第二章 聖人とけだもの

第一話 私は絶対悪くない/犬ごっこ

 うちのクラスでは、『』が流行ってた。


 『犬ごっこ』っていうのは……書いてあるそのまんまの遊びで、誰かが誰かの私物を投げる、「取ってこい、ポチ!」って言う、ポチって呼ばれた人(大抵は私物を投げられた人)がそれを持って戻ってきて「ワン!」って言うだけの遊び……別に誰のことも傷付けてないじゃん。何も悪いことなんかしてない。


 でも、『犬ごっこ』が嫌いな生徒もいた。生徒会役員に立候補しようとしてた宇田うだとかは典型的ないい子ちゃんって感じで「犬ごっことか」じゃん」って言って、自分の私物を投げられたらマジでキレてた。ダッサ。


 けど、ダサいより迷惑なのが苅谷かりや夜明よあけみたいなタイプだった。転入してきてすぐ、苅谷は『犬ごっこ』に巻き込まれた。っていうか……季節外れの転入生をクラスの遊びに参加させて、仲良くなろうとしただけじゃん? うちらが何したっていうの? 苅谷夜明は自分の私物に触られるのをものすごく嫌がった。ペンケースを手に取ろうとした小林の手をすごい勢いで引っ叩いて「さわらんといて」と吐き捨てた。あの時からだと思う。苅谷夜明ってキモいよねっていう……そういう雰囲気になったのは。


 苅谷夜明は自分の持ち物を触られるのをものすごく嫌がったけど、『犬ごっこ』のことも嫌ってた。というのも、遠藤が加藤かとうの化粧ポーチを投げた時だったかな。そもそも化粧ポーチ自体が学校には持ち込み禁止なんだけど、加藤はすごく落ち込んでて。なんか、新しいリップが入ってたんだって。そうしたら苅谷夜明がいきなり席を立って、化粧ポーチを拾って加藤に渡して、それから遠藤に向かってこう言った。「あんた、ほんまに」。

 、っていうのが方言で「みっともない」とか「カッコ悪い」って意味だって知った遠藤はブチギレてて、次の日、苅谷夜明の椅子に「」って書いた張り紙をしてた。マジウケた。でも苅谷夜明は──


「字ぃも汚い、ふうが悪いなぁ」


 とだけ言って、紙を教室の隅にあるゴミ箱に捨ててた。

 だからさ、ねえ、分かるでしょ? 先に感じ悪かったのは、あいつ。苅谷夜明なんだって。

 それなのに、どうして私たちが『いじめ』をしたってことになってるの? 何もしてないんですけど。化粧ポーチを拾われた加藤だってぶっちゃけ迷惑がってたよ。苅谷に関わると……その……って。え? 私じゃないよ。男子のことだよ。小林とか、遠藤とか、西林とか。特に西林はサッカー部で体も大きくて、キレるとすぐ机を蹴ったりするし、仲良くてもヤバいなーって思うこと結構あったし。


 苅谷夜明を夜中に学校に呼び出したのは私じゃない。美樹みきだ。でも私はそれを言わなかった。美樹はだって……幼馴染? だし。黙っておいてあげてもいいかなって。それで、苅谷夜明がなんか事故に遭って、それが自殺未遂らしくて、意識不明で入院してるって聞いた時は……美樹とふたりで笑っちゃった。だってあいつ、あんな偉そうにしてて結局無理だったってことじゃん? 弱っちいってことでしょ? 苅谷夜明、あいつがいちばん『ふうが悪い』よ。


 なのに──なのに。

 

 ずっと。

 苅谷夜明が入院した日からずっと、部屋の天井、右側の隅っこから悪魔が覗いてる。


 尖った耳、鋭い牙、長く伸びた舌。ヨダレを垂らしながら、ハアハアって息を吐いてこっちを見ている。時々私の顔をじっと見て、「沙織さおり」って呼ぶ。キモいし、怖い。ママには悪魔は見えてない。


 なんで。私は絶対悪くない。それなのに。

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