第31話 渇き

 ふと気づくと、荒地に立っていた。

 枯れ果てた大地の上をあてもなく歩く。

 ここはどこだろうか。

 じりじりと照りつける太陽の下、ただひたすらに歩く。

 どこを目指しているのかも分からないまま。

 ああ、体が渇く。


 世界が白んで、目が覚めた。


 心配そうな紫の目が私を覗き込んでいる。


「おはよう、ゼロ」


 柔らかな青い瞳が私を映した。

 少し頭が痛む気がする。体を起こすと、ヴィルトが水を差し出してくれた。


「中々起きないから心配だったんだよ」

「……そうだったんですか」


 受け取った水を飲むと、じんわりと体に染み渡っていく。

 疲れが溜まっていたのだろうか?

 疑問を抱きつつも、気にしないことにした。

 今日それほどぐっすりと眠ったのなら、回復していることだろう。


 それから、一週間かけてメルタ方面の森を抜けた。

 相変わらず魔力濃度は高めだ。

 襲いかかってくる魔物を倒す度、何かが胸の奥で燻る。

 それが何なのか分からないまま、ただ倒し続けた。


 ようやくメルタに辿り着き、門を抜ける。

 ずっと何かが引っ掛かっているような気がしてならない。


「ゼロ、大丈夫? 今日ずっと様子がおかしいけど」

「治療する?」

「……いえ、大丈夫です」


 今、二人の門番を見た時。

 手が、ぴくりと動いた。

 抑えなければいけない。そんな気がして咄嗟に握りしめた拳は、力が入りすぎて痛みさえ感じる。


 もう日が傾いているからか、人は少ないけれど。

 それでもそこそこの数の人間が、道を歩いている。

 その無防備な姿が、やたらと目を惹きつけて離さない。


「ねえ、やっぱりおかしいよ。今日はもう休む?」


 ああ。すぐ隣にも、無防備な――


「ゼロッ!?」


 鋭い痛みで我に返る。

 痛みの元を見ると、手のひらにナイフが刺さっていた。

 いや、刺さっていたんじゃない。

 自分で突き刺していた。


「何してるの!?」


 セキヤにナイフを持つ手を握られ、刃が引き抜かれる。

 どくどくと血が流れ出す手を、すぐにヴィルトが治療する。

 青い光が吸い込まれ、痛みが引いていった。

 その光景を、私は呆然と見ていた。

 唇が震える。


「わ、分からない……」

「ゼロ?」


 セキヤの声が、どこか遠く感じる。


「分からないんです……! ど、どうして私、私……」


 分からない。どうして私は、突然こんなことを?

 何かが皮膚の下で蠢いているような、そんな感覚がする。

 目を背けなければいけない何かが、そこにあるような。


「でも、でも。こうしないと私、きっと……きっと……?」


 カタカタと手が震える。

 きっと……なんだ? 私は何をしようとした?

 分からない。ただ、こうしなければいけない。

 こうしないと、渇いて……渇いて、そして。

 そして……何だ?

 ああ、頭が痛い。体が渇く。


「落ち着いて、ゼロ!」

「う、ぐ……っ」


 頭が痛い。

 蝋燭の火が吹き消されるかのように、意識が途切れた。



 ……こうなると分かっていた。

 だからあの時、ああしなければならなかったのに。


 目を開ける。ああ、体が渇く。

 早く狩らなくちゃいけない。目の前の彼らを手にかけたとき、悲しむのはゼロ自身なんだから。


「お前……」


 伸ばされたセキヤの手を振り払う。

 僕を見つめる青い目は、途端に鋭いものへと変わった。

 でも、そんなことどうでもいい。


「言ったよね? ゼロのためだって」


 立ち上がり、辺りを見渡す。

 今、彼らに構っている余裕はない。


「だから言ったのに」


 走り出す。

 誰だっていい。でも、できるならそう周囲に影響しない相手が望ましい。

 あのときみたいに、貧しい亜人でも探そう。

 きっと貧民区に行けば、うじゃうじゃいるだろうし。

 ……だからきっと、一人くらい殺したって、大して影響は出ないだろうし。


(あーあ、妙な気分になっちゃうな。セキヤのせいだ)


 何も考えずに、肉体が叫ぶ欲のままに動くのが最善だった。

 まるで何も気に留めていないかのように、そうして振る舞うのが一番効率的だった。

 だというのに、彼がゼロのことを想う度に僕は飢えを感じて。

 僕に向けられる敵意は、静かに僕の認識を蝕んでいった。

 いつか……いつか綻びが出るだろうとは思っていたけど、こんなに早いなんて思っていなかった。


 角を曲がる。段々と路地が薄汚れていく。

 こんな平和そうな町だって、命に差をつけているんだ。

 それを利用するのは理に適ってるはずだ。


 僕にとって、僕達の命こそが一番大切なんだから。

 それを大切にするために必要なら、やるしかない。


 一人、萎びたリンゴを持つ女が目に入る。

 その頭にはボサボサの毛が生えた獣の耳。

 丁度いい。あれにしよう。

 薄汚れた獣一匹殺したって、なんてことはない。

 僕達が気にする必要はない。


 腕を振り上げる。

 次の瞬間、女は地面に倒れていた。

 漂う死の香りが体を潤していく。

 ああ、どうしてこうも満たされていくのだろう。

 どうしてこんなことをしなくちゃ、僕達は生きていけないのだろう。


「母さん……?」


 声が聞こえて、振り向く。

 女と同じ毛色の子供が一人、そこにいた。


「母さん? 母さん!」


 走ってくる子供の足音が、やけに頭に響く。

 足元から呻き声が聞こえた。


「来ちゃ、だめ……」

「母さんっ!」


 足元に転がる女に、子供が縋りつく。

 僕のことなんて、まったく視界に入っていないらしい。

 仕方ないか。家族が殺されたんだから。

 きっと、そういうものなんだろう。

 僕には少し、分からないけど。


「ははっ」


 渇いた笑いが口から溢れた。

 本当は知っている。

 獣と呼ばれるに相応しいのは僕達の方だって。

 きっと君達の方が、ずっとヒトらしいんだって。


「まだ少し渇いてるんだ。丁度いいね」


 でも、僕達だって平穏が欲しい。

 後ろから足音が聞こえる。きっとセキヤ達が追ってきたんだろう。

 ああ、また睨みつけられるんだろうな。あの子の手を、魂を汚すなって。

 だって、仕方がないじゃないか。

 水がなければ生きていけないように。

 僕達にとっては、これこそが――


「待てッ」


 セキヤの声と、僕が子供に刃を振り下ろしたのは同時だった。

 空気の抜ける音がして、僕の手からナイフが弾かれる。

 もう、遅いけれど。


「……やめてよね。一点モノなんだから」


 弾き飛ばされたナイフを拾う。ああ、まだ手が痺れてる。

 うん、そこまで酷い傷にはなっていないみたい。

 一応は両親の形見とやらだ。大事にするべき……なんだろう。きっと。


「まあいいよ。目的は果たせた」

「お前……」

「……もういいよね? 大体分かったんじゃないの? これからは邪魔しないで。セキヤだって、ゼロのことが大事なんでしょ」


 彼は悔しそうな顔をしている。

 僕の言葉を受け入れるべきか、跳ね除けるべきか、迷っているみたい。

 でも、きっと理解してくれるだろう。

 ゼロが自傷した時の慌て様が嘘じゃないなら。

 彼が本当にゼロの味方だっていうなら、きっと。


「ほら、僕達の本来の目的も果たしに行こう。早い方がいいよね?」


 ナイフを袖に隠す。

 まだゼロは眠らせておいた方が良さそうだ。

 今日は僕が代わりを務めよう。


「あ、いたいた」


 少し歩くと、貧民区の境目でヴィルトが待っていた。彼から肖像画が入ったケースを取る。

 ヴィルトは戸惑いながら、セキヤは黙って僕の後ろをついてくる。

 つい先ほど見た光景をつなぎ合わせているのかもしれない。

 好きに考えればいいと思う。それが不利益にならないのなら、どう受け取られたって構わない。

 あわよくば、僕のことを信じて……いや、高望みはやめよう。

 期待したって、苦しいだけだ。



 あれからセキヤはずっと黙ったまま、気まずい雰囲気の中でレイザの酒場を訪ねた。

 どうやら今日は定休日らしい。

 ノックすると、嫌そうな顔をしたゼクターが扉を開けた。


「貴方が迎えるとは思いませんでした」

「……お前達が来たら出迎えるようにと、レイザ様から言い付けられている」

「なるほど」


 不服そうなゼクターに休憩室へと通される。

 見張りだと言わんばかりにセキヤからの視線を受けながら、レイザに肖像画を渡した。


「ありがとう。確かに受け取ったよ」


 中身を確認した彼女は、にっこりと笑った。

 どこか憂いているような……いいや、罪悪感を抱いているような。そんな笑顔だ。

 そうだ、ライラとの取引。その条件の一つを、ちゃんと達成しておかないと。


「水の神官様からの伝言がありますよ」

「伝言? ライラから?」

「……助かったわ、レイザ。貴方は最も頼りになる最高の友人よ。また何かあったときにはよろしくね……以上です」


 レイザは面食らったような顔をして……くしゃりと、その顔を歪めた。


「そうかい」


 肖像画を抱きしめた彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。


「……ライラは元気そうだったかい?」

「ええ。少々落ち込んでいましたが、今は持ち直していますよ」

「そうかい。なら、よかったよ」


 彼女はどうしてそこまであの水龍を気にかけるのだろうか。

 神官同士だからなのか。それとも……あの水龍の本性を知らないからなのか。

 ふと気になった僕は、尋ねてみることにした。


「どうしてそこまで気にかけるんですか?」

「気になるかい? なに、そう深い話でもないさ」


 肖像画をテーブルに置いた彼女は、肖像画の中のライラを見つめながら口を開く。


「アタシは火竜の末裔でね。ライラとは遠い……そう、遠い親戚のようなものさ。だからつい気になってしまう。それだけのことさね」


 火竜。たしかに角はある。体格もいい。でも、竜の象徴でもある尾がない。


「そうだったんですか? でも、竜というには……」

「お、さては詳しいね? アタシの尾は小さい頃にざっくりと切られちまってね。いやー、あれは痛かったねえ」


 深くため息をついた彼女は、さほど気にしていないみたいだった。

 体の一部を切り落とされて、そうして笑えるなんて。彼女は相当に強いみたいだ。


「ま、今はもう大丈夫さ。むしろ小回りがきいて店を開くのには便利なくらいだよ。ははっ」


 レイザは笑って片手を振る。


「昔はそれなりに数がいたんだよ。あの鉱山の上に住んでいてね。うっかり見つかっちまったアタシは、危うく売り飛ばされるところだった。百年よりもっと前……遠い昔の話さ」


 神官は長寿だっていうけど、きっと彼女の場合は元の種族のこともあって長命だろう。

 今でこそ比較的平和なこの町も、昔はもっと物騒だったのかもしれない。


「神官としての素質がなければ、今頃ここにはいなかっただろうねえ。神官になって、他の神官とも顔を合わせて、気付けば長い時間が過ぎて……」

「他の神官も知っているのですか?」

「詳しいことは伏せるけど、神官専用の魔道具があってね。それで遠くにいながら会話することができるのさ……多用すると怒られるんだけどね」


 レイザは苦笑する。一度怒られたことがあるんだろう。


「とは言っても、アタシが知っているのは一部だけさね。ライラともう一人……風の神官だね」

「風の、ですか。教えていただくことはできますか?」

「……まあ、これだけしてもらったんだ。大まかな場所くらいは言ってもいいだろうね。風の神官はミスキーにいるよ」


 ミスキー。ここから南下した所にある、芸術の町とも呼ばれる場所だ。

 直接行ったことはないけど、名前くらいは知っている。


「あまりいい情報をあげられなくてすまないね。アンタ達ともなれば、もう神官がいる場所の大体の法則は分かっているんだろう?」

「各町の中心部に近い場所……ですよね」

「流石、その通りさ。アタシから言えるのはもうないね」


 なら、これ以上ここにいる必要もない。


「それでは、私達はそろそろこの町を離れます」

「これから先もいい旅になることを願ってるよ」


 セキヤとヴィルトを連れて部屋を出る。

 閉じた扉の向こうから、微かに声が聞こえた。


「ねえ、ライラ。どうしてこんなにもアンタに焦がれちまうんだろうねえ……」


 ……これで、今回の取引は終わりだ。

 もう余計なことを言うのはやめよう。

 ただでさえ、納得がいっていない人が一人いるみたいだから。


「余計なことを」


 カウンターを拭いていたゼクターが僕達を睨みつける。

 盗み聞きでもしていたんだろう。


「これは私と水の神官との取引の結果でもあります。貴方に口出しされる覚えはありませんねー」

「取引だと?」


 ゼクターの眉がぴくりと動く。

 セキヤが僕を軽く睨んだ。煽るなということだろう。


「あの言葉を伝える代わりに、一つ私の欲しいものを頂いたんです。貰うものは貰った以上、きちんと代価を支払わなければ。そうでしょう?」


 ゼクターは黙り込む。

 道理は分かっているらしい。

 もう長居はしない町だ。わざわざ時間をかけてあげる義理もない。


「もう話すこともありませんね? 失礼しますよ」


 ゼクターからの返事はない。

 元より返事を聞くつもりもなかった僕は、二人を連れて店を出た。


「今日は宿に泊まって、明日出発しようよ」


 そう提案してみる。

 沈黙が場を包み込んだ。

 それじゃあ、反対意見は無しということで。

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