第七幕

 私とアリスが龍彦さんの部屋から出ると、廊下の角から海円さんと和真と美月が駆けてきた。

 言葉を交わす余裕はない。私は閑奈の部屋の扉を開けた。

 そこにはうつ伏せになってぐったりと倒れる閑奈と、瞳孔の開いた目を見開いて倒れる卯月さんの姿があった。

「お母さん!」

 美月が部屋の中に入って駆け寄る。彼女を止めようとして腕を伸ばすも、間に合わなかった。

「お母さん、どうして……どうして」

 手遅れなのは明らかだった。卯月さんの遺体に縋りついて泣きじゃくる美月に対し、殺人を止められなかった己の不甲斐なさでほとほと嫌になる。

 私は閑奈に近づく。首には生々しい手の跡が残っている。手の大きさからして卯月さんのものである事は明らかだろう。正面に四指の痕が来ている事から背後から首を絞められたらしい。

 もしや手遅れだったかとヒヤリとしたが、息はある。どうやら気を失っているらしい。幼い命が奪われなかった事に安堵のため息を漏らした。

 閑奈が目を覚ませば何が起きたか聞くことができるだろうが、状況から推測するに、閑奈の首を絞めて殺害しようとした卯月さんが彼女の兄たちと同じ末路を辿ったのだろう。

「アリス。現場の撮影は終わったか?」

「ハイ」

 私は床に転がったフランス人形を人形用の椅子に座らせながら指示をだす。

「アリス、閑奈ちゃんをベッドに寝かせて、そのまま付き添ってあげてくれ。海円さん、目を覚ました時に自分の部屋に遺体があるままだと閑奈ちゃんが可哀想なので、卯月さんの遺体を彼女の部屋に運ぶのを手伝ってください」

「わかりました」

 泣きじゃくる美月さんを和真君が遺体から離し、私と海円さんで遺体を持ち上げる。まるで重い肉袋のような感触に肌が粟立つ。死体に触れるのはいつになっても慣れるものではない。

 さりげなくアリスが卯月さんの首元に触った。私にしか見えない角度でペロリと指を舐め、こちらを見て頷いた。寅吉さんや亥久雄さんの殺害に用いられたものと同じ毒だという意味だろう。

 廊下を渡り、卯月さんの部屋に入って遺体を畳の上に下ろす。海円さんが数珠を取り出し、お経を唱えた。

「海円さん、俺たちが広間を出た後に一体何があったんですか?」

 お経が終わるのを待って私は尋ねた。

「あの後、閑奈殿がエミリアを取りに行きたいと言い出したのです」

「エミリア……ああ、いつも抱いているフランス人形ですか」

 そういえば先ほど広間に集まった時、彼女はフランス人形を抱いていなかった。

「七崎殿が単独行動を控えるようにと仰っていたので、卯月殿が彼女についていくと言い出し、二人で広間を出て行かれました。拙僧と美月殿と和真殿で広間で待っていると、とつじょ悲鳴と暴れるような物音が聞こえたので、広間を出て駆けつけた次第です」

「どうしてよりによって卯月さんを連れて……」

「よりによって……何か問題がありましたかな?」

「いえ、その……」

 ここにきて、寅吉さんと亥久雄さんが閑奈を殺そうとしていた事実を伏せていた事が仇となった。兄二人が閑奈を殺害しようとしていたので、妹も同じ事を考えている可能性は十分にあったのだが、それを伝えるわけにもいかず、こうして事件は起きてしまった。

 私の見込みの甘さが招いた結果に、歯噛みする。

「ところで七崎殿とアリス殿は何をしていらしたのですか?」

「ああ、それは――」

 私は龍彦さんの部屋を調べていた事、そして隣の部屋から物音がして慌てて部屋を出たことを語った。こうして物事を整理すると、私とアリスは一緒にいたからアリバイがあるし、海円さん、和真、美月も一緒にいたからアリバイがあるわけである。つまり、全員にアリバイがあるのだった。

 密室とはまた別の不可能殺人。アリバイトリックである。

「広間でこれ以上殺人が起きないようにするとか言っておきながら、ほんの数十分後にはこれです。自分の無力さに、腹が立つ」

「七崎殿。自らを責めるのはお辞めなさい。真に責められるべきはこのような鬼畜の所業をした犯人です。尊公がその業まで背負う必要はありませぬ」

 優しく労わるような声色。相変わらず、海円さんの言葉は心に染みる。

「ありがとうございます。ただ、どうしても考えてしまいます。もしここに俺の尊敬する探偵がいたのならば、未然に事件を防いで……或いは寅吉さんが亡くなった時点で犯人を見つけ出して、ここまで事態を悪化させることはなかったんじゃないかなって」

「ほう。七崎殿の尊敬する探偵ですか」

「ええ。如月伽奈という名前の探偵です」

 私の脳裏に、ほにゃっとした笑顔と凛々しい表情が同居した探偵の顔が浮かぶ。

「彼女は事件解決の為に、とにかく最善を尽くします。犯人をみんなの前で暴くことよりも、みんなの安全を優先していました」

 俺も彼女のように、事件解決のために最善を尽くせる探偵になりたい。その一心で頑張ってきたのだが、うまくいかないものである。

「それはそれは、立派な御仁ですな――ただ今回、事件を防げなかったのは、七崎殿の無力さが原因でしょうか」

 海円さんの声色が変わる。

 どこか安心感を与える喋り方が、急に冷徹になる。

「どういう、意味ですか?」

 眉を顰めた私に対し、海円さんが眼が細める。

 柔和だった目元からは想像もつかないような、厳しい眼光を放っている。

「拙僧は――尊公こそが犯人ではないかと疑っているのです」

 あまりに衝撃的な発言に、何を言われたのか一瞬、理解が追いつかなかった。

「海円さん、それは一体どういう……」

「犯人というより共犯ですな。もしも拙僧が間違っていたのならば、どのような批判も甘んじて受け入れます。しかしながら、密室を作ることができたのは誰かと考えた時、拙僧は尊公しかいないと思ったのです。そもそも、現場は本当に密室だったのでしょうか?」

「それは……」

 そこまで言いかけて気がついた。密室である事、中に誰もいない事を確認したのは、私とアリスしかいない。

 海円さんからすれば、現場が本当に密室だったのか判断を下すことができないのだ。

「実は部屋の中に犯人がいたにも関わらず、見て見ぬふりをして誰もいないと虚言を弄した。これだけで密室は完成するのです。そして、寅吉殿の場合も亥久雄殿の場合も、現場を調べたのは七崎殿でした。拙僧の先ほどの考えが正しければ、現場を密室にできた――否、密室だと証言できたのは尊公だけなのです。拙僧とて無闇に疑いたくはありませんが、子供達の身を守らねばならぬ状況故、お許し願いたい」

 私は何も言い返せなかった。

 海円さんの推理は証拠が無く、あくまで推測でしかない。しかし、この場合は推測だけで十分なのだ。

 証拠という言葉は法廷でのみ通用する。推定無罪や悪魔の証明という言葉も同じだ。なぜならばこの状況では、疑わしきは罰する覚悟でないと、自衛できない。

 子供達を守るためならば、多少強引でも疑わしい人物を追求するしかない。

 もっとも、犯人の疑いをかけられる事 経験はそうそう無い話ではない。ミステリ小説で探偵イコール犯人は意外性があるだろうが、現実ではそうはいかない。殺人鬼に怯える者達からすれば探偵など得体の知れない存在であり、疑うに足る人物なのだ。

 自分が犯人でない事は私がよくわかっているのだが、それを他人に証明することが困難である事も、私はよくわかっている。

 普段ならばこの手の嫌疑は無視するのだが、この館に残っている人物は私と海円さんと、あとは子供達と機巧人形達である。

 いざという時に頼りになるのは、もはや海円さんだけなのだ。

 そうでなくとも、彼は頼りになる人物なので、できれば反目する事は避けたい。

 ……いや、もはや認めざるを得ない。私は飄々としているがどこか韜晦的なこの僧侶を尊敬しているし、好感も抱いている。彼に嫌疑を向けられている事自体が、私は嫌なのだ。

 だから、私は身の潔白を証明する。

「海円さん。確かに俺ならば密室を作る事は容易でしょう。しかしあなたは動機を無視している」

 僧侶は首を横に振る。

「七崎殿がなぜ寅吉殿に手をかけたかは拙僧は窺い知る事はできませぬ。しかし、元より人の心の内を暴く事は……」

「いえ、殺害の動機ではありません。密室の動機ですよ」

「密室の動機……?」

 海円さんが眉を顰める。思えば飄々としたこの僧侶が困惑する姿を初めて見たかもしれない。

「ええ。海円さんは「密室を作れるの誰か?」という疑問に解答は出しましたが、「なぜ密室を作ったのか?」という疑問は放置したままなのですよ」

 海円さんには言っていなかったが、如月探偵は密室トリックに挑む事はなかった。なぜならば、トリックを暴いたところでそれが誰にでも行えるものだった場合、犯人特定の手がかりにはならないからだ。

 時にはトリックのタネを暴くことではなく、トリックを使わざるを得ない動機を暴く事こそが犯人特定の近道になる事もある。推理小説の大御所も、逆立ちしたまま人を殺す話は、どうやって逆立ちしたまま殺したかだけでなく、なぜ逆立ちして人を殺す必要があったのか。までが謎だと言っているのだ。

「あなたの推理通りならば、屋敷に他に犯人がいて、彼か彼女が寅吉さんを殺害後、現場を密室にして部屋に隠れ潜み、後から俺が誰もいなかったと偽証した。という事でしょう」

 アリスの腹立つ猫耳によって他に犯人がいない事はわかっているが、それを海円さんに証明する術はないので、これは反論材料に使えない。

「けれど、もしそんな事をすれば海円さんのように俺を疑う人間が現れる危険性があります。なんなら現場が密室となれば俺の他に、中に犯人が潜んでいないかと疑って自ら調べる人間が現れてもおかしくありません。そんな危ない橋を渡るくらいなら、密室なんて作らずさっさと現場から逃げ出せばいい。なんなら俺という共犯者を得る必要するありません。わかりますか? 密室を作る必要性が全くないのですよ」

「それはそうですが……しかし何らかの事情があり」

「それならば、その事情を説明してください。密室を作る手段はそれこそ他にも「何らかの方法」があります。それを無視して俺が可能な方法だけを追求しているにも関わらず、その理由については何らかで考慮しないのは理屈に合いません」

 海円さんは何か考え込むかのように懊悩し、やがて頭を下げた。

「申し訳ありません。七崎殿の言うとおり、私の述べた方法では密室を作る必要がないばかりか、自らの立場を悪くするだけの悪手。どうやら拙僧は迷妄しておりました。如何なる批判をも受け入れる覚悟です」

 私は海円さんからの疑いが晴れた事に安堵する。

「頭を上げてください。あなたが仰った通り、子供達の安全を守るために必死にならざるを得ない状況です。それに、やはりあなたが仰った通り、真に責められるのは、このような状況を作り出した犯人ですから」

「かたじけない。拙僧も協力は惜しまない故、一刻も早く犯人を見つけ出しましょう」

 そう言って頭を上げた。

 スマホに着信が入ったのはその時である。

『ソウジさん。カンナちゃんが目を覚ましマシタ』

「ああ、すぐに行く」

 私はスマホをしまい、海円さんと共に閑奈の部屋に戻る。

 部屋の中にはベッドから半身を起こした閑奈とアリス、泣き腫らした美月と俯く和馬がいた。

 館に生き残った人間達が、今ここに揃っていた。

「閑奈ちゃん、話はできるか?」

 虚ろな目をした閑奈が私を見、ついでアリスを見る。まるで会った当初に戻ってしまったかのような様子に、相当ショックな出来事が起きた事が伺える。

 それでも健気に頷き「うん。大丈夫」と答えた。

「ありがとう。それじゃあ海円さん、俺たちは閑奈ちゃんから話を聞くから、美月ちゃんと和真君を連れて広場に戻ってもらええますか?」

 しかし私の言葉に美月が拒絶を示す。

「ちょっと待ってください。私も話を聞きたいです。お母さんがどうしてあんな事になったのか、知りたいんです」

「やめておいた方がいい。俺が想像するに、美月ちゃんにとってあまり気持ちのいい話じゃないかもしれない」

「私だって子供じゃないんです。覚悟はできています」

「十九歳は子供だろう」

 美月の顔が青ざめた。

「……どうして私の年齢を知ってるんですか」

「いや、ストーカーってわけじゃなくてだな。探偵なんだから関係者のデータは事前に把握しているんだ」

 本当は一昨日アリスに聞いただけなのだが。

「冷静に考えると探偵って、やってる事はストーカーのそれですよね」

 ボソリと和真が呟く。私の立場は悪くなるばかりであった。

「とにかく、十九歳はまだ未成年だろう。子供には辛い話かもしれないし……」

「あの、十九歳はれっきとした成年ですよ」

 和真の言葉に、私はフリーズする。

「……そうなのか?」

「ハイ。2022年4月1日から成年の年齢が18歳以降に変更されマシタ」

 全然知らなかった。いや、仕事柄ニュースはよく観るし新聞も読むから成年の区切りが変わるという話は聞いていたのだが、既に変わっていた事には気が付かなかった。

 子供がいない独身男は、この手の話に全く興味を持つ必要がないので、聞き流していたらしい。

「なんてこった、じゃあ今の子供達は酒や煙草も十八歳になったら解禁されるのか」

「いえ、それは引き続きハタチからデス」

 お国は相変わらず喫煙者に厳しい。

「とにかく美月ちゃん。君はまだ母親を失ったショックが残っているように見える。冷静な判断ができない状態で話を聞くべきじゃない。一旦落ち着いてから話を聞いたほうがいい」

「……わかりました」

 不承不承といった顔で美月は頷く。

「海円さん。二人の事をお願いします」

「お任せあれ」

 三人が出ていき、私とアリスと閑奈が残った。

「それじゃあ閑奈ちゃん。話を聞かせて欲しい」

「うん……わかった」

 閑奈は声を震わせながらも、我々に話を聞かせてくれた。

「エミリアを取りに部屋に戻ろうとしたら、卯月叔母さんがついてきてくれたの。単独行動をするなって七崎さんが言ってたから。それで部屋に入ったら、卯月さんが話しかけてきて……」

 そこで言葉が詰まり、絞り出すように言葉を紡ぐ。

「私が、犯人だって、言ってきた。寅吉叔父さんも、亥久雄叔父さんも、私を殺そうとしていたんだって。だから、私が、自分が殺される前に、二人を返り討ちにしたんだろうって」

 私は額に手を当てた。とうとう、バレてしまった。まさか卯月さんの口から漏れるとは。

 卯月さんはあらかじめ知っていたのだろうか……いや恐らく後から知ったのだろう。思い返せば、事情聴取に来た時様子がおかしかったが、あれは部屋に来る前に寅吉さんの部屋に寄って遺体の状況を見て、彼が閑奈を殺害しようとしている事に気がついたのだろう。亥久雄さんに関しては遺体のそばに転がっていたビンとロックさんの話ですぐに気づいたのだろう。だから卯月さんの様子がおかしくなったのだ。もっとも、それは自分の兄二人が姪に手をかけようとしている事実を恐れたからなのか、少女が殺人を犯したという事実に気付いたからなのかは、彼女が亡くなった今、永遠にわからない。

「私、怖くなって逃げ出そうとしたら、腕を掴まれて押し倒されて……後ろから首を絞められて、気が遠くなって」

 そこまで言って嗚咽を漏らし、泣きじゃくる。アリスが彼女の肩を抱きしめる。

「そこで卯月さんが何者かに殺害され、その後に俺たちが入ってきたわけか。ありがとう、閑奈ちゃん」

 私は立ち上がると、扉に手をかける。

「どこに行くんデスカ?」

「考えを纏めたい。アリス、閑奈ちゃんを頼んだ」

 ドアノブを回そうとしたところで、閑奈が私を呼んだ。

「七崎さん。叔父さんたちは、本当に私を殺そうとしたの……?」

 私はなんと答えるべきか迷い。

「本人達が死んでいる以上、その答えを知るすべは永遠に失われた」

 そう誤魔化すのがやっとだった。

 閑奈の部屋を出、隣の龍彦さんの部屋に入る。

 パソコンの前の椅子に深く腰をかけて背もたれに体を預ける。なかなか座り心地がいい。うちの探偵事務所の所長椅子として導入するのも悪くない――生きて帰る事ができればの話だが。

 最初の殺人は完璧な密室だった。容疑者達は全員アリバイが無く、とっかかりが何もない状況だった。

 二回目の殺人も密室であり全員にアリバイが無かったが、二つの手がかりがあった。無意味に開いた窓と、外されたネクタイ。だがこれだけでは何もわからなかった。

 そして三回目の殺人。今回は前回の事件の裏返しのように、現場は密室ではない代わりに、今度は全員にアリバイがあった。

 毎度毎度、こちらを嘲笑うかのように不可能犯罪を仕掛けてくる。

 このまま犯人の正体がわからなければ、我々は全員殺されかねない。

 自分が死ぬ可能性を考えると、今までの人生が記憶の中から気泡のように浮かび上がってくる。物心がつき、小学校に入学し、弁一と出会い、一緒に孤島の館に行き、如月探偵に出会い……あれから二十年。色々な事があった。

 机の上に灰皿があったので、私は煙草を取り出して火をつける。

 私は紫煙をふかし、探偵になってからの事を思い返していた。

 探偵になった当初は、当然の如く浮気調査と人探しの毎日だった。

 来る日も来る日も対象を尾行し、バレないよう気を遣い、張り込みをして写真を撮り、聞き込みをし……。探偵を始めたての頃は尾行にバレたり対象を見失ったりする事が多かった。写真を撮ってもブレが酷かったり顔がはっきりと見えなかったりで、張り込みの苦労が水の泡になった事も両手の指では数えきれない。

 そんな苦労ばかりの毎日だったのに、探偵をやめなかったのは、如月探偵みたくなりたかったからだ。

 私はニュースや新聞を読んで未解決の殺人事件の記事を見るたびに、心が痛んだし、悔しかった。なぜ自分はその場にいる事ができなかったのだろう。もし自分がいれば、殺人事件の解決のために全力を尽くしたのに、と。

 事件の迷宮入りは、残された人々の思いすらも延々と心の迷宮を彷徨わせてしまう。

 そんな悲しい結末が無くなるよう、事件を解決したかった。

 探偵として名を上げれば、いずれは重大な依頼が舞い込むようになるだろう。それが殺人事件に発展しそうならば、自分が事前に防ぐ。あるいは、いち早く事件を解決し、悲劇を最小限に食い止める。

 事件を解決するにはそもそも事件に携わらなければならず、その為にはとにかく探偵として有名にならなければいけない。そこに望みをかけて、探偵の仕事に邁進した。

 数年前、とある依頼が舞い込んだ。とある大きな一族の遺産相続の問題で、行方不明の男を探して欲しいというものだった。

 私は今まで培った技術や人脈を活かし、見事にその男を発見した。男に事情を説明した後、依頼人の住む屋敷に男を連れて行った。そこで私の仕事は終わりのはずだった。

 しかし、私は依頼人の好意で屋敷に泊めてもらうことになった。

 そして翌日、殺人事件に出くわした。

 クローズドサークルなどそうそうあるものではない。警察がやってきて事件の捜査をした。無論、私も関係者の一人という事で事情聴取を受けた。刑事に探偵だと名乗ると、眉を顰められ、不審者を見るかのような目つきをされた。

 捜査は警察に任せておけばいいが、いち早く事件解決を望む私は、警察の邪魔にならない範囲で捜査し、結果、とある些細な事実から犯人を突き止める事ができた。

 私はその人物を呼び出し、推理を聞かせた。観念した犯人は、私の勧めに従い、警察に自首した。私は見事に事件を解決したのだ。

 その犯人は警察に自供した際に、私に犯行を見抜かれ自首した事を告げたらしく、刑事からはぶっきらぼうな口調で礼を言われた。

 その刑事とは今でも付き合いがある。事件を解決したいという私の意を汲み、できる範囲で協力してくれる事もあるし、逆にこちらが手を貸すこともある。

 あれから幾つか事件を解決してきた。名を上げる機会には恵まれないから未だに貧乏事務所だが、いつかは如月探偵のようにどんな事件も解決し、誰からも頼られるヒーローのようになりたい。

 だから、この事件も、なんとしても解決しなければならないのだ。

 私は頬を叩いて気合いを入れ直す。

 藁をも掴むような気持ちで手掛かりを求め、龍彦さんのパソコンを立ち上げる。相変わらず中のファイルの数は少ない。

 インターネットエクスプローラーを立ち上げる。一年以上前だからか閲覧履歴はすでに見れない。

 ブックマークを開くと、医療法人のサイトが並んでいた。そして、その中に混じって猟友会や熊の対策のページも見つかった。やはり北海道で熊被害は恐怖なのだろう。ネズミ駆除のページがないのはキャシーさんが駆除してくれるからか。

 そこまで考えた時、私はある矛盾に気がついた。

 その矛盾の解を求め、推理を重ね。そして。

「うそ、だろ……?」

 恐ろしい可能性に思い当たった。

 だが、この推理が正しければ、事件の謎は全て氷解する。

 私は手帳を取り出し、あらゆる可能性を検討して書き込む。しかしその可能性の殆どが何かしらの理由で打ち消される。

 そして、最後にたった一つの推理が残る。

 間違いなく、これがこの事件の全貌なのだろう。

 私は椅子から立ち上がると、部屋を出て広間に入った。

 暗い顔をした美月と、それを心配そうに伺う和真。そして、海円さん。

「七崎殿。捜査は終わりましたかな」

「いえ、捜査はまだ終わってません。三人に聞いて欲しい事があります。今から外に出てもらえますか?」

「あの、どうしてですか?」

 顔を上げて困惑した顔を向ける美月に説明する。

「もし俺の推理が正しければ、外にいる限り安全だからだ。俺はこれからとある調べ物をする。その結果次第では俺だけじゃなくて、みんなに危険が降りかかるかもしれない。だから安全のために外に出て欲しい」

「危険って……七崎さんは大丈夫なんですか⁉︎」

「和真君。探偵の仕事というのは危険と隣り合わせなんだ。それがストーカー行為との違いだ」

 先ほどの自分の言葉を思い出し、気まずそうに顔を逸らして「わかりました」と答えた。

 和真が部屋を出ると、彼に倣い美月も部屋を出る。海円さんも部屋を出ようとし、振り返る。

「七崎殿」

「ん?」

「事件の解決は、できそうですかな?」

 私は力無く笑う。

「犯人の目処はついています。それをどう解決へと導くかは、俺の器量次第です。正直、ここまで事態を悪化させておいて、今更それができるか自信はありませんが」

 私が弱気を見せると、海円さんは体をこちらに向けた。

「七崎殿。禅には「八風吹けども動ぜず」という言葉がございます。人間、生きていれば良き風も悪しき風も吹きます。しかしそれらにいちいち動じる事はありません。どのような風も受け流す事です。今ままではたまたま悪い風が吹いていただけの事。この先も同じとは限りません。動じず、ただ己にできる事をなさりなさい」

 そう言うと、海円さんは今度こそ部屋を出て行った。

 私は彼が出て行った扉を、暫くの間見続けた。

「海円さん。あなたに会えて、本当によかった」

 そして、自然と感謝の念が口をついて出る。私は海円さんの出て行った扉に向けて頭を下げた。

 さて、私は私のできる事をしよう。

 最後の調査とはもちろん、犯人に会うことだ。

 私は広間を出ると、閑奈の部屋の扉をノックした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る