何をしておるのだ……?」


 男の、呆れ返った、つややかな低音の声がルネに降ってくる。

 振り向けば、男はところどころに飾りのついた白く端正な軍服に完璧に身を包み終えていた。表情を困惑の色に染めて。だが、そのあとに得心とくしんがいったように苦笑し、


「私のねやにでもはべりたいのか? すまぬが、子供を相手にする趣味はなくてな」


 と結論づけた。

 ルネは目を丸くし、思わず訳のわからない言葉を発してしまった。


「はうはうぴー!?」

「呪文か?」


 直後、ぐう、とルネのお腹がなる。


「子供は食いの方か」


 男は頭一つ分小さいルネの頭をでた。まるで義理の姪のように。


「あのひとの姪とのことだが、いくつになる?」

「十七です……」

「その歳で神聖騎士。ずいぶんと優秀だな」

「優秀なんかじゃないです、絶対、決して」


 アルギュロスに言われたことを思い起こし、ぶんぶんと首を横に振る。


 ——お前、いらないんだよ。


 まわりに慰められても、「いらない」と存在を否定された心の空洞感は埋めようがなく。ただただそのぽっかりと空いた洞窟の中に風が吹きすさぶ。森林の奥にあって、自分しか見つけることができないのに、自分の力ではとうてい塞ぐことのできないような、洞窟がある気分だ。


 良識はあったリュディヴィーヌが顔を出して、「あら!」と微笑んだ。


「私と姪はこの後昼食をとる予定ですが、殿下もご一緒に?」


 男はサファイア・ブルーの瞳をきらりと光らせた。


「ああ」


 少々食い気味に言っている。


 ——おや?


 ルネは叔母とうるわしい男を見比べた。少しだけにんまりとするが、勘違いだといけないから、思い浮かんだ考えは心の中に秘めておく。


 白亜の空間だった聖堂から出て、ルネたちは聖女が普段住まう聖堂の奥の館へと、聖堂と館をつなぐ庭の飛び石に沿って赴いた。

 よく手入れされた素朴な庭が愛らしい。叔母が世話をやっているとはまったく思えないから、きっと聖女である叔母に仕える巫女たちがやっているのだろう。


 叔母の館に着くと、すでに厨房で巫女たちが昼食を作ろうとしていた。白身魚が手に入ったとのことで、それをさばこうとしていたが——。

 叔母が厨房にずんずんと向かった。手を胸に当てて体をそらす。


「いいのよ! 今日は私が、ルネのために料理を作るから!!」


 一同血の気が引き、騒然とした。

 どうやら叔母の料理が人知を超えた異様なものであることは、巫女の皆さんには知られているらしい。

 ルネはおもわず叫んでいた。


「イヤーッ!」


 男も叫んでいた、「待ってくれ!」と。


「私が料理を作る!」


 貴人なのだろうに、料理が作れるのだろうか。彼は荒ぶる叔母を抑えて、厨房に向かっていった。


 さっきまで死の呪いをその左肩に負っているのを見せていたはずの男は、キャベツや人参にんじんなどをすぐに見つけ出し、手際よく包丁で切りそろえた。そのあと、やはり手際よく魚をさばいていく。

 野菜を炒めたあとに、切った魚とともに煮込み、調味料で味を整えた。

 すぐに魚のポトフが出来上がった。

 ルネはその手さばきに「おお……」と素直に感動する。


「兄がぼっしてから、暗殺対策としてある程度の食事は自分で作るようにしていてな」

「暗殺対策……?」


 ルネが叔母のほうを見やった。説明を求められているとわかった叔母は、説明にならない説明をした。


「うん、この人は兄君が崩御ほうぎょなされてから大変だと思う」


 崩御、という言葉は皇帝や皇后に使う言葉だった気がするな、と思いつつ、ルネは相変わらず説明が苦手な叔母にあきれ返る。この人に説明を求めてはいけなかったな、と後悔した。

 男が「リュディヴィーヌ……」と心が震えているように舌に叔母の名前を乗せ、ぼんやりと叔母を見ていた。そのサファイア・ブルーの瞳に熱がこもっている。


 ——おや?


 ルネは再び叔母と麗しい男を見比べた。少しだけにんまりとするが、勘違いだといけないから、思い浮かんだ考えはまた心のうちに秘めておく。

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