第一幕

 葉に雪を乗せ、白銀の化粧をした木々の隙間から陽光が差し込む。周囲の草もまた雪に覆われており、一面雪景色とはまさにこの事である。モノクロの世界は原初の自然を思わせるようなどこか神秘的で、また、どこか退廃的な空気を纏っている。

 そのモノクロの侵食は道路にまで及んでおり、雪で固められた道でタイヤがスリップしないよう私は慎重に車のハンドルを切る。探偵の仕事で様々な場所に赴くことはあるが、車がすれ違えないような細い道にも関わらず、ガードレールが無いような林道を走るのは初めての経験である。タイヤが雪で滑れば、傍らを流れる川にダイブする事になるだろう。

 AIアシスト付きの車を購入すればこんな苦労をせずに済むのだろうが、探偵助手を雇う余裕すらないほど貧乏である我が探偵事務所には、新車を買う余裕など無いのだ。

 やがて車は狭い林道を抜けて広い道に出る。緊張から解放された私は煙草に百円ライターで火をつけると、肺いっぱいにニコチンを取り込み紫炎を車内に充満させながら車を走らせた。

 しばらく道なりに進むと、開けた場所にくすんだ灰色の建物が見えた。三階ほどの高さがある大きな建物であるが、コンクリートはあちこちひび割れ、周囲は伸びに伸びた雑草に囲まれている。背景の雪とあわさり、その光景が葬式のような陰鬱さを感じさせる。

 適当なところに車を停め、乱雑に物が置かれた後部座席から長靴を取り出してスニーカーから履き替える。雪原に足を踏み出すと、雪に足を取られながら玄関に向かう。

「弁一のやつ、なんだってこんな辺鄙な場所で仕事をしてるんだ……」

 誰にともなく私はぼやく。

 私と弁一は小学校、高校、大学と腐れ縁を続け、大学卒業後は私は探偵になり、弁一は理工学の大学院に進んだ。そのまま修士課程、博士課程を経て博士号を所得。ロボット工学に携わり、機械の開発やその制御AIの開発などをしているらしい。貧乏探偵事務所の所長である私とは違い、堅実にキャリアを積み重ねているのであった。

 社会人になっても私たちはたまに会って酒を呑んだりしていた。しかしそんな弁一とは三年ほど前から会うことができなくなった。

 何やらとある企業に雇われて極秘の研究開発を山奥で行っているとの本人談。もしかしたら研究費を不正利用して雲隠れしているのではと思っていたら、三日前、弁一から探偵である私に頼み事があるという連絡が来たのだ。

 彼が指定した場所こそが、北海道の山奥に位置するここ「西園寺病院跡」である。

 雪に四苦八苦しながら玄関に辿り着く。廃墟同然の外観とは裏腹に、立派で頑丈そうな扉がついている。よく見ると、窓もガラスが全て取り払われて鉄板で塞がれている。この、外部からの侵入を拒否するような徹底ぶりを見るに、極秘の研究開発を行っているという弁一の話は本当なのかもしれない。

 玄関脇の呼び鈴のようなボタンを押すと、頭上で機械の動作音がした。監視カメラが首を動かしてこちらを注視している。

 そしてスピーカーから弁一の声が聞こえた。

『やあ霜二。はるばる来てくれてありがとう。ちょっと待っててくれ』

 数秒後、扉が自動で開く。扉の向こうに人影はない。どうやら遠隔操作で開閉できるようだ。

「やれやれ。出迎えは無しか」

『ちょっと手が離せなくてね。真っ直ぐ進むとエレベーターがある。それに乗って地下一階まで来てほしい』

 スピーカーから聞こえる弁一の声に従い、私は最低限の蛍光灯に照らされた薄暗い廃病院の廊下を歩く。剥がれかけたインフルエンザ予防接種のポスターに、色褪せた待合椅子。無人の受付。リノリウムの床は足音を吸収し、静寂が荒廃した廊下に満ちる。陰気な空気を振り払うように私は煙草に火をつける。壁に「院内禁煙」の張り紙があるのが目に入ったが、見なかった事にする。探偵だって時には観察眼が衰えるのだ。

 エレベーターに乗り込み、指示された通り地下一階に降りる。

 地下に辿り着いたエレベーターの扉が開くと、その向こうには白衣を着た三十歳前後ほどの女性が立っていた。

「七崎霜二さんですね。高野博士の代わりにお迎えにあがりました。博士の助手の、モモと申します」

「助手……だと」

 私はモモさんをまじまじと見つめる。鼻筋の整った美貌。肩ほどで切り揃えられた綺麗な黒髪。教養の高さと意志の強さが伺える力強い瞳に、シャープな銀縁眼鏡をかけている。大きな胸が白衣を押し上げ、手には白い絹の手袋をしている。きっと白魚のように綺麗な指をしている事は想像に難くない。

 こんな美女を助手として雇い、日々研究をしているなどとは弁一のやつ、羨ましい限りである。私はこのような大人の色気を出した、バリバリ仕事ができる女性を探偵助手にする妄想を、度々しているのだ。

 思わず「なあ君。弁一の助手じゃなくて俺の助手にならないか?」というセリフを言いかけたが、例え私の助手になってくれたところで給料を払えないので、妄想の域を出ない提案であった。

「博士は今は手が離せないので、私が案内します。こちらへどうぞ」

 そう言って白衣の裾をはためかせながら優雅に踵を返し、きびきびとした足取りで奥へ進む。歩く姿も綺麗だな、などと感想を抱き彼女の後ろ姿を眺めながら、私は彼女の後についていった。

 廊下を曲がると、突き当たりに「霊安室」と書かれた扉が現れた。

「博士はこの部屋にいます。どうぞ」

 そう言ってモモさんが扉を開ける。広い部屋の中央には複数のモニターとパソコンが置かれた大きなテーブルがあり、テーブルの前では長年見知ったもじゃもじゃ頭の男が、キーボードをカタカタと叩いていた。

「霜二、ちょっと待っててくれ」

 そう言いながらも弁一はモニターから目を離す事なくキーボードを叩いている。パソコンからは幾多のコードが伸び、テーブルの向こうに置かれた、横向きに寝かされた掃除ロッカーのような箱に繋がっている。場所が場所だけに、棺桶のようで不気味である。

「何をやってるんだ弁一」

 彼の肩ごしにモニターを覗き込むも、マルチタスクで表示された幾つかのウインドウに、アルファベットやら波形グラフやらが表示されているだけで全く理解できない。

「それを含めて纏めて説明するから……これでよし。あとはインストールされるのを待つだけだ」

 エンターキーを押すと、椅子を回転させてこちらに向き直った。

「モモ。僕と霜二に珈琲を用意してくれ」

「わかりました」

 モモさんが部屋の隅に置かれた小さなテーブルに向かい、ケトルのスイッチを入れてミルに珈琲豆を入れ、ゴリゴリと豆挽く。弁一の珈琲好きは相変わらずらしい。

 私と弁一は大学生の頃、「いつか恋人ができた時に美味しい珈琲を振る舞える男になりたい」と考え、珈琲ショップに行きなけなしの金で珈琲ミルを買ったのだ。そして美味しい珈琲を淹れる研究をしているうちに、二人とも珈琲にどっぷりとハマるようになった。

 ちなみに他にも「いつか恋人ができた時にスマートに案内できるようデートスポットを下見する」「いつか恋人ができた時に誘える美味しい料理屋を探す」などの行為を二人で行なってきたが、大学在学中にそれらの経験を活かす機会は訪れなかった。

「久しぶりだね、霜二。探偵業の調子はどうだい?」

「生憎と閑古鳥が鳴いてるよ。助手を雇う余裕すらない」

 手近な所にあったパイプ椅子を引き寄せて腰をかけながら私は答えた。

「弁一の方は随分とヘンテコな事になってるじゃないか。廃病院の地下で美人の助手と共に怪しげな研究とはな」

「それらの事情を含めて君に依頼したい事があるんだ。ところで探偵なんだから、当然守秘義務は守ってくれるよね? 今から見ること、聞く事は部外者には決して漏らさないで欲しい。なにせ極秘にしている研究の内容だからね」

 勿論。と答えたところでモモさんが「どうぞ」と言って珈琲の入ったカップを差し出したので、礼を言って受け取り、口をつける。

 弁一もモモさんからカップを受け取り「ちょうどいい」と言った。

「モモ、手袋を脱いで霜二に見せてあげて欲しい」

「わかりました、博士」

 そう言ってモモさんは白い絹の手袋を脱ぐ。そこに現れたのは形こそ一見普通の手だが、決定的に違う所がある。指の関節部分から機械の内骨格が覗いているのだ。俗に言う、マニピュレーターというやつである。

「なるほど。義手だったのか」

 義手を使って扉を開けたり珈琲を入れたりしていたわけだが、特に驚くに値しない。最近の義肢はかなり精巧であると聞く。そのうち人体より高性能になり、敢えて義肢を身につける事でサイボーグみたいになる人間が現れるのではないかと密かに思っている。

 しかし弁一は私の言葉に首を横に振る。

「いや、これは義手じゃないんだ」

「義手じゃない? どういう事だ」

「モモ。首を回してくれ」

 弁一がそう言うと。

「わかりました、博士」

 モモさんの首が横に百八十度回転した。

「は……え?」

 人間ではあり得ない動きをしたモモさんの姿に唖然とし、マグカップを取り落としそうになる。

「弁一、これは一体、どういう……」

「見ての通りだよ。モモはそもそも人間じゃないんだ。機巧人形……俗に言うところのロボットさ」

「高野博士によって作られた研究助手機巧人形、モモ・パペットと申します」

 そう言って一礼をするモモさん。その姿は人間そのものである。

「どういう手品だ?」

「手品だと思うなら自慢の推理力でタネを見破ってみたらどうだい?」

 自信満々の弁一の姿に私は内省する。弁一は自分の発明について嘘をつくような男ではない。

 彼が言うとおり、モモさんはロボットなのだろう。

「最近のAIやロボットの進化は凄いと聞いていたが、まさかここまでとはな……」

 私は椅子から立ち上がり、モモさんの顔をまじまじと眺める。よく見れば化粧をしていると思われた綺麗な肌はゴムのような質感があるし、瞳孔はカメラのレンズのように動いてフォーカスを変えている。そして観察していて気づいた事だが、瞬きを全くしていない。

「そんなに見つめられると照れますよ」

 そう言って恥じらうように頬に手を当てる動作も人間そのものであるが、作り物であるその肌が照れて赤くなる事はないのだろう。

「見事なものだな」

 私はパイプ椅子に座り直し、幼馴染の偉業にしみじみと感嘆する。

「さて霜二。そろそろ本題に入ろうか。今から三年前、僕はロボット工学の腕を買われて西園寺さいおんじ医院という医療企業に雇われて、廃病院となったこの場所を与えれて極秘に機巧人形の開発をしていた」

「西園寺医院っていうからには、医療関係の団体なんだろ? どうして医者がロボットを必要としているんだ」

「その質問に答える前に、西園寺医院の説明をしよう。創業は……いつだっかな。まあどうでもいいや。とりあえずそれなりに歴史があってそれなりの規模の医者の家系だと思っておいてくれ」

 自らの雇われ元にも関わらず、あまりにもざっくばらんな説明である。自分の研究対象以外の知識が浅いのも相変わらずであった。

「西園寺家は本来は医者の家系だったんだけど、病院の規模が大きくなるにつれて直接現場に立つことは無くなり、病院の経営の方に携わるようになったんだ。そして前当主の西園寺龍彦たつひこは、医療機器の研究開発に専念するするようになった。機巧人形の体は西園寺家が開発した義肢の技術も多く使われているんだよ。尤も、僕の魔改造が入ってかなり複雑な構造になっているから、僕以外の人間が機巧人形を改造しようとしても不可能じゃないかな。複製や大型化、小型化はできるかもしれないけど、チワワ型ロボットを作ろうとしたところで犬の骨格に改造する事ができなくて挫折するだろうね。これは自惚じゃない。もし機巧人形を改良できる人間がいるなら、僕一人に莫大な研究費を投資するわけないからね」

「それで、医者がどうしてロボットを必要とするんだ。看護師ロボットでも欲しがったのか?」

 話の流れが西園寺家の事から自分の作品の自慢になりかけたので、私はやんわりと軌道修正する。

「お、さすがは探偵だね。その通りだよ。医療現場はとても忙しいし、夜勤も必要だ。そこでロボットの出番だ。ロボットなら疲れる事はないし夜間でも問題なく動ける。疲労によるミスも無い。最近のAIとロボットの進化に目をつけた龍彦氏は、ロボットこそがこれからの医療現場を担う技術と考えて、僕にロボットの作成を依頼したんだ。こうした事情で、二年前に完成して生まれたのが、機巧人形さ」 

 なるほど。事情はよくわかった。要するにブラック・ジャックの「U−18」みたいなものなのだろう。違うか。

「一点気になったんだが、お前の雇い主は龍彦さんなんだろう? けれどさっき、龍彦さんを「前当主」って言ったよな。龍彦さんは当主の座を誰かに譲ったのか?」

「いいや。亡くなったんだよ。一年近く前に病でね」

「医院のトップでも病に勝てなかったとは、悲しい話だな」

「本当にね。ただ、さらに悲劇なのは彼の娘だ。そして彼女の件が、僕の依頼だ」

 ようやく本題に入る。私は居住まいを正して煙草を咥えて火をつける。

「ここは禁煙ですよ」

「いや、いいんだモモ。探偵の仕事の時に煙草を吸うのは、霜二の儀式みたいなものだからね」

 こちらを睨みつけるモモさんを弁一がやんわりと嗜める。理解のある幼馴染に感謝である。

「龍彦氏の死後、西園寺家当主の座は彼の娘、西園寺閑奈かんなに移った。龍彦氏の妻こと閑奈ちゃんの母親は十年近く前に事故で亡くなって、それ以来、龍彦氏は独身だったからね。けれど、この閑奈ちゃんはまだ十二歳の少女なんだ」

「十二歳の女の子が当主? という事は」

「そう、当然親族達は……」

「お前の研究生活の命運は十二歳の女の子に握られているのか」

「……そう、当然親族達は面白くない。一年前の龍彦氏の葬儀には僕も出席したけど、彼らの閑奈ちゃんを見る目は、獲物を眺める肉食獣のそれだったよ。彼女から当主の座を奪おうと画策している事がありありと伺えたんだ」

 なるほど。漸く話が繋がった。だが。

「それは一年も前の話なんだろ? その間何もなかったんだから、今更何か起きる心配はないんじゃないのか?」

「ところがそうも楽観していられない。龍彦氏と閑奈ちゃんは、この病院から遥か北に離れた、山奥の邸宅で機巧人形と暮らしていたんだ。龍彦氏の療養と、機巧人形の動作モニターを兼ねてね。機巧人形の調整も兼ねて僕も行ったことがあるけれど、自然がいっぱいで空気が綺麗でいい所だよ。ちょっと大きめのクマネズミが出る事が難点だけどね」

「確かクマネズミの体長は十五センチから二十センチだったな。それより大きいのか」

「流石は探偵だ。なんでも知っているね」

「探偵の仕事でたまにネズミ駆除もやってるからな」 

 我々の間に気まずい沈黙が流れた。

「……その西園寺邸だけれど、機巧人形の機密保持の為に当然ながらセキリュティは万全の邸宅だ。龍彦氏の死後、閑奈ちゃんは西園寺邸に籠って暮らしているんだ。龍彦氏の遺産があるし必要なものは宅配で頼めばいい。家事は機巧人形が行ってくれる。閑奈ちゃんは家から一歩も出る事の無い暮らしをしている上に、父親が亡くなって以来塞ぎ込みがちで来客を拒んでいるらしい」

「なるほど。それで親族達は手が出せないって事か。それならどうして、今更俺に依頼をするんだ?」

「先日、西園寺邸にいるメイド機巧人形のキャシーから、龍彦氏の一周忌に出席しないかと言う連絡が入ったんだ。どうやらその一周忌は明後日、西園寺邸で行われるらしい」

「つまり、西園寺邸に親戚連中が集まるってわけか」

「うん。直系の人間は全員集まるらしい。その中に閑奈ちゃんを脅かす人間が混じっていないとも限らない。君には僕の代理という名目で西園寺邸に行って、親族が滞在している間、閑奈ちゃんを守って欲しい。これが依頼の一つ目だ」

「一つ目? まだあるのか」

「うん。……霜二。君は覚えているかい? 二十年前、君が探偵を目指した時、僕は探偵助手になると言った事を」

「それは……」

 無論、覚えている。

 私が探偵になった時、弁一が大学院に進学すると聞き、探偵助手になってくれなかった事に寂しさを覚えた。だが私は、子供の頃の約束だからと敢えて口にする事はなかった。

「僕はその約束を忘れた事はない。本当に探偵助手になろうと思った。けれど、如月探偵の助手の五条さんのような、腕っぷしも体力も僕にはない。だから、僕は考えたんだ。僕の好きな物作りで、君のサポートができないかと」

「どういう事だ?」

 私が尋ねると同時、パソコンからピコンと電子音が鳴った。

「最後のプログラムがインストールが完了したようだ」

 パソコンに向き直り、キーボードで何やら操作すると、テーブルの向こうに置かれた箱の蓋がゆっくりと開かれる。

「素体自体は完成していたけれど、海外にいる友人と協力して、犯罪捜査のプログラムを作っていたんだ。この日に間に合うよう突貫作業だったけど、間に合ってよかった。たった今インストールが完了した」

 そして、死者が棺桶から蘇るように、箱の中から何者かがゆっくりと立ち上がる。

「霜二、二十年前の約束を果たす時が来た」

 人影はこちらに向き直り、口を開く。

「タカノ博士によって作られた探偵助手機巧人形、アリス・パペットと申しマス」

 見た目は十代半ばほどの少女だった。金色のロングヘアが目に眩しい。

 しかし、手脚と胴体の球体関節と、青い瞳に刻まれた金色の幾何学模様は、彼女が人間ではなく人形である事を如実に示している。

「探偵助手、機巧人形……」

「僕は探偵助手になるには力不足だ。だから、探偵助手を作る事にした。霜二、僕の二つ目の依頼は、彼女と一緒に西園寺邸に行って、探偵助手としての働きぶりを観察するモニターになって欲しいんだ。もちろんモニター料は払うよ」

「ソウジさんデスネ。博士から話は聞いていマス。よろしくお願いしマス」

 そう言ってアリスは私に頭を下げる。

「あ、ああ……よろしく」

 私は戸惑い気味に頭を下げる。

「モモ、アリスに服を着せてあげてくれ」

 モモさんが服を持ってくると、アリスはいそいそと服を着だした。なまじモモさんの外見が大人の女性で、アリスが子供体型なので、まるで母と娘である。

 念願の探偵助手が、無償どころかモニター料までもらって雇う事ができるのだ。諸手をあげて喜ぶところだが、気になる所が多すぎる。

「なあ弁一。なんだかアリスの喋り方のイントネーションがおかしくないか? モモさんは流暢に喋っていたはずなんだが」

 弁一は腕を組んでうーん。とうなる。

「さっき言った通り海外の友人と共同制作したプログラムで動いているからね。どうにもこっちと向こうのプログラムのズレみたいなもので、おかしくなっているんじゃないかな。まあ海外に住むハーフの姪っ子みたいなものだと思えばいいんじゃないかな」

「もう一つ。金色の模様が描かれたこのヘンテコな眼はなんなんだ?」

「お、流石探偵。観察眼が冴えているね」

 弁一に限ってそんな事はあり得ないのだが、この程度のことで持ち上げられてしまうと探偵という言葉が煽りなのではないかと勘繰ってしまいそうになる。

「彼女はただの機巧人形じゃない。探偵助手として作られた特別な機巧人形なんだ。これは実際に見てみた方が早いかな。霜二、アリスの目の前に指を差し出してくれ」

 私は言われた通りにアリスの前に指を突き出す。アリスは既に白いブラウスと赤いスカートを身につけており、スカートから伸びる脚の球体関節が生々しさを持っている。生々しい不気味さを。

「アリス。スキャン開始」

「ハイ」

 アリスの青い瞳が機械音を立ててフォーカスを調整し、金色の模様が輝き出す。

「スキャン完了しマシタ」

「なあ。これは一体何をしているんだ?」

「見てればわかるさ。アリス、ここに二つのカップがあるだろう?」

 弁一は机の上に置かれた、先ほど我々が珈琲を飲んでいたカップを指差す。

「どっちが霜二が使っていたカップなのか、当ててごらん」

「わかりマシタ」

 そう答えると、アリスはカップに顔を近づける。すると、彼女の目から光が照射された。

 両方のカップで同じ事を行い、アリスはカップから顔を離す。

「このカップデスネ」

 そう言って指を差したカップは、確かに先ほど私が使っていたカップだった。

「これはどういう事なんだ?」

 私の疑問に、弁一ではなくアリスが答える。

「ワタシには探偵の捜査の手助けができるよう、色んな機能が備わっていマス。この瞳もそのひとつで、様々な波長の光を浴びせて読みとる事で、指紋や足跡を視認する事ができマス。その機能で、先ほどスキャンしたソウジさんの指紋を、このカップから見つけ出しマシタ」

「なるほど。その機構がヘンテコな模様に見えるという事か」

「ワタシはオシャレだと思っていマス」

 人間とAIの価値感に溝を感じた。

「要はアリスは、警察が捜査に使っている機能を内蔵しているのか。凄いじゃないか」

「もっと褒めてくれてもいいデスヨ」

 そう言って薄い胸を反らす。意外と図々しい小娘である。

「あと、アリスは前科者の指紋は全て登録しているし、過去の刑事事件のデータベースも持ってる。それらのデータはきっと役に立つだろう」

 それらのデータをどうやって入手したのかは、聞かない方がいいのだろう。巻き込まれ回避。

「他にも機能は沢山あるけど、全部説明するのは大変だから追々アリスから説明を受けてくれ」

「わかった。あと弁一」

 私は最後の質問に移る事にする。

「探偵助手といえば大人の女性というイメージがあるんだが、どうしてアリスは十代の少女みたいな姿なんだ?」

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、自信満々の顔になる。

「霜二。アリスは君のために作った探偵助手機巧人形なんだ。だから、君の好みに合わせてある。君の初恋の相手である、ロマサガ3のモニカをモデルにして作ったんだ」

「なるほど。心遣い痛みいるよ」

 私は皮肉を口にしながら、ロックブーケが好きだと言っておけばよかったと昔の自分の好みを後悔するのであった。

 その日の晩は、院内食堂の厨房で作った鍋と熱燗で弁一と飲み交わし、シャワーを浴びると、病室のふかふかのベッドに入った。

 仮に探偵で食っていけなくなりホームレスになったら、廃病院で暮らすのも悪くないかもしれないと思いながら眠りにつくのであった


       ◯


 翌日、私はアリスと共に、玄関で弁一とモモさんに見送りを受けていた。

「じゃあ、行ってくる」

「うん、閑奈ちゃんとアリスの事、頼んだよ」

「ああ。任せとけ」

 私は数年ぶりに再会した親友と握手を交わす。

「行ってきマス、タカノ博士。モモさん」

 アリスの関節と青い瞳は目立つので、黒いタイツを履いて皮の手袋をし、サングラスをかけて隠している。そして上にはダッフルコートを着ていた。

「アリス、霜二のサポートをしっかりと頼んだよ」

「行ってらっしゃい、アリス。気をつけてね」

 そう言ってモモさんはアリスの髪を撫でる。

「はは。まるでお母さんみたいだね、モモ」

 弁一がそう言って笑うと、モモさん鬼気迫る顔をして振り返る。

「お姉さん。の言い間違いですよね? 博士」

「いやあ、ここまで人間みたいな反応をするとは、我ながら優秀な人形だなあ」

 冷や汗を流しながら自画自賛する弁一。

「なあアリス。モモさんは随分と人間みたいな反応をするが、お前たちは本当にAIなのか?」

 弁一が嘘をついているとは今更思わないが、このリアルな反応を見ていると、どうしても疑問が生じる。

 アリスは「むー」と唸った後。

「エンシュウリツを百桁以上そらで述べれば証明になりマスカ?」

「……どうせ答え合わせができないからいいよ」

 私はアリスを促して車に乗り込んだ。

 エンジンをかけてアクセルを踏み、昨日通った林道を走る。

 煙草を咥えてライターで火を点けようとした時、助手席に座っているアリスが手袋を脱いで人差し指を突き出してきた。

「ん?」

「ドウゾ」

 そう言うとカチッという音と共に、人差し指の先から火が点いた。

 奇天烈な光景に思わずハンドル操作を誤りかけるも、なんとか立て直してアリスの指先から灯る火で煙草に点火する。

「ふふふ。驚きマシタカ。タカノ博士が言うには、探偵と言えば煙草で、煙草に火をつける事は探偵助手の仕事だそうデス」

「なるほど。それは探偵助手としての機能のひとつなのか」

「そういう事デス」

 自信満々に答えるアリスに対し、私の胸中は不安でいっぱいだった。

 もしかしたら弁一によって歪んだ探偵像、探偵助手像がプログラムされるのではないかという懸念と、そもそもこんな機能をつけなくても普通にライターを持たせるだけでいいのではないかという疑問によって、この探偵助手と彼女に搭載されている機能は本当に役に立つのかという思いが過る。

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