だっせー


 これは夢か。小学校の頃、おれが陽キャ嫌いになり、人によって態度を使い分けるようになった出発点。昔から普通の人間だったおれ。


「うわ~ん、おか~さ~んっ!」


 人と違うと言えそうなのは、幼稚園の頃に蹴り飛ばした小石が蜂の巣に当たって追い回され、トラウマを抱えているくらいだ。

 何かに秀でていた訳でもなく、かと言って特別落ちぶれている訳でもない。世界の大半を占めているその他大勢の一人。


「ね、ねえ。これしてあそぼうよ」

「えー、やだー、つまんなーい」

「おれさ、あれがすきなんだけど」

「えー、りょういちくんあんなのがすきなのー?」


 おまけに自分の考えたこと、好きなものは悉く却下される有様だった。みんなが好きなものと、少しだけズレていたんだ。

 ありのままの自分を受け入れてもらえず、我慢して我慢して、やっと集団の隅っこに入れてもらえる始末。おれはみんなをじーっと見て、合わせることを覚えた。


「みんなに合わせるばっかなんて……つまんないの」


 おれはそれが、心底気に入らなかった。

 小学校に上がった時に、その意識は顕著になった。クラスという単位の集団ができたことでカーストが発生し、上位に食い込んでいく人間たち、陽キャ。その他大勢の一人であったおれは、彼らに対してずっと憧れがあった。


「よっしゃあーっ! みんなで遊ぼうぜーっ!」


 特に輝いて見えたのが、ヨシノリという男の子だった。

 彼はカッコよくで勉強もできて、運動神経も抜群。口を開けば面白い話が飛び出し、男女問わずに友達が多く、クラスで一番可愛いアイドル的な女の子とだって仲良し。好きなものを自分から口に出してブームさえ作り、たまに失敗しても笑って許されるという、絵に描いたような人気者だった。


 ありのままの自分を曝け出して、成功して、受け入れられている。自分にできないことあっさりとやってのけているヨシノリが、ずっと羨ましかった。


「ヨシノリ君に、なりたい」


 彼に憧れたおれは、彼の真似をしようという子どもらしい単純な結論に至った。

 自分が最もつまらないと思っていた行為ではあったが、ずっとみんなに合わせていたおれには、他の方法が思いつかなかった。


「いつも笑顔、前の日に見たテレビ番組はあれ、動画サイトはこのチャンネルを見てる、今ハマっているマンガはこれ、アニメはこれ、誰にでも話しかける、授業中は不真面目でも当てられれば答えられる、多分家で勉強してる」


 おれは彼を具に観察し、彼ならどう振舞うのかを研究し始める。当然、簡単に彼になれる訳もなく。自分じゃやりたくないこともあって、辛い思いをした。


「こうしないと、だめだ」


 おれは、めげなかった。そうなりたいという思いはいつしか、そうしなければ嫌われるというある種の強迫観念に近いものになっていき。

 嫌だと思う気持ちを徹底的に殺して、ヨシノリならどうするのかをトレースし続けた。


「おれもそのアニメ見てるーっ!」


 十分な準備を終えたおれはある日、好きそうな話題を引っ提げてヨシノリ達の輪の中に割って入っていった。


「へー。お前、面白いじゃん」


 おれの努力は功を奏した。彼の好み、ノリ、話し方から好きなものまで把握し、練習を重ねてきたおれを、ヨシノリが構ってくれるようになったのだ。

 すぐに彼と仲良しになり、その他大勢だったおれが、クラスの中心である陽キャのグループに入れてもらえたんだ。


「行くぜ、リョウイチっ!」

「行くぞ、ヨシノリっ!」


 それからの日々は、本当に輝いているように思えた。クラス一の人気者の相棒になれたおれ。他のクラスメイト達も関わってくるようになり、一気に友達が増えた。休みの日に誰と遊ぼうか考えるなんていう、贅沢な悩みすら持つことができたくらいだ。

 ただ、おれにとっては辛いものでもあった。ヨシノリの好きが完全におれと一致する訳もなく、嫌いなものすら好きだと言わなければならない。昼間には遊びつつも、家に帰ったら勉強漬け。ほとんど無勉強でも百点を取れる彼と違って、おれは見えないところで努力するしかなかったのだ。


 グループチャットでみんなと話しつつ、動画サイト等で流行りを追いつつ、勉強までこなさなければならない。家に帰ってもやることばかりで、息をつく暇もないくらい忙しかった。


「辛い、けど。これで良かったんだ」


 せっかく手に入れた居場所をみすみす失う訳にはいかないと、おれは必死になっていた。

 ヨシノリに引っ張りまわされるようになった、ある日のこと。事件が起きた。


 夏の暑い時、授業中の教室に、開け放たれていた窓から蜂が入り込んできたのだ。クラス内は一気にパニックになり、先生は落ち着かせようとするのと蜂をどうするのかで、右往左往している。


「オレ達の出番だぜ、リョウイチっ!」

「えっ?」


 立ち上がったのがヨシノリだった。彼は蜂に対して全く臆することもないままに、掃除道具入れから箒をもってきて振り回していた。

 今考えれば、彼の行為は蜂を刺激するだけで危ないものではあるが。小学生の発想ではそのくらいが限界だ。


「どうしたリョウイチ? オレ達でクラスメイトを救うんだっ!」

「うっ」


 ヨシノリは絶好調だった。こういう時の彼は、勇敢に立ち向かっていくもの。彼をずっと観察し続けていたおれは、十二分に分かっていたことだった。

 だが相手は蜂だ。幼い頃に追い回された結果、羽音を聞くのもダメなおれのトラウマの象徴。ヨシノリから箒を手渡されても、固まっていることしかできず。


「う、うわぁぁぁん、おかーさーんっ!」


 遂には耐えられなくなり、手に持った箒を放り出して机の下に隠れてしまった。頭を両手で抱えたまま丸くなり、情けない声で母親を呼ぶばかりだった。


「……だっせー」


 その時のヨシノリのボヤキ声は、嫌にはっきりと聞こえた。

 やがて先生とヨシノリの共同作業で蜂を窓の外へと追いやることができ、事なきを得る。


 休み時間になってようやく立ち直ったおれに対して、ヨシノリは笑った。


「リョウイチの奴、蜂くらいでビビッてやんのーっ! さっきの聞いた? おかーさーんって」

「ほ、本当にごめんっ! おれ、実は、蜂が怖くて」


 頭を下げてトラウマだったんだと説明したが、彼が納得する筈もない。

 いや、彼は端から納得する気なんて、なかった。


「本当に悪いと思ってんなら、土下座しろよ」


 大声で、おれのことをバカにするかのように、彼は言い立てた。


「えっ? そ、そんな、こと」

「悪い時はこーするもんだろー? はい、どーげーざ! どーげーざ!」


 ヨシノリのコールに合わせて、周囲の取り巻きが手を叩き始める。先生が職員室に行った為に止める人はおらず、叩いていない他のクラスメイト達は見て見ぬふり。


「うっ、ううう……」


 四面楚歌の中、おれは泣き出したくなる気持ちを堪えながら、額を床にこすりつけた。


「す、すみません、でした」

「きゃーっはっはっはっは、カッコワリーッ!」


 笑い声が起こった。ヨシノリ達はおれを指さしてさらし者にし、口々に馬鹿にした。

 辛かったし、苦しかったけれども、これで禊は終わったと思った。クラス中に恥をさらすことにはなったが、またいつものように遊んでくれるものだと。ここまでしたんだから許してもらえる筈だと、おれは信じていた。


 しかし、次の日に登校してみれば。


「お、おはようヨシノリ」

「つーん」


 おれは無視されるようになった。ヨシノリだけではなく、彼の息がかかった面子の全員から。


「ほら、覚えてるか? おかーさーんって」

「土下座とか生まれて初めて生で見たわー」

「ぎゃははははははははっ!」

「…………」


 ヨシノリ達はおれのことを無視しておきながら、大声で聞こえるように馬鹿にしてくる。耳に入ってくるたびに、おれは机の下で拳を握りしめることしかできなかった。

 いつか戻れるんじゃないかとずっと機会を伺っていたが、その時は来なかった。彼らはおれを除け者にすることで、更に仲良くなっていったからだ。


 諦めずに何度かアプローチしてみたが、なしのつぶて。逆に彼らにネタを提供するだけの結果となり、おれは思い知ることになった。


「おれ、捨てられた。土下座まで、したのに。こんな、あっさり……く、くだらねえッ!」


 負け犬として扱われ、絶望しかけた時。おれは開き直った。

 なんであんな奴らの為に、おれが頭を下げなければならないんだ。人を平気で切り捨てるような奴らとなんか、大したことないじゃないか、と。


 陽キャに対してあった憧れが、憎悪に塗り替わった瞬間だった。

 おれはその後、余計な波風を立てないように頭を低くして小学校時代を過ごした。無視されたり、持ち物を隠されたりといじめに近いものもあったが。


 おれは内心で奴らを見下すことで、何とか保っていた。幼馴染のヨルカがこっそり関わってくれていたのも大きかった。

 中学校になり、校区の関係で彼らとの交流がなくなってからも、おれは頭を低くし続けていた。成長してもクラスの主導権を握っていたのは、別の陽キャ共。彼らはまた、他の誰かを切り捨てて笑っていた。


 おれは確信した。


「陽キャなんてクソばっかだ。二度と関わるもんか」


 見えないところで唾を吐きつつ、おれはおとなしいキャラを作ってひっそりと過ごすようになった。

 陽キャが嫌いだと言っても、アニメオタクのような陰キャと仲良くする気にもなれず。思春期が始まり、異性同士で一緒にいると変な噂が立つということで、ヨルカとも距離を置き。特に何もしないままに、中学校時代を過ごした。おれにとって、無味無臭の灰色の日々だった。


 おれの転機は、高校に進学した時。進学した白泉高校は、文武両道の為に一年生部活必須とか言う、意味の分からない伝統があった。


「部活とか面倒くせえなあ。なんか幽霊部員でも許されるようなとこ、で、も」


 斜に構えて見ていた部活動紹介。体育館の中で各部活があの手この手を使って新入部員の獲得に躍起になっている中で繰り広げられた、演劇部の即興劇エチュードに、おれは衝撃を受けた。

 台本もないのに繰り広げられる、人間ドラマ。一人一人のキャラが立っていて、登場人物の全員を今でも覚えているほどだった。


「二年生がいないから、今なら君もすぐに役者だ。演劇部で待ってるぜッ!」


 最後を飾った、マモリ部長の鮮烈な笑顔。おれはしばらくの間、余韻に浸っていて動けなかった。胸の内にある興奮が、ずっと消えなかった。

 部活動紹介の後、おれはすぐに演劇部の部室に向かった。マモリ部長を始めとした先輩方は、笑顔でおれを迎えてくれた。


 演技なんてやったことのなかったおれだったが、ヨシノリの経験から人を観察し、自分を殺す術を持っていた。先輩方の好きそうなキャラを作りつつ、演技にも利用できるのではないかと試してみたところ。


「ほう、なかなかだね」

「ほ、本当ですかッ!?」


 面白いとこそ言ってくれなかったものの、マモリ部長は微笑んでくれた。他の先輩方も、未経験でそこまでできるなんて凄いと口々に褒めてくれた。

 こんなに褒められたのは、初めてだった。


「お、お、おれ、頑張りますッ!」


 おれは一気に演劇にのめり込んでいくことになる。クラス内では目立たない一生徒としてやり過ごしつつ、たまにヨルカと話すくらいはしていたが、他の交友関係を作ろうとも思わず。演劇部だけが、おれの居場所だったのに。

 今は、二度と関わらないと決めた筈の陽キャなんかに先導される所に……。

 自室で目覚めた時。おれは重たい息を吐いていた。

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