第十話 浅瀬船中学校④

 北棟。

 理科室の鍵を開けて中に入る。標本資料置き場は理科室の更に奥、準備室にあって、そこにも鍵が掛かっている。


「うわっ、ほんとに標本が……いっぱい……」


 菅原の怯え声のスパンが短くなりつつある。初めて会った時からこうなんだ、菅原は。怪異や、不気味なものが苦手。先日錆殻邸で起きたような、明らかにもうどうしようもないような異常に対しては面と向かって戦いを挑むけれど、さっきみたいな黙って歩いているだけの幽霊とか、ともったり消えたりする電灯といった小さめの怪奇現象は、市岡凛子さんの言葉を借りるならば『不得手』としている。

 そして今。虫の標本からどこかで発掘されたと思しき化石、それに、おそらく動物の骨といった様々な物理的資料が納められている棚の前で菅原は盛大に途方に暮れている。


「菅原、ここ見るの嫌だったら校庭見張っててくれる?」

「うう……すみません坊ちゃん……あっでも廊下がまた明るいですねぇ……!?」

「それはもう諦めようよ」


 始まっちゃったんだから。

 僕と菅原のどうしようもないやり取りを他所に、市岡凛子さんは棚の中身を片っ端から取り出している。床の上に積み上げられる標本箱や小瓶を踏まないように気を付けながら、僕は市岡凛子さんの隣に立つ。


「骨を探しますか」

「そうだね、骨は骨なんだけど……」


 市岡凛子さんは眉根を寄せながら標本箱を手に取り「違うな」と呟いて床に置いている。爽谷先輩たちが作った七不思議によれば、ここには『悪魔から逃れられなかった生徒の遺骨が納められている』ということなのだが。


「市岡さん」

「はい?」

「実は僕、ここに来る前に連絡を取ったんです」

「誰に?」

「浅瀬船中学校七不思議を作るのに手を貸した『』さんに」


 市岡凛子さんが右眉を跳ね上げるのが、薄暗がりの中でも分かった。


「先方は、何て?」

「ええと──」


 爽谷先輩の名前を出しそうになって、少し迷う。言わない方がいいかな。いいよな。。軽率に個人名を出すのは良くない。


「この学校の過去の在校生で、いじめに遭っていた人が、何の対処もしてくれなかった学校への仕返しとして『七不思議』を作って拡散したいって相談した相手がSNSでの有名人だった『怖い話蒐集家』さんなんですけど」

「うん。その話は少し聞いた」


 誰に聞いたんだろう。響野憲造かな。


「七不思議を作るところまでは手伝って、それを拡散するのは任せてくれってその元在校生……当時は高校生の女性に言って」

「うん」

「で、拡散したスクショとかを送って、それで完結ってことにしたんですけど」

「うん」


 市岡凛子さんと僕の足元には、標本箱が山のように積まれている。この棚の中にこんなにたくさん入るか? って不安になるぐらい、大量に。


「でも、拡散、しなかったらしいんです」

「……うん?」


 SNSで『怖い話蒐集家』さんを見付けて、メッセージを送って連絡を取った。錆殻光臣の甥だと身元を明かし、浅瀬船中学校で七不思議を起因とする奇妙な事象が起きている旨伝え、何か知っているなら教えてほしいと頼んだ。先方は、親切な人だった。僕のメッセージを疑う素振りもなく「いじめ事件に関してはひどいと思っている。何か協力できることがあるならどんな情報でも提供する」という旨の返信をくれた。

 その後、作成に関わった浅瀬船中学校七不思議について説明してくれた。もともとこの学校には、七不思議ではないけれど、幽霊が出るという噂はあった。あまり有名ではないだけで、大空襲で焼かれた土地に学校を建てる際まともに神事を行わなかったことが原因ではないかと言われており、『怖い話蒐集家』さんが蒐集した怪奇現象の中には夜の学校で幽霊、のようなものを見た、という話や、職員室、それに用務員室を中心に人の泣き声のような響きを耳にしただとか、歩いていたら地面から手が伸びてきて足を掴まれた、などというエピソードが山ほどあるのだという。

 だから、「学校に仕返ししたい。助けてほしい」というメッセージを受け取った際、七不思議に組み込もうと決めたのだと、『怖い話蒐集家』さんは言った。


「理由は?」


 標本箱を片手に持って振りながら、市岡凛子さんが尋ねる。


、とメッセージには書いてありました」

「なるほど」


 とても、と標本箱を開けながら市岡凛子さんは呟いた。


「良識のある人ね」

「同感です」


 市岡凛子さんが抱える標本箱の中には、小さな骨が入っていた。だが、人間の骨ではない。小さすぎる。


「私も調べてきたの。この学校の卒業生から話を聞いて」


 骨をつまみ上げながら、市岡凛子さんは呟いた。


「この骨、卒業生の女性がずいぶん可愛がっていたウサギの骨なんですって」

「は……!?」


 ふところから取り出したハンカチで手早く骨を包み、市岡凛子さんは続けた。


「彼女もひどくいじめられていて。生徒だけでなく、教師も一緒になって嫌がらせをしてきてね。ある時、理科の授業に出席を強要され、その日クラスで飼っていたウサギを解剖するってことになって」


 最悪だ。

 何がって、人間が。

 この学校には、腐った人間しか集まらないのか?


「メスを握らされたことが原因で、彼女は完全に心を壊した」


 返す言葉もない。


「それで不登校になって、そのまま引きこもりになって、で、ある時SNSのコミュニティで自分と同じようにいじめに遭ったアカウントを見付けたんですって。それでお互いの辛い経験を吐露し合うあいだに、学校に仕返しをしたい、という気持ちが募って──」


 爽谷先輩の言葉を思い出す。SNSで知り合った、今でも交流のある同世代の友人が「学校に仕返ししよう」と言い出して、七不思議を作ることにしたって。


「私の目的のひとつは、この骨を回収すること」


 和装のふところに骨を抱え、市岡凛子さんは微笑んだ。


「彼女の心残り」

「……っすか」


 碌でもない。碌でもないが。


「つまり、七不思議四つ目の『悪魔から逃れられなかった生徒の遺骨が納められている』っていうのは」

「そう。彼女が頼み込んで入れてもらったみたい。の骨が、資料標本置き場に積まれているから──って」


 では、これで理科室にもう用はない。足元にうず高く積み上がった標本箱をそのままに、僕と市岡凛子さんは廊下を見張る菅原の方に戻る。


「菅原、何も……」

「ありありのありですね! ご覧ください坊ちゃん!」


 涙声の菅原が指差す先では、校庭をうろついていた鬼火が徐々に校舎に近付き……いや、違う。校舎こっちじゃない。あれは。



 市岡凛子さんが呟いた。


「行きましょうか。分別のある大人が敢えて七不思議に組み込まなかった場所に」


 意識不明の苅谷夜明さんが発見された、用務員室に。

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